学校法人明照学園

観察と、物語と。

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観察と、物語と。

観察と、物語と。

2025/12/09

 年長組での絵画鑑賞、以前の記事であげた、「なぜ〜ですか?」が頻発しているクラスでの、ゴッホ「悲しむ老人」を鑑賞した記録と考察です。

 今回も、発言は観察から始まりました。「お爺さんが、悲しんで泣いている」という指摘。声がするわけでもなく、涙も描かれていないのですが、しっかり読み取っています。そして、一通りの…「家が古い。壁が汚れているから」とか「暖炉に火が入っている」とか「家の中なのに靴を履いている」「外国だからだよ」といった発言が相次ぎました。

 そして、「なぜ泣いているんだろう?」に注目が集まりました。

 今までの実践では、子どもが「なぜ〜ですか?」と発言し、先生(私)から「あなたは、なぜ〜なんだろう、それを知りたいんだね」と状況を返すだけだったのですが、今回は、「なぜ、このお爺さんは泣いているんだろう」とは誰も問わなかったけれど、「この人は、お婆さんがいなくなって、悲しんでいると思う」と、いきなり理由を発言する子が現れたのです。

 これはスゴイ!と内心思いました。自分なりに理由を考えている!

 

 しかし、私見を述べたなら、その根拠が問われます。そのために「うん、君はどこを見て、そう考えたの?」と聞きました。文科省も願う「論理的思考力の育成」のためには「根拠ある意見」であることが大切ですからね。

そうしたら。

 「お爺さんとお婆さんは、いつも一緒にいるはずだ。だけどここに描かれていないということは、いなくなってしまったんだ。だからお爺さんは悲しくて泣いているんだと思う。」…もう、ビックリです。

 大人だったら、こんな断定的には言いませんね。「〜かもしれない、かな?」みたいな留保がある。しかし彼は①自分の知識を動員して、②お婆さんが描かれていないことを発見して、③お爺さんの行動と結びつけて考えた、わけです。

 これは、観察力を超えた、物語を作る力です。本当にビックリしました。

 

すると、そのロジックを使って、他の可能性を示す子が現れたのです。

「本当は家族がいるけれど、お母さんや子ども達がいなくなって、お爺さんは悲しんでいると思う」 だって、お爺さんしか描かれていないから。

 

 さらに。「このお爺さんは、会社が倒産して悲しんでいると思う」という意見も。「どこを見て、そう思ったの?」と問うと、「だって、こんなにも悲しんでいるから」と、悲しみの程度を読み取っていたのです。

 

 後日、一応ネットで調べてみました。彼はなぜ泣いているのか?結果は「諸説あり」ですね。(あるいは複合かも)。①自らの老いによって生じている、孤独や悲しさ。②自らの、あるいは身近な人の死を思うことによる悲しみ。③社会的な貧困に対する悲しみ。

 これに子ども達の意見を当てはめてみると、前者2人は②、最後の子は③と近いということになりますね(貧困とは違うか…)。

 

 さて、ここに至って「観察」と「物語」の違いが相当鮮明になっているのではないかと思います。「暖炉に火が入っている」は「観察」、「お婆さんがいなくなって悲しんでいる」は「物語」です。そして、物語が生まれるトリガーは「なぜ?」という疑問詞ではないでしょうか。


 ここに至って、本年の「園だより」で書いてきた「なぜ?」という言葉の難しさ(※に後述します)と結びつきます。なぜ?という言葉は物語を生むけれど、それは裏返せば事実確認には向いていない言葉ということです。「どこを見て、そう思ったの?」は、だから絶妙な位置にある問いかけですね。事実と物語を繋ぐ問い。これは、なぜ?とは似て非なるものです。つまり、事実の指摘を促す問いなのです。

 この台詞、普段の生活でも使えますが、「なぜ?」と使い分けできるようになると、我々の立場(一緒に想像を広げるor考えの根拠を明確にする)をも変化させる力がありそうです。

 

 ※なぜ?という言葉の難しさ…問う側は一言で済ませられるが、「私が受け入れられる物語を言いなさい、というメッセージを伝えがち」という、結構な負担を強いていること。客観的な経緯よりも、問われた側の主観を答えるための問いになりがち。主観から離れた経緯を知りたいのならば、「なぜ?」は避けた方が良いという考え。

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