学校法人明照学園
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籤という公平性

籤という公平性

2017/06/07

 先週末から、年少さんの「机分け」にクジ引きが始まったようです。これもチャレンジングなところがあって、「クジという物を理解できるのか?」を見極めないとできません。そして、「クジ引きでお隣さんが決まっても大丈夫」という判断も。
 今までは、先生がいろいろと子どもの状況を勘案して指定席にしていました。「自分のお印はこれ!」というのは比較的早く理解してくれることもあり、それぞれの距離感も考えて。
 「そうでなくともよい」というのは(多分)、子ども同士のコミュニケーションが洗練されて来たという事なのだろうと思います。「ある程度、どの組み合わせでも大丈夫」という…。
 しかしもう一方で「クジの結果を受け入れる(だけの成長がある)」というのも見極めポイントです。特にいまどき、「自分の意見を言わない」状況は理不尽でもあり、苦痛になりがち。なにせ「生きる力とは、自分の意見を述べることを含む」のですから。
 そこに来て「自分の席は運任せ。どこになるか意見は言えません」ですから。

 けれど思うのです、「これも一種の公平さだな」と。
 もちろん全員の席はあるのです。「外れたら廊下」でもない。全員が同じ「ひとり一座席」なのです。
「先生の近くがいい」「○○ちゃんの隣がいい」…いろんな思いはあるでしょうけれど、ひとまず全員表明せずに、自分で引いた色の机に行く。「行った場所で楽しみましょう」という、ある種余裕のある状態…つまり「大丈夫」…になった、という成長の姿でもあるのです。
 自分の意見を言えないという理不尽はありますが、それ=「机を決めること」にまで拘らなくてもいいのではないかと思います。そういう「時期」があってもいい。けれどそれは一過性のもの。「いつまでも拘らない」は「いつまでも引きずらない」に通じているような気もします。
 「拘りを持つ」こと自体は否定しませんし大切だと思います。しかし、「拘るだけの価値」をどこに見いだしているのか、「拘るだけの価値があるか否か」をどう判断するか?「拘るべきものに拘れているか?」
 私が心の隅に置いている「生きる力」の一つです。

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