学校法人明照学園
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理不尽を通して

理不尽を通して

2016/10/24

芋畑ができました。

芋畑ができました。

 今日はお御堂参りで「三枚のお札」…は、それなりの楽しさがあったのですが(後述)、各学年で「芋掘りの絵画造形」を行いました。写真は年少さんのものです。クレヨンの色を重ね、ぼかしていってお芋を作るのですが、鈴木先生のリード、勉強になります。
「触ってみるとどんな感じ?どんな色かな?」「匂いは、どんな色かな?」「おいしそうって、どんな色かな?」…いずれも「理不尽な問いかけ」ではあります。手触りも嗅覚も、視覚で捉えられないからです。でもその問いがあって、子ども達は「何となく色を選ぶことができる」。そこに感性とかアートがあると感じるのです。年少さんも終わりになると、ついつい「○○は何色でしょ」と、「正しい色」の指導をしたくなるのです。が、先日の「果物観察」で見たとおり、「リアル」は追求しきれない。それは分かっているのに、ついつい「言語化された…言語にしかのらない部分で…指導」をしてしまいたくなるのです。多分、脳の本来の目的からすれば、「これはりんご。これは先生の顔」というのが見分けられれば事足りるのですから、そんなに細部は注視していないのでしょう。とすれば、理不尽な…理屈をすっとばした…言葉の使い方で、何かのイメージが成立しているのかも知れません。
 実際、そのような声かけ(正解のないもの)に対しては、殆どの子どもが躊躇なく自分で色を選びます。たまたま同じ、という子もいるかも知れませんが、ともかく「間違えようがない」。正解がないのですから。
 そのベースがあるから、きっと子ども達はのびのびと描けるのでしょうね。それはやっぱり「またやりたいな」に通じると感じています。

 さて、お御堂参り。お寺ですから、「お札」は沢山あります。下の寺務室にあった戒名紙に、それっぽいグネグネを書いて準備完了です。さて、話し始めに「知ってる〜」という声があったので、「じゃあ、園長先生が正しく話せるか、聞いていてね」と返しました(よくある返し方ですね)。
 話は後半に入るころ、三枚目のお札を使う場面です。
小僧「ああ、どうしよう!もう最後のお札だ!」 ここで子どもから声が上がりました。
子ども「落とし穴を掘ればいいよ!」 小僧「そうか、落とし穴、でろ!」ボヨーン。大きな落とし穴の出現です。
園長「あれー、深い落とし穴だな。よーし、と言って、山姥はさっき飲んだ川の水をプーッと吹き出しました。すると山姥の体は水に浮かんで、穴から這い上がってきたのです!」
 冷静に考えれば、穴に落ちた状態から水を全部吐き出しても、山姥の体の中から外へ移動しただけですから浮くには至りません。(でも園長も必死でした)。
またも追いかけてくる山姥。子どもから「もう一回、落とし穴!」の声がかかります。
園長「残念、お札は3枚しかなかったのです。だからもうダメ。小僧さんはお寺に辿り着きました。」と続けました。その後ももう一点改変したのですが、子ども達は気付いたかしら…原典は「和尚さんが山姥を食べてしまう」なのですが、今回は「お餅にくるんで、池に沈めてしまいました。おしまい。」でエンド。突っ込みがあるかな…。

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