月日は百代の過客というが
2015/03/07
何だか大袈裟な書き出しですが、50を目前に(47ですが…)、そんな事を感じる年代・感じる時期になりました。今週はブログの更新もおっつかない程に何やら色々あり、気がつくと週末になってしまいました。
お別れ園外保育(延期になりましたが)、子どもの謝恩会といった、「もう出て行く人たち」関係の行事が多いのも一つ。一年間、余りにも当たり前に一緒に過ごしてきた幼稚園ですが、「もう私たち、次に行くね」というメッセージを端々に感じてしまいます。園長は、毎年毎年…いつまでも見送る人。「先生達は、ずっと幼稚園にいるから遊びに来てね」という言葉には、ついて行けない寂しさが含まれています。
そう言えば、先日の講演会で、「人間は産道を通るとき、ぎゅーって凄いスキンシップをされる」旨の話を聞きました。生きているステージが変わる直前には、そんな摩擦というか「ぎゅー」が必要・あるいは避けられないのだろうなと、ぼんやり考えました。生まれてきた赤ちゃんをあやすとき、そーっとポンポンするよりも、けっこう明確にドンドン…表現しにくいですが…した方がいい、落ち着くみたいだと気づいた頃(約15年前)を思い出します。身体的なことでも、恐らく気持ちの上でも。
それは、生まれてくる時だけに限らず、「次の世界へ」への区切りとして、何度も訪れることなのでしょう。大概はカレンダーとか人為的な区切りで為されるのでしょうけれど、一人一人異なる思春期の発動も、同じことだろうと思います。「学校を卒業したのは3月だったけれど、”子ども”を卒業したのはこの時だったな」という感じの。
…いや、むしろ逆か。
私たちの子どもは、きっと将来、思春期になって精神的親殺しをして、私たちと対等な大人になっていきます。その人達に、私たちはバトンを渡さなければなりません。それはきっと、「学校を卒業した」以上に大切な事のはずです。とすると…
学校の卒業というのは、人が育つ上での「段階」を通過していく、そのシュミレーション・予行練習なのではないか?
そんな気がします。最初は母体との別れ。最初の社会である幼稚園との別れ。小学校・中学校…「形式的な別れ」を経験することで、いずれ訪れる「親との(精神的)別れ」の準備をしているのではないか。そして避けて通れない、この世との別れも。
年長さんにとって、残り僅かな日数になってきました。言うまでもありませんが、濃い時間を過ごして欲しいと思います。
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明照幼稚園
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