学校法人明照学園
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悩みながら(超長文)

悩みながら(超長文)

2014/12/08

 なんだか毎年、この成道会の時は同じようなことを書いてしまっている気がしますが…。
 やってきました成道会。「仏教は大人向け」と感じている今日この頃、「子どもたちにいかに話すか?どこを目的とするか?」は、なかなか見えない所です。毎年うーんと考えるのですが、どうもバッチリな話が見つからない(申し訳ない)。
 先週末、お寺の青年会で行ったお餅つきでも、やはり若いお坊さんが話していたのですが、何とも要領を得ない感じ。同じ宗派の坊さん(私)がそうなのですから、子どもたちは「???」だったのではないか。自分も週明けには幼児に話すのに…とか思いながら「やっぱり難しいなぁ」と感じていたのです。
 その理由の一つは、「お悟り」を言葉で言い換えられないからです。つまり、説明できないからです。お釈迦様ご自身でさえ、「悟ったのは分かるけれど、これは難しすぎて言葉にならない。だから話せないなぁ」と、7日間黙っていたというのです(結局、お釈迦様はたとえ話で説明することにしました)。普通、何か気づいたときは周りの人に言いたくなるものです。アルキメデスでしたか、「エウレカー」と叫んでお風呂から飛び出したのは。それはともかく、「内容を言葉で説明できない」という根本的な困難があるのです。
 もう一つは、「仏教は大人向け」ということなのですが、宗教は要するに「要するに…」の話、つまり骨子とか概念とか、具体的ではない訳です。それが伝わるためには、受け取る側に生活体験というか「ああ、いつかの。体験したことあるなぁ」という積み重ねが必要だからです。「嘘をついてはいけません」という、ほとんど道徳にしても、嘘をつかれて嫌な気持ちになったとか、ひどい目にあったという体験がなければ、「嘘?って何?」と、まさにお題目状態(言葉に対応する体験がなく、言葉だけで宙ぶらりんになってしまう)だからです。幼児は当然ながら、生活体験は多くありません。そこへ、どんな話をすればいいのだろうか。「園長先生も、お悟りって、よく分からないんだ」ではしょうがないし。
 で、半ば苦し紛れに、今日はこんなお話をしました。

 お釈迦様は王子様として生まれて、かなり贅沢な暮らしをしていました。おうちは3つあるし、そのための門はたくさんあるし、お世話してくれる人もたくさんいる。もちろんお金持ちで毎日おいしい物を食べて、退屈なら歌でも踊りでもお話でも、いろんな人たちがしてくれる。けれどお釈迦様は幸せではなかった。
 なぜか?世の中には、「思い通りにならないことがある」から。年を取りたくもないのに老人になり、元気でいたいのに病気にもなり、嫌だけれどいつかは自分も死ななきゃならない。そもそもこの世にだって、生まれたいと思って生まれてきた訳じゃない。
 何だか思春期の青年みたいなんですが、とにかく彼の問題意識はここにありました。「思い通りにならないことがある。それが、この世の苦である」と。で修行する訳です。とりあえず色んな苦行をしてみるけれど、頭がぼーっとするばかりでイイ考えが浮かばない。で菩提樹の下に坐って瞑想するわけです。で坐り続けて「悟りを開いた」訳です。つまり、彼の問題に対する答えを見つけた、と。

 ここでズバッと言えればいいのですが、今日はこんな話にしました。
 自分で左右できないものは、とりあえずそれとして諦めよう。その代わり、自分ができることを見つけて、精一杯すればいいんじゃないか。具体的に何かと問えば、①明るく生きよう、②正しいことをしよう、③人と仲良くしよう、これは自分で決心すればできる。
 どっかで聞いた牧師さんの話に似てきました。
「ニーバーの祈り」ですね。

神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

似ています。彼は仏教者ではないかと思うくらい似ています。実は彼は最後まで「神に与えられる」というのが、仏教でいう「智慧=自らの力として持つ」と決定的に違う所なのですが、似ています。
 仏教の「明るく・正しく・仲良く」の方が一歩踏み込んでいる感じはするのですが、ニーバーの方が全体像を示しています。仏教でいう「苦を苦として受け入れよ」も言語化されていますから。
 そんなことを(男らしく)悶々と考えていたのですが、先生方の日誌を見ると、あるシーンで「それはお釈迦様の願いと違うよ」と子どもが言っていた、という記述がありました。びっくり。子どもなりに何とか吸収しようとしてくれていたのかと思うと、嬉しくなりました。
 年少さんであれば、「お釈迦様」とか「成道会」という言葉に聞き覚えがある、年中さんであれば「明るく・正しく・仲良くだよ」と取り敢えず言える、年長さんであれば「今きっと、お釈迦様は喜んでるね」みたいな話が稀に見られる…くらいが私の願いです。
 子どもたちに、物事の価値とか正しさを伝えるのって、本当に難しいですね。でも、理論ではなく出発点として、「どんな価値観を持って生きているくのか」は、まさに小さいうちに示すべきだと思っています(理論とは、出発点からゴールへの正しさであり、出発点そのものの正しさを保障しない)。でないと「儲かればいいから」に堕する危険が高いです、今の世の中。「私さえよければいい」も多いですし。
 くだんの「明るく・正しく・仲良く」は明治時代の日本のお坊さんが訳出(?)したんだそうです。ありがたや。

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