有名作品を鑑賞すると起きること
2026/04/08
過年度のことではありますが、年長組の絵画鑑賞最終回、ムンクの「叫び」を取り上げました。パッと開くと、「知ってる!ムンクだ!」と大人気。知名度が高いですね。
「まぁまぁ、落ち着いて。まずは暫くよく観察してね」と言ったものの、「これは知識で来そうだな」と、少し身構えました。
「はい、この絵を見て、何か気づいた人。」「ハイハイ、ムンクの叫びです。この本に載っているもん」と図鑑を指さす子。そうだよね、声を大にして言いたいよね、と思いつつ。
「この絵の、どこを見て、そう思いましたか?」と観察に引き戻します。
「だから、叫びだって。」「うん、どこを見て叫びだと思ったのかな?」ーあくまで観察という路線に戻します。
知識合戦は、最初から勝負が決まっているからです。それは過去の蓄積であって、私が求めているのは「いま」の活動なのですから、「どこを見て、そう思ったの?」は手放しません。
それから、絵の観察に入っていきました。口・顔・手・色…そして、前回同様、「背景の細部」への言及が増えてきました。

あるタイミングで、視線が画面右側の白っぽい場所に集まりました。A「あそこは日が当たっている」。B「緑が少しあるから、草が生えている」。C「いや、あそこは砂浜だよ」という意見。
Bさん、少し考えました。「あそこには、ワカメとか海藻がある」。
思わず「いいんだよ、自分の意見を言えば。曲げなくていいんだよ」と声を掛けましたが、その次に気づいたのです。Bさんの「周りを否定せず、なるべく全部を成り立たせようとする」願いのようなものに。
日本人は日和見とか風見鶏とか言われて、なにしろ「自分の意見を持っていない」とか「信念が弱い」とか言われます。それを請けて国でも「対話しよう、ディベートできるようにしよう」との声が大きいですが(この活動も、その中に位置づけられてはいるのですが)、幼児におけるそれは、水掛け論になりやすい。対話が成り立つ為の視野視点の自由さが、まだ育っていない。
だけど、「極力全てを肯定する解釈」を建てようとする。それって…単なる未熟ではないような気がしたのです。自分なりの解釈を表明できるのはよいこと。その組み立てを論理立てることもよいこと。けれど、価値はそこにだけあるものじゃない。相手との一致点を探すことも、やはりよいことです。
人間だれしも、「自分と周囲の考えが異なる」のは不安になるものです(それこそ移民の問題を見ても!)。けれど、それへの対応は多様です。「論破が正解・対話が正解」と言われやすい現代ですが、結局は「いろんな対応ができる」のがベストなんだろう…という直感を、ここに置きます。
--------------------------------------------------------------------
明照幼稚園
住所:
東京都文京区小石川4-12-8
電話番号① :
03-3815-0166
電話番号② :
03-3811-1306
文京区のより良い環境で教育
--------------------------------------------------------------------


