「諦め」について
2013/07/21
最近、テレビでは「少女」事件についての報道が続いています。仏教者として心を痛めております。
仏教では、世の中の様子について「四諦」つまり4つの見方を説いています。その第一が「苦諦」。砕いて言えば、「世の中には苦しみがある。苦しみとは思い通りに行かないことである」なのでしょうが、この事を仏教者が伝えていない・サボっていると言わざるを得ません。
もっと上手い言い方をする人もいます。「分かり合えないことから(平田オリザ)」。そう、親子も夫婦も独立した個人として扱うなら、当然の帰結として「分かり合えないことから出発する」しかないのです。言わば0点からの積み上げ。基調が0ですから、何があってもプラス。どん底からのスタートです。対して「人間、分かり合える」という前提は「100点からの減点」ということもできるでしょう。勢い日々起きる事が辛くなる。
「分かり合えたらいいね」、その理想を描くのは結構です。しかし同時に現実の認識として「最終的には分かり合えない」と知って=諦めておきなさい。それを仏教者は伝えるべきであるのに、していない。声が小さい。伝え方が不十分。
「ネットで悪口を言われた」。それは教室で、あるいは町中で言われたのと同じように感じるのでしょう。でも。「ま、他人だからね」で受け流して行けたなら、こうはならなかったのではないか。つまり、「ま、他人だから思いはそれぞれだね」と言えるシーンがそれまでにどれだけ作れていたか、経験させておけたか。家庭や幼稚園で送る日々について、改めて考えさせられます。(多分続く)
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