受け取らないと、送り主に戻っていく…素話の力
2025/12/30
年内最後の「お御堂参り」を行いました。素話…といっても今回は、お釈迦様のお話をしました。「悪口を受け取らない」というものです。
こちら原典はたいへん古い…アッコーサ経というものに含まれた話だそうです。さて、その内容は。AIの力も借りて、現代風にしてみました。
あるとき、通りがかりかの若者が、お釈迦様に色々と悪口をぶつけてきた、と言うのです。その時の会話が、このように記録されています。
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釈尊:「おまえは、祝日に、肉親や親類の人たちを招待し、歓待することがあるか」
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若者:「そりゃ、あるさ」
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釈尊:「親族がそのとき、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか」
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若者:「食わなければ、残るだけさ」
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釈尊:「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、その悪口雑言は、だれのものになるのか」
そうです。「受け取らない」という選択ができるよ。こちらが受け取らなければ、出した元に返るよ。そんな教えなのです。
私自身、初めてこの話に触れたときには、大層な驚きがありました。現代日本では、「人が何かアプローチしてきた時は、ちゃんと受け取りなさい」と育てられますからね。「お釈迦様が、受け取らない選択をするんだ!」と、ビックリした訳です。
しかしよく考えてみると、世の中では悪意を向けられることも、確かにあります。毒物を向けられることもあるかも知れません。それを断る・絶つ・関わらない・受け取らない。現代の世相を見ても、「断る勇気」は確かに「必要な力」として認識されてきていると思います。
仏教的には、因縁のお話しとなります。「悪口を言った」という因があっても「受け取らなかった」という縁を通ると、「自分へのブーメランになる」という訳です。私がかつて受けた教えでは、「縁は全て受け取れ」というでしたが、現実的に身を守る術として、知っていても良いのではないかと。
実際、ある卒園生の話なのですが…小学校へ行ってから、いじめに遭ったのですね。でも彼は「僕は受け取らない」と表明した。先生にも明言した。そして、「僕の幼稚園の園長先生はお坊さんで、こんな話をしてくれた」ということを大事に保っていてくれたのです。
もちろん、周りの人たちの協力も大きかったでしょう。けれど、彼はいじめに打ちのめされなかった。少なくとも心は、いじめをはねのけた。その話を聞いたとき、私は何とも胸が熱くなったのです。お御堂参りの素話が、彼に力を与えたようだ。私を信じて、立ち向かってくれた。本当に有り難い経験です。
素話というのは、その日翌日、役に立つことを教えてくれる訳ではありません。荒唐無稽なものもあるでしょう。けれど、こういったこともある。彼なりに真正面から受けとめ、「今だ」!と使った。ある意味、彼の人生の一部を支えた。ぜひ語り継ぎたい、話なのです。
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