教育理念
子ども達の成長のために、必要なことを。大切なことを。
幼稚園は、基本的に教育機関の1つであり、家庭での「育ち」を補完するものです。言い換えれば、家庭の延長ではなく、「ならでは」の育ちのある場所です。具体的には、集団生活を通して社会性を身に付けることで、「人間」=人と人との間に生きるもの=としての育ちを促すことが根本と考えております。 このような幼稚園としての根本のあり方を見据えた上で、時代にあった教育内容と方法を取りれています。教育理念
子どもの成長のために、必要なことを。大切なことを。 日々に変化をしていく子ども達。生活を重ねて自然に伸びるだけでなく、それを踏まえた上で「現代日本に生きる」子どものための「教育」を行っていきます。
教育目標

<おみとう参り>
- 「器用に暮らせる子ども(知育的側面)」
- 「気持ちよく暮らせる子ども(徳育的側面)」
- 「安全に暮らせる子ども(体育的側面)」

教育目的
「人生を楽しみ、主体的に社会を作っていける子どもを育てる」 子ども達が、20才、30才になった時、どのようであれば「幸せな人生を歩んでいる」と感じられるでしょうか。そのためには、- 身体そのものも含め、色々な道具・言葉・知識を使いこなせる
- 明るく、前向きで将来に期待を持てる
- 危険を回避し、自らを守ることができる

基盤となる考え方
全てのベースとなる考え方は、「子どもには”遊び”や”学び”という概念区別はない」と言うことです。 自らを取り巻く環境に対して関心を持ち働きかけ、そこから何かを得ていく、というプロセスが、成長の姿です。学校でイメージする「遊びの時間」「学びの時間」は、幼稚園では区別されないのです。「体験から学ぶ」と言い換えることもできるでしょう。■「遊び」とは何か?
勿論、教師として、様々な事柄に興味を持てるよう働きかけをします。幼稚園では、「遊び」を大切にします。究極的に「遊びである」ということは、「○○でなければダメ」ではなく、「即できなくとも、間違えてもいい。でも、この方向で成長して欲しい」という大らかで粘り強い視線、関わり方と捉えています。 例えば、種々のせいさく。手際が悪かったり、思うようにできないこともあるでしょう。そんな時も「ダメだ」と否定するのではなく、「できるようになるといいね」という視線を持ち、何度も教えるということです。 あるいは、「何度言ったら分かるの!」と言いたくなるシーンも、子どもが育つ中には沢山あります。同じ事を何度も繰り返す。その中で、ある日変わっていくのが子どもの姿ではないでしょうか。それを待とうとする側の「ゆとり」。それも「遊びという捉え方」でしょう。 つまり、「遊び」を視点として持つことで、経験全てから成長を促せると考えているのです。上手くいっても得る事があり、そうでなくとも得ることがある。 もちろん、「玩具で遊ぶ」「庭で遊ぶ」といった意味での「遊び」も幼稚園にはあります。子どもが自らを発揮する場としての「遊び」です。しかしそれと同等に、大人の・教育者としての視点からも「遊び」を大切にしたいと考えています。
■カリキュラムの編成
また、一斉保育と自由遊びは、単に並んでいるだけでなく、相乗的に成長を促すと考えます。つまり、お互いに影響しあい、プラスの循環を作っていくことを意図します。 「幼稚園」という場で経験した様々な力は、 最終的に実際の生活で使ってこそ役立ち、身につくと考えています。「何をやっても練習。何をやっても身に付ける過程」。遊びを、そんな風に言い換えることもできると思います。 なお、具体的な生活の流れ、様子については「生活の様子」「園長の徒然」のページもご覧下さい。

沿革
関東大震災の翌年、大正13年に明照幼稚園は始まりました。焼け野原になった東京の町で、当時の住職が「今、寺院としてできる 社会貢献は、幼児を教育することである。それが社会を再生していく道だ」という志がかたちになったのです。以来80有余年の歴史を数えます。当初は浄土宗「光円寺」の幼稚園でしたが、 昭和39年に学校法人となり現在に至っております。最初の卒園生は24人だったそうですが、今までに数千人の卒業生を世に送り、 すでに「明照幼稚園3代目」という方もいらっしゃいます。平成19年3月には新しい園舎が完成し、皆さんに沢山の喜びを与えられるよう、 そして創立者の思いに沿えるよう、教職員一同歩んで参りたいと思います。

旧「教育目標」
【改訂の意図】2010年
○前園長の考えを覆すものではなく、深化したい。
○子どもの視点に立ち、その目指す姿として表現する。
○「遊び」をどう捉えるか、を明示する。
○一斉保育と自由遊びの関係、子どもの生活全体を視野に入れる。
「知育」では、日々の生活の中で、様々な「遊び」を通じて、 また工作をしたり、歌を歌ったりするなかで、「自分のできる事」を増やしていきます。 また「よい生活者」として知っているべき事柄も、繰り返し伝えていきます。
特に多くの言葉を身につけていく過程で、気持ちや思いを表現し、受け止められる子どもに、 また「やりたい事を成し遂げる」力をつけてほしいと思います。 また、希望者対象に「特別保育」の時間を設け、学年に応じた、 少人数での指導も行っております(受験対策ではありません)。
「徳育」では、特に挨拶や言葉遣いの指導を意識的に行っています。 言葉は人間関係を築いていく第一歩となることが多いのですが、 その中で「自分から挨拶できる積極性」や「相手との心地よい距離」を持てることを大切にし、 また多くの人たちの「おかげさま」を頂きあっていることを、「お御堂参り」などを通じて伝えています。
「体育」 とは、「サッカーができる」「水泳ができる」ということではありません。 脳も体の一部、手の器用さも体の一部、喋ったり表情を作るのも、みな体の働きです。特に幼児期は体の発達著しいですが、 「怪我をしない、器用な体作り」を主眼に、 事故などを未然に防げる子どもに育てたいと考えています。 専門の先生と担任で、連携しながら指導しております。
以上の3つの柱に加え、最近では「食育」 ということも言われるようになってきました。園でも意識をしています。
これらは全て「育ち」の側面です。 どこか1つの面だけが伸びるのではなく、伸びている子どもの一つの見え方が、それだということなのです。 体操を通じて言葉を理解(体得)し、人への思いやりや悔しさを味わう事もあるのです。 つまり「目指す所は全人的な育ちなのだ」という原則をしっかりわきまえ、 子どもたちの環境を整える指針にしたいと思っています。
【改訂の意図】2010年
○前園長の考えを覆すものではなく、深化したい。
○子どもの視点に立ち、その目指す姿として表現する。
○「遊び」をどう捉えるか、を明示する。
○一斉保育と自由遊びの関係、子どもの生活全体を視野に入れる。
【教育目標(旧)】
常に言われることですが、教育には3つの柱として 「知育」「徳育」「体育」という側面があります。これらのどれ1つ欠けても、子どものよい育ちはできないと考えております。また、子ども達が身につけた力を発揮できる、ゆとりある環境が大切です。「生活の様子」「園長の徒然」なども併せご覧下さい。「知育」では、日々の生活の中で、様々な「遊び」を通じて、 また工作をしたり、歌を歌ったりするなかで、「自分のできる事」を増やしていきます。 また「よい生活者」として知っているべき事柄も、繰り返し伝えていきます。
特に多くの言葉を身につけていく過程で、気持ちや思いを表現し、受け止められる子どもに、 また「やりたい事を成し遂げる」力をつけてほしいと思います。 また、希望者対象に「特別保育」の時間を設け、学年に応じた、 少人数での指導も行っております(受験対策ではありません)。
「徳育」では、特に挨拶や言葉遣いの指導を意識的に行っています。 言葉は人間関係を築いていく第一歩となることが多いのですが、 その中で「自分から挨拶できる積極性」や「相手との心地よい距離」を持てることを大切にし、 また多くの人たちの「おかげさま」を頂きあっていることを、「お御堂参り」などを通じて伝えています。
「体育」 とは、「サッカーができる」「水泳ができる」ということではありません。 脳も体の一部、手の器用さも体の一部、喋ったり表情を作るのも、みな体の働きです。特に幼児期は体の発達著しいですが、 「怪我をしない、器用な体作り」を主眼に、 事故などを未然に防げる子どもに育てたいと考えています。 専門の先生と担任で、連携しながら指導しております。
以上の3つの柱に加え、最近では「食育」 ということも言われるようになってきました。園でも意識をしています。
これらは全て「育ち」の側面です。 どこか1つの面だけが伸びるのではなく、伸びている子どもの一つの見え方が、それだということなのです。 体操を通じて言葉を理解(体得)し、人への思いやりや悔しさを味わう事もあるのです。 つまり「目指す所は全人的な育ちなのだ」という原則をしっかりわきまえ、 子どもたちの環境を整える指針にしたいと思っています。