明照幼稚園

収穫シーズンイン

6月 20th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (収穫シーズンイン はコメントを受け付けていません。)
 今年も野菜の収穫が始まっています。すでに年少さんは結構な量のキュウリを手に入れ、「チクッとして痛い!」とか自然と直接関わる経験をしています。
 今日は、お御堂参りのあとで、年長さんがナスの収穫をするのを見守りました。思惑としては「お泊まり会で食べようね」なのですが、すでに熟した実がたくさんできています。ナスもまた、ヘタにトゲがあるんですよね…何気なく手を伸ばす子を見ると、ちょっとドキドキします。
 ナスを生で食べる機会、幼児に多くはないだろうと思います。「浅漬け」にはしていますが、今後どのような出し方をするのか、先生方も思案中のようです…ぬか漬けって難しいのかな?
 枝豆も実が付き、膨らんできました。食べ頃を迎えたら、一気に収穫〜茹でて〜食べたいと思います。
 年中さんのサツマイモですが、だいぶ元気に葉と茎を伸ばし始めました。出始めると勢いが凄いですし、収穫後も縄跳びにして遊んだりもできます…けれど「時間がかかる」もの。それに付き合うのが、大切な経験だと思います、野菜について。
 ちなみに今日は「浄称堂の傷薬」として紹介されている話をしたのですが、出典不明です。和尚さんとカッパのやりとりなのですが、和尚さんがキッチリした方で、「その薬が本当に効くのか、自分の身体で試してみなさい」とか、「心は優しいけれど抑える点は厳しい」感じ。「坊さんとは、自分の価値観だけではないく、仏教を学んで実践している故に信頼され尊ばれる」のだろうな…と身につまされたり自省の念を生じたりします。

好きが高じて

5月 28th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (好きが高じて はコメントを受け付けていません。)

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 今日は曇天でしたが、無事にお御堂参りをすることができました。お話は「絵から抜け出た馬」。これも中々示唆に富んでいると感じました。
 焦点は小僧さんなのですが、「お経の勉強はやらないで、暇さえあれば好きな絵を描いていました」というのですから、現代も同じ…ような光景は見られますね。和尚さんに見つかっても、やめない。するとそのうち上手になるわけです。
 馬の足跡は、小僧さんの部屋まで続いていました。不審に思った村人や和尚さんに問い詰められて、ついに「絵を描いていた」ことを明かします。
 その後の展開が、救われます。「そんなに好きで上手ならば、絵を描いて周りの人に差し上げなさい。いいものなら、みんな喜んでくれますよ」と終わるのです。麦のことは、取りあえず不問。お経の練習をしなかったことも、取りあえず不問。自分の才能を活かしたことをやり、周りに喜んでもらう。ああ、いい展開です。
 私の知人の中でも、「この子は芸術関係が好き・得意」ということで、いろんな稽古もして、コンクールに出たりして…。でも「やっぱり勉強(も)させます」と、どこかで「勉強できます!」コースにシフトしていく子は多いようです。まぁ、それが現代いちばん堅実なルートだとは思うのですがね。
 件の小僧さんが、その後どうなったのか…お経ができずに放り出されたか、お寺を捨てて絵の道に進んだのか、はたまた「絵を描く坊さん」として生きていったか、…分かりません。分かりませんけれど。
 私としては、「絵を描く坊さん」が一番いいな、と思います。坊さんというのは、実は幅広い活動ができるのですから。「お経を読んでいる」だけが坊主ではないのです。

「緊急のお願いです」?

6月 15th, 2015 | Posted by Sato in 日々の姿 - (「緊急のお願いです」? はコメントを受け付けていません。)
 今日は蒸し暑い一日でした。お御堂は普段は涼しい方なのですが、今日は肌にべたべたと湿気を感じました。そんなことで「暑いというより、蒸し暑い」という言葉を子ども達に伝えながら「大工の鬼六」のお話をしました。
 川が増水して橋が流され、大工さんが途方に暮れていると鬼が来て作り直してくれる。ところが鬼の名前を当てないと赦してくれない。しかし小動物が歌で名前を教えてくれて助かった…というものです。
 これ、「名前を呼んでくれること=関係ができること」で救われていく話なのですね。野暮な解説はしませんでしたが、「俺の名前を言ってみろ」「鬼六さん」「そうか…よし、もう一回言ってみろ」「鬼六さん」「そうか…うん、もう一回言ってくれ」「…鬼六さん」のやり取りを繰り返す中で、呼ばれた鬼六の心地よさ・嬉しさを表現してみました。もちろん子どもの「面白がりポイント」になります。名前を呼んで返事するというのは、今は日常過ぎて何の変哲も無いと思うかも知れませんが、今後小学校へ行ったり、上級の学校へ行ったり、あるいは見知らぬ所で「初めて名前を呼ばれる=関係ができていく」ことは何度もあります。いつか、この意味に気づいて欲しいなと思います。
 そして年少さんは、収穫したキュウリを食べているところに遭遇しました。ほんの一切れづつ。その希少性がいいのです。お腹いっぱい食べる必要はなく、一口食べてみる。舌にのせることが経験です。
 年中さんは、輪繋ぎを作っていました。いくつ?たくさん!という感じ。裏表や貼り方、糊代のとりかたなど、いくつかのポイントをおさえての活動です。長く大きくなってくると、また新たな楽しさが湧き上がりますね。
 年長さんは、朝顔の観察日記など描いていたのですが、圧巻はお帰り間際の「スプリンクラー」。わざわざ吹き出し口に寄っていくのは男の子が多いです(園長含む)。"お馬鹿さん"ではあるのですが、可愛らしくも「それがいずれ、勇気の原点になる」と思って見ていました。
「あー、連絡網を回して、着替えを持って来てもらいましょうか?」「緊急のお願いですって言って?」水曜日でなくて良かったです。着替えを準備して下さって、ありがとうございます。

スケールの違い

5月 11th, 2015 | Posted by Sato in 行事 - (スケールの違い はコメントを受け付けていません。)
kane 今日は年度2回目のお御堂参り。前回はとにかくウケ重視、スピーディーを念頭に置いていたのですが、子ども達も慣れてくるので、少しずつ「通常の」お参りに向け舵を切っています。お話は「お地蔵さんの田植え」。正直な若者を、お地蔵さんが助けてくれる話です。最後に、田植えをして汚れたお地蔵様の足を、若者が拭いてあげて終わるところがいいなぁと思います。
 そして、年長にとっては、「終わってからのお片付け」2回目でもあります。前回と反対の組で、お御堂から出る順番は最後になります。で少し時間が出来るので…

お寺の鐘を鳴らしてもらいました。

 「おばあちゃん家にある!」(お鈴ですね)との声も聞かれ、多少のなじみはあるようですが、何と言ってもスケールが違います。「これは、100年ほど前に作られた物です。大きな音が出ますけれど、思いっきり叩いてしまうと壊れてしまいます。壊れると…直せません」。シーン。みんな神妙な顔です。
 なので、写真の顔はみんな、すこしおっかなびっくりなのですが、みなそれぞれ、澄んだ音を響かせていました。鈴は鳴らしたことがあっても、大磬(だいきん)は初めてだったと思います。そして、スケールが違うと、別物になるのです。
 こんな所にも、物事の多様性はあると思います。