迷った時には


 今日は12月・1月生まれのお誕生日会でした。司会の先生も話していましたが、ちょうど「大寒」にあたり、「来週には雪が降るかも知れませんね」などとお話していました。
 私からは「赤ちゃんが笑うようになる(学習の)しくみ」をお話しました…と言っても、「周りが笑顔で赤ちゃんを囲むことで、自分から笑顔を作れるようになります。周りの笑顔があるから、赤ちゃんも笑顔を出すのです」という、まさに「学習」について。「子ども達が身に付けている笑顔は、親御さんはじめ周りのみなさんから頂いたのですよ(周りから貰えなかったら、笑顔を出すようになりません)」という話でした。
 年度も終わりが見えてきて、子ども達もすっかり幼稚園生活に慣れた様子。年少さんの「3クラス合同」も、楽しんでいる姿が見られました。子ども達が育っていくのは、本当に嬉しいものです。
 そして、今日お配りした「お誕生日会参加おまけ」は、軽い話ではありませんが、厳選してのものでありました。

結果が読めない時には、筋を通しておくことが、未来の自分を支えてくれることになるだろう

というものなのですが、最近とっても思い当たるのです。特にお坊さんとして人様にお話する時や、いろんな原稿を書くときなど。「自分、本当にこれを実践しているのか?」「イザという時にできるのか?」という不安を感じるのです。
 だからやっぱり、「日々の積み重ねなのだろう」と思うのです。「イザ」という時に自然と出るほどに自分を慣れさせる。いちいち「万が一の時に慌てないように」とか思考しないでも、反射的に行動できるほどに。
 「結果が読めない時には」と言っても、それは実際「未来すべて」でしょうよ。不安でビクビクしているときこそ、昔から言われていることや原則を貫く。不安な心に判断させてオロオロするより、よっぽど爽やかに生きられるような気がします。
 去年生まれた子が成人の時、私はすでに70歳。一人前になるまで、ちゃんと支えてあげられるだろうか。私はどこまで見届けられるのだろう。抱っこして安心しきった寝顔を見る度、そんな思いに駆られています。