やもりんの死

 多分はじめてではないでしょうか、タイトルに「死」という字を入れたのは。園長としては、一面辛い事でもあり、また他の一面では「ついにその機会が来たか」という思いでもあります。
 年長さんがクラスの一員として育てていた、「やもりん」が死んでしまいました。先週は寒かったこともあり、いくつかの条件が重なってしまったようで、気がついたら既に事切れていたそうです。
 子ども達も、先生も結構がっくり来ている様子でした。みんなでエサを探し、飼い方の注意を調べ、じっくり観察させて貰い…お揃いの名札も作ってありました。
 お寺のお墓に場所を決めて、みんなで埋葬しました。「この木の所だから、いつでも分かるね」「毎日、手を合わせに行こう」ということになっているんだそうです。
 ああ、本当に「クラスの一員」のように考えていたんだな…。一生懸命心配し、お世話したけれどもダメだったんだ。みんなでその現実を受け入れたのだな。とても価値ある経験をしたと思います。

 明照幼稚園が根っこに持っている「仏教の教え」は、「自然の仕組みやことわりを知り、それに対して素直であれ」、と言っているように思います。この世には、いくつもの「苦しみ」=「思い通りにならないこと」があります。もちろん、思い通りになる事も、少しはある(勉強すれば試験の得点が上がりやすい、とか)。どうも西洋文明は、この「思い通りになる」ことを至上の価値として、「そうでないこと」に対して素直で…謙虚でいられないように見受けられます。

 思い通りにならないことは、ある。けれど、それを受け止めることはできる。その懐はある。

単純ではありませんね。もちろん、最初から全てを諦める必要はありません。
 多分仏教とは、「思い通りにならないことを、それとして潔く受け止める。そして、自分が何とかできる事について、注力せよ」という教えではないかと思います。
 いつかも紹介したかも知れませんが、改めて「ニーバーの祈り」を紹介します。

神よ、
我に
変えられるものを変える勇気と、
変えられないものを受け入れる心の静けさと、
変えられるものと変えられないものを見分ける知恵を
お与えください

ま、仏教では「神に与えられなくとも、正しい行いと修行をしていれば、身につきますよ」と言っていますけれど。それはイコール「お覚り」でいいんじゃないかと。