鬼の仕業

 幼稚園では、節分の集いを行いました。3日は日曜日ですので少し早かったのですが「一年の最後に行う行事です」と紹介しました。
 以前も書いたような気がするのですが、「鬼はらい」という考えは面白いですね。「腹の虫の居所が悪い」にしても、「その人・そのもの」が善だ悪だというのではない、という点が。人そのものはフラットで、時によって操られるように悪さをし、導かれるように善いことをする。性善性悪どちらでもないのだろうと。故に、「悪を遠ざけ善に近づく」ことが薦められるのでしょう。「本物をたくさん見ていることで、見る目が養われていく」のに通じているような気がします。
 「環境を整えることから学習(という作用)が起きる」という教育観と、日本伝統の行事が通底しているように見えるのは興味深いことです。
 さて、各学年の記録を読んでいると、その差というか成長の姿がよく見えます。

①年少組では、「何だかよく分からないうちに、嵐のような襲来があってアッという間に鬼が去って行った」という感じだったようです。呆然としてしまったり、泣いてしまう子も。
②年中組では、やって来た鬼達が「実は誰なんだろう?」に関心が強いようですが、それでも「鬼が来た」というストーリーをしっかり理解し、「鬼はそと、福はうち」と大きな声を出して豆まきをしていました。
③年長組は、他の2学年に対して反対の立場で参加する訳ですが、「今度は年少さんだから、余り怖がらせないようにしようね」などと、完全に運営側の立場であることを分かっていました。「適度に怖がらせ、でも怖がらせすぎないように」という塩梅を図ろうという姿は3回の経験を通して育ったものだと思います。
 豆まきにおける「主体性の発揮」とは、この年長さんの姿を指すのでしょうね。年少・中はそれに至る経過を見てもよいのではないかと思います。