活動を支えているのは

 昨日は大分心配しましたけれど、明けて今日はよいお天気になりました。近年はお天気も極端なことが多く、予想とか決断が難しくなっているなと感じます(園長就任の年、ことごとく行事で降られたことを思い出します)。
 また、昨日は文京区の教育委員会からも異例の予告通達があり、「幼稚園はどうなんだろう?」とご心配されたのはごく自然なことと思います。

 今日は幼稚園、「通常どおり」の運営ですので、朝9時から登園・みたままつりの集いも行い、その後園庭・ヤッホーで遊んだり、収穫したトマトをピザにして食べたりと、実に様々な活動を行っています。集会の予定でなければ、きっとプールで歓声があがっていることでしょう。
 短縮時期ですから時間にすれば3時間に満ちません。しかし、これだけの活動と笑顔と気持ちの動きがあるのです。そして、それを支えているのは、「保護者の方の理解と信頼」であると思います。
 現代はメール連絡網という便利な物ができました。我々としても「伝えそびれてしまった!」という事を慌ててご連絡することもあります。しかし、何事も「便利さ」だけで成り立っている訳ではありません。「便利さ」以外の軸で、何か悪い変化が起きているかも知れない。その疑いは持ち続けています。よく言われる「メール疲れ」「SNS疲れ」だって、「便利さ」は確実に高くとも、その他の部分で「疲れ」が出ているのですから。
 「便利さ」は、たいがいどこかの会社・業界の利益と繋がってますから、その辺りかも知れません。

 警報・注意報の扱いについては原則を年度初めに御案内しております。多くの学校がそうしているでしょう。当園でも「気象庁が危険発生を警告しているんだから、それに従う」というスタンスで考えてはいますが、究極的には「子どもの安全は、親が守る。自ら情報収集し、決断する」と心得ておくべきであります。
 国にしても何にしても、(そして明照幼稚園にしても)絶対の信頼は置けないのだろうと思います。最終的には1%でも疑いを残しておくべきではと。そしてそれが、「責任をとり続ける」「考え続ける」ということであり、この「継続性=コミットメント」が「終わることのない絆」なのではないかと思います。
 もしかすると…どっかの政治家が言っていた「社会で子育てする」というのが、「親と子どもを引き離す(そして、親は稼いで納税)」と同意になりつつあるのかも知れません。「子育ての第一義は、両親はじめ保護者にあり、と謳っているでしょう」というエクスキューズを盾に出されて。
 親が子を、「いずれ社会を構成する一員として育てる」のは明らかに正解です。しかし、それは言わば「その子が大人になった時の社会」であり、「現在の延長線上にある社会」ではないのです。そこははき違えないようにしなければなりません。

 何て大きな事を書いたのでしょう、今日は。このお天気がスカッと気持ち良く、子ども達の元気な声で幼稚園が満ちているからですね、きっと。