問うこと
バザーと人形劇が終わり、一学期の大きい行事もだいぶ進みました(あとは体操参観です)。毎年のバザーの進め方を脇から見ていて思うのですが、お母さん方は「今までのものをベースにし、活用しながらも新しいものにしていく」ことが本当に上手です。「あの装飾、どこかで見た覚えがあるような…」と思っていると、確かに以前の物をうまく加工?しているのです。生活の中では、この「既にあるものを活かし、新しいものを作り出す」という営みが、日々あるのですね。「どうなっても全否定とか致命的ではない。しかし、問題点は残るかも知れない。ただ、トータルそれで構わない」。きっと、お料理というのも、おそらく子育てというものも、その一つなのだろうと思います。
ひるがえって考えると、特に小学校以降の「勉強」は、「知ってる・知らない/正解・不正解」という極めて単純な、白黒つくような価値観…というか課題に接していくことになります。マルバツがつくのは「分かりやすい」という特徴はありますが、そんなデジタルな価値観は所詮生きることの一部でしか役立たない、ということを知るべきですね。
この間、息子の『銀の匙』というマンガを読んでいたら、お勉強エリート君が、「ああ、正解のある問題って何て単純なんだ」的なことを言っていました。そう。人生のしんどさを知れば、学校の勉強なんて大したことない。そう思えるだけの生活をしていかなければならないのかな、と思いました。
そのためのキーワードは恐らく、「自ら問いを発する」ということだと思います。自分で設定した問題であればこそ、無限の「正解」であり「不正解」である…つまり、そこを越えた営みができるのだろうと思います。(多分続く)