今日、ヤッホーで


 午前中、年中組さんが一緒にヤッホーで遊んでいるのが見えました。多分はじまってすぐ見たのですが、3階まで登っている子も何人もいて、さすが年中さんだと感心して入りました。
 人数も多いのですが、あらゆる所を使って遊んでいます。それぞれが課題(というと大袈裟ですが)に自然と取り組んでいるのでしょう。
 中でも「飛び降り台」は毎年ドラマの生まれる場所です。慣れた友達がすうっと飛んでいく隣で、なかなか踏ん切りがつかないままで(自分と)戦っている子もいます。
 ふと見ると、先生がじっと彼女を見ていました。お母さんだったら、あるいはお姉さんだったら、やさしく微笑んで手を伸ばし、或いはしっかりと手を支え「さあ、いらっしゃい」と言っていたことでしょう。
 けれど「大人は手出ししない」のがヤッホーのルールです。声をかけ、視線をおくり、励ましつつも手出しはしない。きっと子どもの内心をいろいろと慮りながら、「この子にとって、”飛べる”とはどんな意味があるのか、どんな成長に繋がるのか」を考えていたのでしょう。「飛べた・飛べない」という事実だけでなく、その「寄り添ってきた時間」があるからこそ、先生は子どもと共に喜ぶこともできるのだろうと思います。