お猿の地蔵さん

今日のお御堂参りでは、「猿地蔵」のお話をしました。最近、野生動物が迷い込む事件が起きており、子ども達もテレビなどで知っていると思ったのです。昔も畑は動物たちに荒らされていました(農耕を始めて以来の問題でしょうが)。困った村人は、お爺さんを変装させたお地蔵様を建てます。案山子のような役目を期待したのですね。しかし、サルたちはありがたがって、自分達の巣へ運んで行ってしまいます。そこで盗まれた農作物を取り返したお爺さん、村へ帰ってきました。子ども達が面白がるのは、川を渡るときの歌「お猿のおしりは濡らしても、お地蔵様は濡らすなよ」の所で、お話でも欲張りじいさんが笑ってしまい、川に落とされてしまいます。しかしこの話、「猿がお地蔵さんを大切にする」というのが、坊主たる私には結構興味深いのです。仏教も他のあらゆる宗教も、人間が作ったと言って間違いありません。しかし、歴史を経て現代に伝わるまでには、時代時代の変遷に堪えうるものでなければなりません。その過程では、当然変質が起きているはずです(鎌倉仏教・浄土仏教もその類の筈です)。そして、日本の場合は四季や自然現象に非常に近寄っていきました(無常観はじめ)。その一つの表れが「猿もお地蔵さんを有り難がる」なのかもしれないと思ったのです。そして、人間だけでなく猿も「生きること」に悩み・苦しんでいると捉えたのかなと。たしかに、私達も「けだもの」も、生きているのは同じです。お地蔵さんは人間だけの為ではない。そんな大らかな日本の文化を、垣間見た気がします。