明照幼稚園

本物を使う。

3月 18th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (本物を使う。 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お荷物整理」…大掃除の日でした。三学期ですので、子ども達もかなり慣れていて、要領よく進めている姿が見られました。そして、繰り返してきた事によって、「目が良くなっている」のですね。多分最初には気付かなかった場所について、「ここも綺麗にする!」と、張り切って雑巾掛けをしている姿もありました。
 確かに、子ども達が「身に付ける」ための手段は「繰り返し」です。「折紙製作」などでも「2つ折る」ことが多いのですが、「最初の一個は苦労しても、2個目はかなり自信を持ってできる」という姿をよく見ます。大人から見ると「2回目で、もう自信満々なの?」と言いたくなるかも知れませんが、「もう知ってるもん!やったことあるし!」と積極的に関わっていけるのは、子どものよい性質だと思います。「絵を見せに来た対応としては、”また描きたいな”と思って帰らせることができれば、まずはオッケー」というのにも通じています。  そんな事で、「以前はここ、気付いていなかったな…」を掃除している姿もまた、成長の一つと捉えられます。
 また、掃除道具というのは基本的に「全部が本物」です。当たり前と感じるでしょうけれど、「子どもには使わせられない(使わせたくない)道具」というのも結構あるなかで、大概の掃除道具は「大人と同じものを使える!」筈です。その辺りも、きっと楽しいのだろうな…「大人と同じようにできる」ことって、きっと嬉しいだろうな…と思いました。
 ともあれ、先生方は「この場所は道具は、次に来る、新しい”○○ぐみさん”が気持ち良く使えるように、綺麗にしようね」と働きかけていました。どれだけ実感を持って受け止めたかは分かりませんが、「片付ける・掃除する」は未来志向であることは、いつか気付いて欲しいと思います。

同じ空の下

3月 12th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (同じ空の下 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お別れ園外保育」で飛鳥山公園へ行きました。例年よりは一週間遅くし、「暖かくなってきました」という言葉が実感できるようなお天気。朝は風がありましたが、日射しがあって「焼けたわね」と言われる(園長)ほど…。
 普段の通園より距離はありますが、現地に着いてしまったら、もう楽しむしかありません。「なるべく遊ぶ時間を多く取るためには?」とスケジューリングし、遊べる道具も準備して行きました。
 現場が広いので、私はあちこち移動しながら様子を見ていました。年長組さん、「じゃんけんベースボール」で大盛り上がりでしたね。お母さん方も本気でやってくださって、親子共にたいへん嬉しそうでした。年少さん・年中さんも「お母さんと一緒」って、もう100%嬉しい事なのですね。
 そして最後は、「お別れ園外」ならではの「アーチ」です。入口の年少さんのアーチをくぐる時には四つん這いになった子もいましたが、最後の出口ではもう、「飛び出してくる」という感じでした。あのトンネルにはいろんな譬えが思いつくのですが、「3年間は短いようだけれど、これだけ大きくなった」を実感できるものとして、とても良いものと思います。壁となり通過していく子ども達へ何かの言葉をかけ見送る、在園児や大人にとっても。
 「どんな意味があるのか・ここから何を学ぶのか」「何と似ているのか・どこが違うのか」「どんな点で際立っているのか」と考える事は、多分人間特有のはたらきだろうと思います。それこそAIとかには苦手な。
 子ども達が、そして大人達がいつか今日を振り返り、「あのトンネルは何だったのか」「あの日、一緒に同じ空の下にいたのは何だったのか」を問い、自分なりの答えを手にしてくれたら嬉しいです。
 気をつけるべきは、「〜は何だったのか?」という問いを、「答えのないもの」として使ってしまう癖です。「どうして聞けないの!」「何度言ったら分かるの」等に通ずる、役立たずですよ。本気で意味を探すと、「自分なりの答え」が見えてくる。それが人間らしさ・自分らしさです。

本物の力

3月 5th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (本物の力 はコメントを受け付けていません。)
 本日は、4度目のコンサートを開催しました。ピアノの中村和枝さんと、トロンボーンの村田厚生さんです。
 このお二方のご縁は、2015年の時に書かせて頂きましたが、それ以来のご縁をいただき、お忙しい中幼稚園での演奏を続けて下さっています。
 私の子ども時代はカセットテープ、そしてCDから現在は音楽配信の時代になりましたが、「本物に触れる」のはいいなぁ、と改めて思いました。
 ピアノは演奏しながら移動するのが難しいのですが、トロンボーンと、それからアルペンホルンは動きながら演奏して下さいました。なので、「ここから音が出てる!」というのが非常によく分かって、覗き込んでいる子がたくさんいたのは微笑ましかったです。最初の入場から、子どもの心をガッチリつかみ、あっという間の40分、楽しいコンサートを聴かせて下さいました。子どもはきっとリラックスしてお二方を迎えたのですが、「コンサートでのマナーを教えようか、思い切り楽しませようか」と私が迷っていた部分もあり、子どもの自然な動きを制限してしまったことを、少し後悔しています。
 現在、当日の音と映像を編集中です。完成しましたら、改めて連絡網等で御案内すると思いますので、どうぞお楽しみに。

明るくない。

2月 14th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (明るくない。 はコメントを受け付けていません。)
 今日は涅槃会の集い(正しくは15日なのですが)を行いました。実はここ数年、お寺には仏像が急増しておりまして、その中には「涅槃像」もありますので、その紹介をしようと考えていました。
 いまどき、スライドを作るのは簡単なのですね。確かに「素人さん」がスライドどころか動画を編集して稼いですらいるというのですから。
 ということで、「ねはん」に関するオリジナルのスライドを作って上映しました。子ども達にも、きっと「寝ている仏さま」として、印象に残った…かな?と思います。東南アジアの涅槃仏って、結構それぞれ個性的ですよ。
 さて、その中で「お釈迦様は、幸せになるために3つのお約束があるとお話されました。明るく・正しく・仲良くです」ということを繰り返し伝えました。涅槃会=お釈迦様とのお別れにおいては、「師匠がいなくても自ら守ることが大切。自律あっての自立です」というのが本筋なのですが、「何を守るの?」ということで触れたのです。
 会が無事に終わり、各保育室へ戻っていったのですが、最後の方で誰かが人をドーンと押したようです。自分の力が知りたくて・相手の反応が知りたくて・何となく…してしまう事があるのです。
 すかさず先生が目に留めて聞きました。「もしも先生が、お隣の先生にドーンってやったら、どうかしら?」と。

 子どもから帰った返事は「明るくない」。

何ともドンピシャだと思いました。私が話していたのは「お休みの子がいるとして、”あの子、本当に病気なのかな、きっと嘘だよね〜”とか、ありもしないディスをしている例を挙げたのですが、きっと何か「自分の意思を表明するのに相応しくないやり方だ」と感じたのでしょうね。
 そうです、「正しい」は内容であるのに比べ、「明るい」はやり方です。自分の何かの意思を表明するのは構わない。けれど、やり方も大切(それによって相手の受け取りが変わりますから)。こういうことって、遙か昔から変わっていないのですね。

迷った時には

1月 20th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (迷った時には はコメントを受け付けていません。)
 今日は12月・1月生まれのお誕生日会でした。司会の先生も話していましたが、ちょうど「大寒」にあたり、「来週には雪が降るかも知れませんね」などとお話していました。
 私からは「赤ちゃんが笑うようになる(学習の)しくみ」をお話しました…と言っても、「周りが笑顔で赤ちゃんを囲むことで、自分から笑顔を作れるようになります。周りの笑顔があるから、赤ちゃんも笑顔を出すのです」という、まさに「学習」について。「子ども達が身に付けている笑顔は、親御さんはじめ周りのみなさんから頂いたのですよ(周りから貰えなかったら、笑顔を出すようになりません)」という話でした。
 年度も終わりが見えてきて、子ども達もすっかり幼稚園生活に慣れた様子。年少さんの「3クラス合同」も、楽しんでいる姿が見られました。子ども達が育っていくのは、本当に嬉しいものです。
 そして、今日お配りした「お誕生日会参加おまけ」は、軽い話ではありませんが、厳選してのものでありました。

結果が読めない時には、筋を通しておくことが、未来の自分を支えてくれることになるだろう

というものなのですが、最近とっても思い当たるのです。特にお坊さんとして人様にお話する時や、いろんな原稿を書くときなど。「自分、本当にこれを実践しているのか?」「イザという時にできるのか?」という不安を感じるのです。
 だからやっぱり、「日々の積み重ねなのだろう」と思うのです。「イザ」という時に自然と出るほどに自分を慣れさせる。いちいち「万が一の時に慌てないように」とか思考しないでも、反射的に行動できるほどに。
 「結果が読めない時には」と言っても、それは実際「未来すべて」でしょうよ。不安でビクビクしているときこそ、昔から言われていることや原則を貫く。不安な心に判断させてオロオロするより、よっぽど爽やかに生きられるような気がします。
 去年生まれた子が成人の時、私はすでに70歳。一人前になるまで、ちゃんと支えてあげられるだろうか。私はどこまで見届けられるのだろう。抱っこして安心しきった寝顔を見る度、そんな思いに駆られています。

楽しんでもらいたい

1月 18th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (楽しんでもらいたい はコメントを受け付けていません。)
 今日は、尚美ミュージックカレッジから、学生さんの「卒業制作」ということで、「うたのコンサート」公演を行ってもらいました。幼稚園としても初めてのオファーを受けた訳ですが、なかなか不思議なご縁からでした。詳しくは割愛しますが、「自分たちの作品を発表する場」として、探し・交渉し・リハーサルして当日に臨んできました。ちょうど二十歳位でしょうか。その年齢なら私も学生でしたが、そんな行動力はなかったと思います(もっと内向きのことばかりしていました)。
 イマドキの若者が幼稚園児と触れ合う機会は、そう多くないのだろうと思います。妹・弟にしても小さすぎて(笑)。どんな反応をするのか?どの程度なら子どもができるのか?どうしたら目を引けるか?騒ぎ出したらどうしよう…。きっと、いろいろ考えて検討しつつ、「おかあさんと一緒」とか見ながら研究してきたのだろうと思います。
 私から見ると「あー、もう少しこのネタで引っ張ってもいいのではないかな?」という部分もあったのですが、子ども達にとっては新鮮で楽しかったようです。一回こっきりの本番。「今日このために!」という意気込みと、「人々を楽しませる」という目標を持って(大袈裟?)演じている彼らは、何だか輝いていました。
 聞いてみると、彼らは「音響・映像学科」だそうで、つまり表舞台に立つべく学んでいるのではないようです。どちらかというと機械相手なのかな…と思ったのですが、「であるからこそ、お客さんと直接触れ合う」のは良い経験になったと思います。
 私も子ども達の前に初めて立った時は、ものすごく緊張しました。「げんこつ山のタヌキさん」しか持ちネタはなく、でも懸命にやっていたのを今でも覚えています。
 彼らが将来どんな道に進むのか分かりませんが、今日のことをひとつの原点のようにしてくれたら、ありがたいと思います。幸い、春日駅あたりに学校があるのですから、道すがらにすれ違うこともあるかも知れませんよ。けれど気をつけていないと分からないかも知れません。普段は動物の格好ではないでしょうから。

鴨とアヒルと白鳥と

1月 15th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (鴨とアヒルと白鳥と はコメントを受け付けていません。)
 今日は三学期初めてのお御堂参りでした。先週末の先生方の日誌に「休み明けゆえか、まだ落ち着いていない様子が見られる」とあったので、いっその事「ハッキリと笑える話」を探していました。
 で、見つけたのが「鴨とり権兵衛」です。飛んだり落ちたり、自分の意思ではなく「大きな力」に触れるとか、落っこちて尻餅をつくとか、やり取りの繰り返しがあって、「ハイ、ここ笑えますよ」が明確なのです。
 子ども達にとって「久しぶり」であった筈ですが、お祈りの姿も落ち着き、素話でも「笑う所は笑う、聞くところは聞く」というメリハリがしっかりできていました。本当のオチは「救助の布を持っていた四人が頭をぶつけてしまい、出た火花で火事になってしまいました」という、かなり大惨事の終了なのですが、「無事に着地でき、家に帰ることができました、メデタシメデタシ」でお話しました。それまでドスンドスンと尻餅だったのですから、無事に降りられてよかったね…と。
 さて、お話に先立ち、アヒルと鴨の写真を用意して、それぞれを見て貰いました。実際のところ、両者は同じカモ科に属していて、よく似ているのです(アヒルはカモを家畜化したもの)。
 「色がちがう!」「模様が違う!」…はい、それで殆どオッケーです。アヒルは家畜化の過程で羽が短くなり、殆ど飛べないそうですが…。
 次に、「白鳥も白いでしょう。どんなところがアヒルと違うかな?」と問うてみました。すると流石の年長さん、「足がちがう」「首が長い」などの特徴を、見事捉えて発表してくれました。それを受けて(?)、「背が高い」と年中さんからも発言が。パッとイメージが浮かんだのでしょうか。
 ともあれ、「よく見る、じっくり細部を見る」ということは科学の心の芽生え。「間違い探し」ではありませんが、きっと子どもの発達に合った行動なのだろうと思いました。

バザー収益金イベント

12月 20th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (バザー収益金イベント はコメントを受け付けていません。)
 短縮保育となった今週月曜日。はるばる岐阜から、「風船太郎」さんが来て下さいました。例年行って頂いている、バザー収益金によるイベントです。
 子ども達はもう随分前から、今日を楽しみにしていたようです。その集中度合いは高く、ホールに集まって私がマイクを持つと、それだけでシーンとなり、話を聞く体勢ができていた程です。「集いとかイベント事に慣れてきた」、そんな姿でした。
 紹介の絵本を読み終えると、いよいよ太郎さんの登場です。最初はアセスメントというか、子どもとの距離を徐々に詰めて場を温めていく感じです。所々、「これは大人を笑わすポイント」というのも入っていて、幼稚園や保育園などの施設での公演として、とても練り上げられていると感じました。
 今回は2公演に分かれていたので、先生や子ども達もたくさん舞台でお手伝いさせてもらいました。普段の生活の様子とはちょっと異なる一面が見られたりして…。舞台でのお手伝いは、太郎さんとの受け答えもあり・風船が割れたりするので年長さんが務めました。普段幼稚園で知っているお兄さん・お姉さんが上がっていたので、小さい子ども達も身を乗り出して見入っていました。
 そして、フィナーレに向かっては小さい風船が沢山出てきて、一人一人が風船を扱う時間も取れました。割れてビックリ、の場面もあったけれど、みんな大喜びで終わりました。
 各所で行われるショーに足を運ぶのも楽しいと思いますが、こうした「明照幼稚園向けにプランされた」ものというのは、より子ども達が楽しめる要素が沢山あるのだろうと思います。今回の体験をさせて下さった、PTAの皆様に、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

動画はプライベート設定です。視聴方法はメールをご確認下さい。


何だかすごかった

12月 12th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (何だかすごかった はコメントを受け付けていません。)
 子ども達、お餅つきから明けて印象絵を中心とした表現活動を行いました。
 写真は年少組さんなのですが、クレパスを動かす姿からも「ああ、楽しかったんだな」というのが伝わってきます。いろんな活動があったのですが、子ども達なりに「印象強かった」ことが描かれるのがこの絵です。「お相撲さん」が一番多かったような気がします。
 そう言えば、当日お部屋に遊びに来てくれたとき、子ども達の背の高さですと、ちょうど目の前がお相撲さんのお尻の辺りにあたるのですね。キャーキャー言いながらお尻をペチペチしている姿が可愛らしかったです。事前には「お尻なんて、触りたくない」と言っていた子もいたようですが、実物が目の前にあると、すーっと惹かれていくようです。テレビで見たことのある子、どの位いるのか分かりませんが、実物に触れるに如くはなし。強烈な印象を残したようです。
 一方、年長組では「記念写真のところ」を描いた子がいたそうです。先生が「どうしてこの場面を選んだの?」と尋ねたところ、「自分で搗いたから」と答えたそうです。「おもちつき」と銘打っても、子どもが実際にお餅をつく機会は、確かにこの時だけです。衛生の観点とか全体の流れとか、いろんな要請があるけれど、先生もこの言葉にハッとしたようです。せめて…近年はいろんな町会主催でも行われているので、そこに繋がるといいなぁ、と思いました。
 改めまして、準備から当日まで、多くの保護者の方に関わっていただいて行えた行事でした。お父さん方の力強さや、お母さん方が一生懸命調理している姿も、みんな見てくれたと思います。いずれにしても「楽だった」とは言い切れない一日ではあったと思いますが、「充実していた」のは明らかに言えた一日だったと思います。保護者の皆様・町会の方々、どうもありがとうございました。

自分の言葉で

12月 4th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (自分の言葉で はコメントを受け付けていません。)
 今日は成道会の集い。お釈迦様関係のものは、どうにも「お話中心」になりがちです。いろんな資料を見ても、「悪魔と戦いました」「お覚りを開きました」ということで、抽象的になるんですね。ビデオを見ていて子ども達は大受けでしたが、「飛んできた矢が地面に落ちて、花になってしまう」という所。悪魔が何度攻撃しても無駄…という文脈でした(詳しくは昨年度の記事もご覧下さい)。
 さて私が感激したのは、今日の司会の先生です。私からも「お釈迦様は、”人たちが幸せになるためには…?”と、ずっと考えたのです」とお話したのですが、それを受けて「先生も、幸せって何だろうなって考えてみたの。そうしたらね…」と、自分の価値観を語ってくれたのです。
 どこかで調べてきた事柄ではありません。自分の価値観を、自分の言葉で語った。「私にとっての幸せって、こういう事なのよ」と。これは素晴らしい事だと思います。
 「ありがとう、ごめんなさい。そんな言葉が自然とたくさん聞こえる時って、幸せじゃないかなって思います」というようなことを話してくれました。
 「幸せとは何か」は、「大人とは何か」に似て、「私としてはこう思う」を言い切った者勝ち、客観的ではなく主観で捉えていればよいものだと思います。そして彼女は、それができている。子ども達に伝わりそうな言葉を選んで、懸命に伝えている。「幼稚園のお便り作成ヒント」のような本でも、「私は〜、というメッセージを入れましょう」とあるのですが、当たり障りない表現に止めることなく、自分なりを表現した。自分の人生で学んできたことを伝えた。きっとクラスの子ども達も、自分のことをのびのびと表現できるように育っていると思います。ありがたし。