明照幼稚園

脳科学再び

6月 26th, 2012 | Posted by admin in - (0 Comments)
この間、DVDを見てから久しぶりに脳科学への興味が湧いてきて、黒川伊保子さんの本を何冊か求めました。で、最初の読んだのが『夫婦脳』。無意識で、つまり生物として惹かれる要素と、価値観や「考え方としての相性」は真逆であるとか読んで、妙に納得したりしました。まぁそれはさておき、男の脳と女の脳は、右脳と左脳を繋ぐ脳梁の太さがかなり違い、そのために(それだけの違いで)お互い得手不得手があって、そこに男女のすれ違い(すれ違わざるを得ない)事態が生まれているというのです。成る程そうであるならば恋の時期をすぎて落ち着いてくると、みな一様に「だから男って…女って…」という話にもなるし、「母親だからできること、父親だからできること」という講演が共感をもって受け入れられるのですね。で、ネタばれゴメンナサイなのですが、お母さんがすぐに声を荒げる訳が解りました(男は共感できない事態ですが)。脳梁は左右の脳を繋いでいて、つまり連携がすごくいいのです。だから、起きた感情(右脳)がすぐ言葉(左脳)になって発散されるのですね。それでスッキリして落ち着く(多分)。かの本によれば、一日に二万語は話さないとストレスになるようです。男脳は、それよりも「鈍感力…と書いてあった」を持っているので、言わば「小さなことにアタフタしない」で、「言ってるばかりではなく、具体的に何か手を講じなよ」とか言ったりするわけです。男の子が、怒られて黙ってしまうのも、この辺りが原因のような気がします。気持ちは動いていても、それをすぐ言葉にする連携力が弱いのですから。だから「男の子には、時間をかけてあげましょう」となる訳です。空間認知や大枠で捉えるのは男脳の方が得意ですから、きっと親の愛に気づけば(たぶん、やや客観的な形で)応えてくれることでしょう。あ、ご主人もね。

愛とか倫理とかの問題

4月 2nd, 2012 | Posted by admin in - (0 Comments)
新年度早々、こんな話題もどうかと思うのですが、震災から1年経って、色々な所で振り返りが為されています。その中でよく出てくるのが「原発問題について、手を付けられなかった」という事です。そこで、本屋さんで2冊を求め、読んでみました。片や『これが結論!日本人と原発』竹田恒泰。これは反原発の本です。一方が『「反原発」の不都合な真実』藤沢数希、これは原発推進と言っていいでしょう。前者は「原発には愛がない」というキーワードで、後者はリスクとコストを観点に話を進めています。「自動車と飛行機、どちらが危険か」という有名な話があります。自動車事故で亡くなる方と、飛行機事故では飛行機の方が圧倒的に少数です。だから「飛行機は安全」というものですが、冷静に(冷徹に?)事を考えていくと、確かに藤沢氏の方が説得力があるようです。しかし震災以来私が感じているのは竹田氏に近いと思います。データだけでなく、経験から語られている所も共感できます。  被爆者を作り続けなければ稼働できない原発。消費地と生産地が離れている故の問題など。技術的な事は分かったとして、その上での選択を我々はしていかなければならないのだろうと思います。結論はもちろん見えないのですが、両者ともに考え方・心の問題としている事やガスタービン発電を推しているなど、共通点も見られます。子育てに寄り添って見れば、片や放射能・片や大気汚染。どちらも避けたい事態です。私としては穏やかにストップしていって欲しいと思います、原発には…。

好きな事はやりたい事

10月 31st, 2011 | Posted by admin in 保育論 | - (0 Comments)
先日、本屋さんで何気なく手に取った本、『武田双雲にダマされろ』。これがなかなか面白かったです。やっぱり勢いのある人が書くと、読んでいても勢いがありますね。ちょっとハイになっている所もあるけれど、紆余曲折の人生を歩んでこられたのかな…という感じでした。そこで目にとまったのは「やることが、好きな事になれば幸せだよね」という話。そもそも好きな事ばかりではない人生ですが、「仕方ないから」とか「やらなきゃいけないから」という弱い肯定をして取り組むより、「やることが好きになる」方がずっと将来性がある訳です。そこで思い出すのが絵画の指導。その時々のねらいは色々あれど、共通しているのは「また、描きたいな」という思いで終わらせ(ようとしてい)るところ。「絵が好き」という本質ではないにせよ、「先生に見せたら喜んでくれた」「面白がってくれた」「気に入ってくれた」というのは、必ずやプラスに作用すると思うのです。考えてみれば、幼稚園で起きたことは「なるべく、良かったねというストーリーに持って行く」とう定石があります。このストーリーの集合体を、もしかしたら人生と呼ぶのかも知れません。一部分は辛い・怖いかも知れないけれど、トータルとして「良かったね」、これを忘れずに行きたいと思います。

ぱたぽん第一回

5月 18th, 2011 | Posted by admin in - (0 Comments)
今日は、本年度第1回の「親子お話し会」でした。まずは、呼び込みに放送を使いましてスミマセン…基本は非常時用の設備なのですが、今回使ってしまいました。今後はもっと日程に余裕を持って掲示したいと思います。  さて、このNPO法人は、元々中野区の図書館司書さんたちが中心になって組織されています。その中のお一人が、私の小学校時代の同級生(来てくれた方です)というご縁で、私も一員に入れて頂き、「ウチの幼稚園にも来て!」とお願いしているものです。卒業して30年近く経っても「友だちだから」って来てくれるのは嬉しいですね。子ども達も25名位(最大時)来てくれて、演じる側も力が入りました。『きょだいなきょだいな』は紙芝居風に読むと面白そうだと思って、あんな演出をしてみました。子ども達も真剣に耳を傾け、一緒に拍手してくれたので、演じている側も楽しんでできました。次回は7月上旬です。今度はどのメンバーが来るのかな?私も楽しみです。

帰国

8月 14th, 2010 | Posted by admin in - (0 Comments)
先程まで、TBSテレビの「帰国」を見ていました。人が人を想う…ということの大切さを改めて見せられた気がします。そしてビートたけしが暴力(というか…身体をぶつけ合うこと)に拘って映画を作っているのも何となく分かる気がしました。終わりの方で長渕剛が言っていましたが、「感謝しなくていいから、覚えていて欲しい」そう、現代は単独であるのではなく、過去の歴史の結果であると言うのですが、まさにその通り、大切なのはここだなぁと思いました。幼稚園でも、子育てでも、なにか原点があって、それを知っている(自分が体験した範囲なら”覚えている”でしょうが、それ以上の範囲を指して)ことは本当に大切だと思います。時間の取れる長いお休みのこの時期、それぞれの子育ての原点を思い出す試みをしてみてはいかがでしょうか。

食料自給率

4月 21st, 2010 | Posted by admin in - (0 Comments)
『日本は世界5位の農業大国』という本を読みました。びっくり!食育でも、マニフェストでも騒がれている「自給率40%」というのは、かなり恣意的な計算の結果なのですね。確かに、お総菜などで廃棄している量も分母に入っていたり(つまり率は下がる)、自家消費分は分子に入っていなかったり、カロリーベースといいながら他の調査の平均消費数とかなり隔たりがあったり…。今度の農家個別補償にしても、問題がありそうだなぁ、と感じました。生産調整しながら補償するとか単位あたりの収穫高とか、いろいろ「知らなかった」事が多いことに気づかされました。 まずもって、廃棄食料を減らす。これは最も真っ当で子どもに伝えたい価値観として持っておくべきだ。それに改めて思い至りました。

花さき山

2月 22nd, 2010 | Posted by admin in - (0 Comments)
今日は、恐らく本年度最後の「お御堂まいり」。となれば、あの話をしたくなるのは例年のこと。それは名作『花さき山』。黒ベースの表紙からして何やら重苦しい雰囲気が伝わってきますが、内容は何とも深く、業とか肉親とはとか欲望とか自我とか、色々に想いを馳せてしまいます。 今回、話しながらフト思いました。「こんなに他人を立てたり、自分が我慢することを持ち上げて、現代人にはどう聞こえるのだろうか」と。世の中どうにも、「自分をはっきり主張せよ!」の大合唱のような気がするなかで、「我慢すること」を「人知れず花が咲く」として賛美していいのだろうかと。 しばし考えたのですが、結論は「やはり良いのだろう」と。現代日本で「自分を主張しよう」という流れは確かに強いのですが、それが「即ち相手に受け入れられる」という前提を持っている、という危うさを感じてしまうからです。恐らく他国では、「主張して、戦わせて、勝ったり負けたり」なのでしょう。しかし「欲しいものは欲しいと言った方が勝ち」である日本で、「主張しよう」だけでは世の中良くならない気がするのです。主張して、相手の主張を聞き検討して折り合って。そこまでセットでなければ、「主張促進論」は喧嘩に繋がる土壌を作っているに過ぎないと思います。 次は「我慢」が人間に与える効果について考えます。

夏休み振り返り#2

9月 4th, 2009 | Posted by admin in - (0 Comments)
今年の夏は、「ゆとり教育の総括」といったテーマで本を読みました。「ゆとり」の人たちが、2010年にはもう大学卒で社会人になるんですね。まずはその就職関係の本から入りました。で寺脇研さん。この方は文科省を辞められてから何冊か本を出されています。余談ですが日本でも「ペーパーバック」という形態があるのを初めて知りました。そこで、改めて「ゆとり」で目指していた事を、歴史的な区別をしながら確認しました。何年前かブログに書いた宮川先生との対談本もあったりして。その後世田谷のプレーパークへ行ったり、沖縄のドリームプラネットについて調べたり。 私の理解したこと。「志や理想は高いし、分かる。けれど時間軸の視野が狭い」ということです。その後起こった「学力低下」の問題では、「新しい学力観」という前提が社会から忘れられてきている感を否めません。「学力とは何か」が現場や保護者との間で混乱しているのが辛いですし、その「新しい学力」を持った子が「幸せな人生を送る」ことができるのか、という検証もされていませんし。翻って「就職・仕事」という壁と如何に付き合っていくか、が試金石なのでしょう。

じゅげむ考

3月 11th, 2009 | Posted by admin in - (0 Comments)
本日、最終回の「おやこお話会」が行われ、私も久しぶりに出演いたしました。演目は「じゅげむ」で、大変有名なお話であります。久しぶりの読み聞かせで、自分自身とっ散らかってしまった部分もありましたが、ふと思い返しました。「この話って、結局何だろう」と。思いついたのは「親のエゴに周りが振り回される」話ということ。子どもへの想いは貴いものですが、あの名前に付き合う周りはきっと、溜まったもんじゃないだろうというのです。オチだって結局、名前が短ければ薬を塗るとか医者に連れて行くかして、もっと早く解決したのではないか、とか思うのです。天の邪鬼にも。役所へ名前を届けるのだってきっと書ききれないだろうし、テストで名前を書くにもそれだけでビハインドになってしまう。うーむ、不利が沢山ある。  でも同時に、「振り回され」ている周りも嫌ではないんでしょう、きっと。親のエゴと思いつつ、付き合ってあげるという温かい関係が周囲との間にあるんでしょうね、前提として。「変な名前だけど、まぁ親が子の為を思って付けたんだから、いいか」という理解。その大らかな雰囲気は、時は下ってもどこかに保ち続けたいものです。  仏教では、親の愛も最後には執着であると説きます。独り立ちすべき人間を縛ることがあるものだと。だから、きっと何時かは解き放たなければならない物なのだろうと思います。そして親じしんが心のどこかに「これは私からのエゴなんだろうなぁ」という想いを持ち続けたいものです。
最近、絵本の読み聞かせを勧めるご意見が沢山あります。絵本って、本当に色々な可能性を秘めているものだと思います。「何故よいのか?」「何のためにするのか?」には色々な効用や目的があって、ある程度その目的を自覚している・いないで読み聞かせをする側の気持ちの持ちようや工夫が変わってきます。 例えば、親子の繋がりを密にするもの。小学校に入ってもこれは大好きです。私の経験でも、8歳から3歳の子ども達が一緒になって聞いています。物語や気持ちを揺さぶるような本がいいなぁ、と思っています。一方、読む力を伸ばしたいために行う「読み聞かせ」もあります。わざと一部を間違えて、それを指摘させたり、読んだ後クイズを出して遊んだりします。「アニマシオン」というのはこの「子どもの読む力を引き出すための工夫」の色々で、発達段階に合わせて75ものパターンがあるそうです。 やってみると、確かに面白いし、子どもがどれだけ理解しているのかも分かります。ゲーム感覚の面白さもあるようです。 でもきっと。ただ膝に乗って絵本を読み聞かせて貰う経験は、「読む力がついて」からもして良いことなのだろうと。大切なのは、どんな目的で「読み聞かせの工夫をするか」の自覚なのだろうと。間違え探しやクイズといったものは、ある程度の「常識」が出来てからしか面白くないけれど、完全に移行してしまうものではないのだろうと。「1人で読めるようになったから、もういいでしょ!」ではなく、時に一緒に味わう時間を持つのは、幸せなことだと思います。