明照幼稚園

みんなで見直そう

10月 18th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | - (みんなで見直そう はコメントを受け付けていません。)
 今日は水曜日で子ども達は午前保育…だったのですが、先生方はその後、研修を行いました。29年になって「幼稚園教育要領」が改訂されたので、それへの対応を考えているのです。今回、大きな目玉は「幼稚園教育において育みたい資質能力および”幼児期のおわりまでに育ってほしい姿”」として10の項目が示されたことです。
 従前は「5領域」と呼ぶ、「健康・人間関係・環境・言葉・表現」の項目で示されていたのですが、やや横断的に、そして並べ替えられての提示をされました。
 内容的には大きく変わるものではないと思うのですが、「子どもの姿」や「育ち・願い」の視点・整理の仕方が少し変わるのかなと捉えています。
 幼稚園では、日々カリキュラムをたてて保育を行っていますが、それははやり定期的に見直す必要があるのだろうと思います。そして、園長が入園説明会などでお話しする「明照幼稚園のものの考え方・大切にしていること」も見直す必要がある。
 今日は幼稚園の教育目的である「人生を楽しみ、主体的に社会を作っていく子ども」ということと、目標の1つである「器用に生活できる」という文言について、職員全体でイメージの共有を行いました。このような事は、やはり時折行うべきで、年度初めに施政方針として話してはいるのですが、「分かっておいてね、あとは各自で」的な扱いの部分もあり、改めてそれぞれの理解や疑問点を聞いていくと、イメージがより明確になったり、他のこととの繋がりが見えたりするのです。
 ここから日々の保育への組み立ては、「抽象的→具体化」の長い道のりですが、「ここはぜひ園として押さえよう」を共有することで、却って判断基準が明確になり、自由度が高くなることも期待しています。足腰を固めるような感じでしょうか。
 まだ時間のかかる作業とは思いますが、文科省の考える幼児教育も理解し実践しつつ、明照幼稚園の大事にしてきたことは守っていきたいと考えています。

同じ話を

9月 25th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | - (同じ話を はコメントを受け付けていません。)

いもとようこ「さるじぞう」より

 お彼岸の中日(秋分の日)を越えて今日はお天気もよく、子ども達も気持ち良く登園してきたのではないかと思います。週末は、(土曜日に重なった故でしょうが)「運動会が延期になった」小学生達が、お昼頃から結構遊びに来ていました。「あらあら、お墓参りには行かないの?」という感じなのですが、どうも東京に限った話ではなく、地方でも「土曜日に運動会を予定していたが、順延になった」との話も聞きました。「国民の祝日」に行事を宛てるのって、どうなんでしょうか…?
 さて今日はお御堂参り。「さる地蔵」として紹介されていた昔話をしました。
 サルたちからお地蔵さんだと勘違いされたお爺さん。サルの里へ運ばれていきます。途中で川を越えるのですが、その時のかけ声が楽しいのです。「お猿のお尻は濡らしても お地蔵さんは濡らすなよ お猿のおへそは濡らしても お地蔵さんは濡らすなよ」。何とものどかな物なのですが、子ども達は(伝統的に)この部分が好きです。歌詞にしても調子にしても。
 前の園長が好きで、よく話していました。山場に差し掛かると、「どう?面白いでしょう?」と、まさに子どものような顔でニコッと笑います。それに連れて笑い出す子も多かったです。(…ちなみに前園長、元気にしていますよ。)そう言えば、私の今の節も、彼のものと同じ。これだけ変化の激しい時代に変わらず通用しているのですから、かなり普遍的なものなのだろうと思います。
 もしもお家で子ども達がやり始めたら、理事長の笑顔から始まっているんだな…と見てやって下さい。

いつ咲くの?

2月 27th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | - (いつ咲くの? はコメントを受け付けていません。)
 今日は、年度最後のお御堂参り。ここ数年は、『花咲き山』に決めています。これまでは素話だったのですが、今回だけは読み聞かせです。
 マクラにしたのは「サザンカ・寒椿・椿」の話。それぞれよく似た花なのですが、異なるのは咲く時期。サザンカは咲くのが早いのです。「焚き火」の歌に出てくるのですから、まだ落ち葉散る時期。年明け前ですね。次に咲くのが寒椿。年明けから今頃にかけて咲く花です。そして椿が一番おそい。4月の花祭りで花御堂の飾りに使うのですから、かなり長期間にかけて順々に咲くのですね。
 さて、ご存じ花咲き山の花は、「ふもとの人間がやさしいことをすると、その時に咲く」のです。まぁ勿論フィクションではあるのですが、何ともイイ話だなぁと感じます。
 私も今日はひとつの挑戦をしました。全体的に背景が暗い本ですので、今まではどこかを端折って読んでいたのです。特に「山ができる」のところ。けれど今回は、全部を読み通しました。今年の子どもは最後まで付いてくる、そんな予感がしたのです。
 果たして子ども達は、最後までシーンと聞き入ってくれました。笑うシーンはありません。遠くて絵がよく見えなかった子もいたでしょう。けれど、最後までざわつくことなく、聞いてくれました。
 子ども達ひとりひとりが、いつ、どのような花を咲かせるのか。それは分かりませんし、一斉でもないでしょう。しかし、いつか自分の花を咲かせて欲しい。私の祈りです。

理不尽を通して

10月 24th, 2016 | Posted by Sato in 日々の姿 | | 行事 - (理不尽を通して はコメントを受け付けていません。)
芋畑ができました。

芋畑ができました。

 今日はお御堂参りで「三枚のお札」…は、それなりの楽しさがあったのですが(後述)、各学年で「芋掘りの絵画造形」を行いました。写真は年少さんのものです。クレヨンの色を重ね、ぼかしていってお芋を作るのですが、鈴木先生のリード、勉強になります。
「触ってみるとどんな感じ?どんな色かな?」「匂いは、どんな色かな?」「おいしそうって、どんな色かな?」…いずれも「理不尽な問いかけ」ではあります。手触りも嗅覚も、視覚で捉えられないからです。でもその問いがあって、子ども達は「何となく色を選ぶことができる」。そこに感性とかアートがあると感じるのです。年少さんも終わりになると、ついつい「○○は何色でしょ」と、「正しい色」の指導をしたくなるのです。が、先日の「果物観察」で見たとおり、「リアル」は追求しきれない。それは分かっているのに、ついつい「言語化された…言語にしかのらない部分で…指導」をしてしまいたくなるのです。多分、脳の本来の目的からすれば、「これはりんご。これは先生の顔」というのが見分けられれば事足りるのですから、そんなに細部は注視していないのでしょう。とすれば、理不尽な…理屈をすっとばした…言葉の使い方で、何かのイメージが成立しているのかも知れません。
 実際、そのような声かけ(正解のないもの)に対しては、殆どの子どもが躊躇なく自分で色を選びます。たまたま同じ、という子もいるかも知れませんが、ともかく「間違えようがない」。正解がないのですから。
 そのベースがあるから、きっと子ども達はのびのびと描けるのでしょうね。それはやっぱり「またやりたいな」に通じると感じています。

 さて、お御堂参り。お寺ですから、「お札」は沢山あります。下の寺務室にあった戒名紙に、それっぽいグネグネを書いて準備完了です。さて、話し始めに「知ってる〜」という声があったので、「じゃあ、園長先生が正しく話せるか、聞いていてね」と返しました(よくある返し方ですね)。
 話は後半に入るころ、三枚目のお札を使う場面です。
小僧「ああ、どうしよう!もう最後のお札だ!」 ここで子どもから声が上がりました。
子ども「落とし穴を掘ればいいよ!」 小僧「そうか、落とし穴、でろ!」ボヨーン。大きな落とし穴の出現です。
園長「あれー、深い落とし穴だな。よーし、と言って、山姥はさっき飲んだ川の水をプーッと吹き出しました。すると山姥の体は水に浮かんで、穴から這い上がってきたのです!」
 冷静に考えれば、穴に落ちた状態から水を全部吐き出しても、山姥の体の中から外へ移動しただけですから浮くには至りません。(でも園長も必死でした)。
またも追いかけてくる山姥。子どもから「もう一回、落とし穴!」の声がかかります。
園長「残念、お札は3枚しかなかったのです。だからもうダメ。小僧さんはお寺に辿り着きました。」と続けました。その後ももう一点改変したのですが、子ども達は気付いたかしら…原典は「和尚さんが山姥を食べてしまう」なのですが、今回は「お餅にくるんで、池に沈めてしまいました。おしまい。」でエンド。突っ込みがあるかな…。

セルフハンデ

3月 27th, 2016 | Posted by Sato in - (セルフハンデ はコメントを受け付けていません。)
souji 春休み、みなさんどのように過ごしていますか?私はこの間、池谷裕二『自分では気づかない心の盲点』という本を買って読んでいます。なかなか面白い。心理学と脳科学のあいのこエッセイみたいなものです。
 その中で、「セルフハンデキャップ」の話が面白かったので、備忘録的に書いておきます。
 スポーツ選手が試合前にケガをしてしまった。出られないほどではない。試合には出るのですが、その前に「実はケガをしてしまった」と告白するか否か、という問題です。みなさん、どうされますか?
 傾向として「告白しない」人が多いようです。その傾向を「セルフハンデ」と呼ぶそうです。
 つまり、後になって(結果が出て)上手く行けば「ケガをしていたのに頑張った」と賞賛のネタにもなり、失敗すれば「周りに隠して参加するなんて、健気なことだ」と同情を買える。どちらに転んでもメリットがあるので選ぶのだと。
 同様の例として、「試験前になると、ついつい机の掃除を始める」があるそうです。分かる分かる!自ら成功しにくい状況におくことで、将来を守るのですね。
 でもこれ、仏教ではバッサリ切られます。「出た結果は結果。実力を発揮しない状況を自ら作るという時点でアウトでしょ」という訳です。言い訳を用意したところで、結果は変わらない。「健気なことだ」と言われても負けは負けです。そこから目を逸らすなという訳です。爽やか。
 と言いながら、浄土系は「人間、そうやって自分を守ってしまうんだよね、弱い存在だよね」と自らのダメさ加減を直視するところから「他力本願」が開けてくるのです。ナイスフォロー、浄土宗。

お経の本質に迫る!

2月 29th, 2016 | Posted by Sato in | 行事 - (お経の本質に迫る! はコメントを受け付けていません。)
nezumikyou  今日は恐らく年度最後のお御堂参り。最近は真夜中にhasunohaという「お坊さんが答えるQ&A」にどっぷり漬かっていることもあって、何かと絡められる話はないものかと探していたのです。
 実はこの話に出てくるお坊さんはいい加減で、お経も覚えていないのです。しかし、お婆さんの恩に報いたいと思って、せめてできることをする。まぁデタラメなお経を教えたので、その限りに於いては意味が無いのですが、結果的にはそれをお婆さんも信じてあげていることで、泥棒を追っ払うことができた。「お経、というか称えている言葉の無意味さ」よりも「恩を返す、信じて続ける」事を強調しているのが面白いです。
 で、実は「お経の本質」の一つがここにあるような気がします。全てのお経の共通点は?…言葉であることですが、これ全幅の信頼をおけるものではありませんよね。誤解あり、嘘あり、省略あり、意地悪あり。それこそ伝記的には「お経は、お釈迦様のお弟子さん方がまとめました。如何に間違えの無いように、慎重を期してお経の文言を確定していったか、それはそれは大変だったのです」と書かれていますが、実はそれ自体が言葉の脆さ危うさを示しているように思うのです。
 ということでやはり、「縁の中でこそ力を発揮する」ということなのかな、扱われ方次第なのかな、と感じます。…イヤもちろん、お経の文言に意味が無いとか言っているのではありません。納得のためには意味が必要です。けど、「納得するとはどういうことか?」とか考え始めると…また終わらなくなる…。

君も木を植えるといい

12月 9th, 2015 | Posted by Sato in | 行事 - (君も木を植えるといい はコメントを受け付けていません。)
pata_12  今日は、年内最後のぱたぽん「お話会」でした。先週はサイエンスショーを入れてしまったので一週間ずれたのですが、いつもと変わらぬメンバーが集まってくれて、嬉しかったです。
 さて、今日は『木はいいなあ』を読みました。木陰を作ってくれたり、台風から家を守ってくれる。果実の惠みをもたらしてくれる。葉っぱで遊ぶこともできる。でも、そんな淡々とした進行が、がらっと変わります。
 「君も木を植えるといい」。グッときました。そこまでずっと、主人公より大きな物として描かれてきたものを、「きみ」が「植える」ことができる。何だか感無量というほど(オカシイ?)です。「君も木を植えることができる。君も木を植えることができる。」ものすごく、響く言葉でした。
 実はこの本、例の(?)高校時代の友達、の彼女が選んでくれたそうです。何を思って選んでくれたのか、それは定かではありませんが、何か小さな子たちへ伝えたいことがあっての事と思います。
 読み終わって、思わず子ども達に聞きました。「みんなは、何を植えたい?」即答はありませんでしたが、きっと、その場にいたお母さん方は、何か感じ取って下さったことと思います。君たちの為した何事かが、いつか誰かに惠みをもたらす。
 4月から始まった27年度も、もう12月を迎えました。今日は比較的、長いお話が多かった(NPO”ぱたぽん”の由来も!)ように思います。でも。「それを聞ける子達」に成長したな、とNPOの方と喜びを分かちました。

人生初講師

9月 24th, 2015 | Posted by Sato in - (人生初講師 はコメントを受け付けていません。)
minato  今日は私、午後に港区の「みなと図書館」にて、研修会の講師をして参りました。実は人生初講師…ご縁あって、人様にお話をさせていただきました。
 きっかけは、「お話会」をしてくださっているNPO法人「おはなしぱたぽん」さん。実は図書館司書のグループです。そちらから、「港区の学校図書室補助員さんや、保育所の職員さんに向けて,何か話をして頂戴」とのリクエスト。これもご縁と思って、「幼稚園におけるストーリーテリング」と題して、お御堂参りやら読み聞かせやら、子どもとしてきた「物語に触れる楽しみ」について、お話させていただきました。2時間!長いですね…。
 その中で、改めて素話の持つ力とか意味合い、自分のやって来た事について振り返ってみました。実は子ども達、驚くほど素話を聞いてくれるのです、幼稚園で。そのために仕掛けてある工夫とかを、実演交えてお伝えしてきました。
 そして、自身が子どもに対して、「寝る前のお話」でやって来た事をまとめ、年長組での「物語の振り返り」をまとめ、「昔話への突っ込み」から「議論の練習へ」辺りまでをお話しました。
 改めてブログに記録するにあたり、何点かポイントをまとめておきます。

1.使い古された昔話も、1人称の名前を変えるだけで大喜び。「昔々、あるところに良文君という…」です。
2.むりやり2つの話を連結しても、また新鮮味があって良し!
3.レパートリーが切れたら、子どもからお題を貰って3題話を創作。ストーリーは「聞いたことあるような…」でOK。

 また、年長組であった「振り返り」とは?
 舌切り雀を読んだ後で、ある子が「お婆さん、欲張らないで小さな葛篭にすれば良かったのに…」「いや、小さな葛篭でもお化けが出てきたと思うよ」「何で?」「だって、お爺さんも小さな葛篭で宝物だったじゃん」「そもそもお婆さんは意地悪だから…」と、いろいろ盛り上がったようです。正解は分かりませんが、とにかく共通のネタで議論ができた。これは凄いことだと思います。
 そして今日は、参加者がみなさん女性だったので、「もし、鬼ヶ島から戻った桃太郎に交際を申し込まれたら?」を、みなさんで討議して貰いました。結果は…難しいのですね、宝物を持っているだけでは。
 ともあれ、ゲームとかテレビの話題ではなく、昔話をネタに子ども達が帰り道に空想話をしていたら…面白いと思いませんか?「どうして、花咲かじいさんは、あんなにお人好しなんだろうね?」とか。
 改めて、機会を作って下さった樫木さん、参加して下さったみなさん、開催にむけ準備して下さった図書館のみなさんに、御礼申し上げます。

論争!

12月 9th, 2014 | Posted by Sato in - (0 Comments)
 「本」というカテゴリもおかしいのですが…。
 さっき、「第2図書コーナー」(いつのまにできたのでしょうか?)で、子ども達が本を…新書を…開いていました。エッと思って見ると、またタイトルが『論争・少子化日本』という、たまげたタイトル。トナリの子は、『子どもの現在と未来』。やはり新書です。びっくり。
 もちろん、大人の真似をして「読んでるふり」なのでしょうけれど、きっといくつかの字は拾うことができると思います。「大人みたい〜」なのが嬉しいんだろうな、と思いました。図書コーナーの「大人むけエリア」から持って来たのでしょう。
 そう言えば、昨日は男の子が『体育 いい授業わるい授業(1年生)』を読んでいました。というかページをめくっていました。
 幼稚園にいくら本があっても、実は、それだけではあまり効果ないのだろうと思います。それより家に本があり、大人が本を読んでいる姿を日常的に見ていることの方が、ずっと大切なのだろうと。「本を読みなさい」と言う当人が読んでないのではね。そりゃ昨日の「お題目」に過ぎないわけですよ。
 ともあれ、本に親しみを持っている、そして大人の本も読みたいと思っている子ども達。『エルマーのぼうけん』あたりは充分いけるのではないかしら。

絵本を通して

5月 14th, 2014 | Posted by Sato in | 行事 - (0 Comments)
 本年度第一回の「おはなしぱたぽん・お話会」が開かれました。最大時26名もの子どもが集まってくれ(主催者発表)、楽しい時間を過ごすことができました。写真で園長が読み聞かせしているのは『999ひきのきょうだいのおとうと』です。この時期にしては長い話かと思ったのですけれど、年長さんが多かったこともあり、なるべく演出を入れて読んでみました。違う種どうしの交流は、自然界では滅多にありませんが、幼稚園における「異年齢交流」にも似て、物語として成立していました。
 絵本の物語を通じて「小さな者への思いやり」や勇気、親が子どもを思う心などが伝わったと思います。
 もう1つの視点として、この本じつは園長の友達が寄贈してくれたものです。いつか書いたこともありますが、高校時代の友達で、卒業以来30年近くになるというのに、今でも交流があるのです。高校3年間の10倍もお付き合いしているのですから、不思議なものです。
 高校当時から「僕は将来、園長になる」と話していたのですが、実際になってから、「子ども達に世界を、世の中を知る手がかりとして本を送りたい」という申し出をもらい、今に至っています。彼の仕事は子どもとは関わりがないのですが、こうして子ども達に繋がっていること自体が、きっと「彼の世界の広がり」にもなっていると思います。