明照幼稚園

かなりのアゥェーだったけど

8月 5th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (かなりのアゥェーだったけど はコメントを受け付けていません。)
mogakodo2016  私と副園長の2人で、山形県の公立認定こども園へ行って、講演会をしてきました!
 タイトルは大袈裟にも「心を育てるとは」。我ながら大胆なタイトルです。けれど、戻ってきて思うのは、「なかなかよい時間が持てたのではないか」ということです。
 内容は、今年4月の「園だより」に書いたような、「子どもの行動への反応が、次の自主性を形作る」というような事がメインでした。「試行錯誤」から「学習」する子どもは、自分の行動に対して「どのような反応(評価)があったか」で、強化されたり弱化していくものですよと。
 現地の町で、年間の出生数は50人以下。「いずれは町で唯一の幼児施設になるかも」という場所でした。現在は、住んでいる地域によって行く園(幼稚園・保育所・こども園)が決まるけれど、内容としてはほぼ同一だそうです。お母さん方は働いている方が殆どで、送り迎えは祖父母というのが一般的なのだそうです。前日に到着して、園長先生からいろいろと教わったのですが、「聞けば聞くほど文京区とは違う!」ことばかりで、「こちらでの経験から役に立つ話は、あまりないのでは?」と感じるほどでした。東京では、何と言っても「孤育て」の問題をどうするか?ですから。お母さん同士も地元の同級生や先輩後輩・3世代同居・120人の子どもに20人以上の先生…「羨ましい」と言いたくなる程の環境です。
 保育所・認定こども園というと、「お母さんが働くための施設」というのが第一義ではあるようなのですが、その中で「子どもの育ちを大切に、子どもと一緒に成長することを大切に」と考えておられる園長先生・保育士・先生方には非常に共感しました。そして感想文からは、やはり子どもと向きあいつつ一生懸命子育てしている母親の姿が見て取れました。「いろんなサポートはあるけれど、最後はお母さんが」というのは、どこでも変わらないようです。
 また、お父さんも本職の大工さんを筆頭に、「園庭の遊具、作ったんですよ!」という協力ぶり。「予算はなくても工夫で勝負」は、先日雑誌にのった「物を大切にする態度」そのものであると思いました。「これからも補修しなきゃなんないんで、園からは離れられませんよ」と話していたお父さんは、誇らしげでもありました。
 改めて、機会を作って下さったこども園の園長先生、PTA役員の皆様、そして暖かく迎えて下さった職員の皆様、無名の一園長の話を一生懸命聞いて下さったお母さん方(&お爺ちゃん・お婆ちゃん方)、ありがとうございました。
 東京へお越しの際には、どうぞ遊びに来て下さい。

進化を続けて

7月 27th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 - (進化を続けて はコメントを受け付けていません。)
焼きそば作り体験。

焼きそば作り体験。

 今日は施設開放中のイベント#1、「おみせやさんごっこ」です。もう何年になりますか…(遠い目)。とにかくお話をいただいて、半分ノリで始まった企画ですが、回数を重ねて随分進化してきたと感じます。2部構成にしたり、事前に参加者の概数を調査したり、ホールからお店を出してゆったり配置したり…
 そんなにミッチリ打ち合わせをしている訳ではないのですが、毎年すこしずつ進化していることを感じます。そして、今回は申込み時のコメントに「前半と後半の区切りがハッキリしなかった」とのご指摘もいただいていたので、その辺りの対応も行いました(これは園長の出番ですね)。
 学生さん達は2年生で、もう教育実習も経験済みですが、これだけ短時間に子どもが押し寄せてくる経験は、あまりないのだろうと思います。そして、「お店屋さん」になることで、その周辺環境…店舗の設置から呼び込み、流れや見送り…まで、「ある程度は」想定しておかなければならないことに気付いたと思います。「お店の場所が、結構人の流れに影響する」とか、全体そろって現場でなければ分からないことも。
 私も今回は、始めて「開催後のアンケート」をお願いしています。感想や要望など頂戴し、学生さん方にフィードバックしようと思います。幼稚園として「この行事は楽しいと思います」と賛同しているのですから、丸投げにはできません。
 そして、いくつかのお店で「子どもが自分で手を入れる」「お店のお手伝いをする」という新趣向が見られました。キッザニアならともかく、「年少児がどの程度できるのか?」の想定は、結構大変だったと思います。「どのくらい時間がかかるのか?」とかも。けれど大抵のことは試行錯誤・トライアンドエラーです。いつか彼らが現場に就職した時の礎になってくれればと思います。
 彼らにも話しました。「子ども達の記憶の中に、みんなの事が少し入ったかと思います。そういう”記憶に残る大人である”ということは、どこか覚えていてね」と。

終わりは始まり

7月 21st, 2016 | Posted by Sato in 保育論 - (終わりは始まり はコメントを受け付けていません。)
okaitke2016 今日は終業式。私は主に振り返りの話しをしていました。「年少さんは、自分の椅子を持ってくることができなかったけれど、今ではしっかり持って来られるようになりましたね」「年中さんは、新しい友達と一緒にトウモロコシを育てたり遊べるようになりましたね」「年長組は一番のお兄さん・お姉さんとして、自分達のことをよく分かっています(自覚があります)ね」という塩梅です。幼稚園って、そういう変化が目に見えることが多いので、本当に嬉しいです。
 それをうけて、司会の先生は「夏休みの過ごし方」を話してくれました。「早寝・早起きをしましょうね」というところから、「本をたくさん読むつもりです」「施設開放もありますよ、お店屋さんごっこやコンサートもありますよ」と。
 ちょうど私も『子どものための哲学対話』を買ったところで、「明照新聞」に向けて?材料を仕入れようと思っています。  そう、「終わりは始まり」とはよく言いますが、今日も明確に「1学期の終わりは夏休みの始まり」でした。子ども達は恐らく「夏休みが始まって嬉しいな」と未来志向の目で見ていると思いますが、大人は同時に「1学期を振り返る機会」とも捉えているわけです。こうした経験の積み重ねから帰納して「始まりは終わりを伴う」と抽象的な理解を持つと、生活を二重に味わえるようになるのでは、と思います。
 …くだんの書籍、「人生の目的は遊ぶこと」で始まります。興味津々。「遊びとは何か?」ですね。

ナイスな突っ込みです

6月 9th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (ナイスな突っ込みです はコメントを受け付けていません。)
ponsuke2016 今日は「時の記念日の集い」。行事なのですが、それも大事なのですが、子どものツブヤキというか、突っ込みが面白くて…こちらを書くことにしました。
 「時計があると便利だね」という話をして、歌を唄って、「動物村の時計台」、始まり始まり…子ども達は卒園までに3回見るスライドなのですが、私も相当な回数、見て来ました。そして今日は、見事な突っ込みがありました。

ポン助「あぁ、よく寝た。お父さんもお母さんもお仕事で出かけちゃったか。」と、ご飯を食べて幼稚園へ出かけました。
…「もし時計がないと、各々バラバラの時間で動くから幼稚園が始められない」というストーリーなのですが。
「一人で行くんだ…」

見事な突っ込みです。保育所であっても、きょうび「一人で行く」はあり得ませんよね。自分の身に引き当てて考えられる。とても良い批判精神です。

 そして、次のスライド「トム・チット・トット」。イギリスのお話です。イギリスって結構変な国で(日本で育った私から見て、ですよ…主観的にしか言えないでしょう?)おかしな実験とか理不尽とか、実は好きな国のようです。
 そもそも、お馬鹿さんな娘がしでかした失敗を、お母さんが嘘(今で言う詐称です)で取り繕って王家入り。お后として「11か月は遊んでいても良いけれど、一ヶ月は働け」と言われます。最後の一ヶ月、彼女は結局働いた訳でもなく、「大工と鬼六」のように自然から学ぶでもなく、王様の話に付き合っていたら回答が見つかり、助かってしまった。そんな粗忽、いや粗筋です。
 その荒唐無稽さはまぁいいのですけれど、最後に「あなたの名前は、トム・チット・トットね」と当てられると、彼はギャーと叫んで逃げて行ってしまうのです。おわり。

 そこである子が、「なんで?」何故名前が分かると逃げてしまうのか?というのです。これまたナイスな突っ込みでした(パチパチ)。しかも、文化的に深いです。

「名前がつくことは、関係ができること」です。「アンノウン=Unknown」は即ち異界の存在、手出しできない領域という訳です。相手が誰だか分からない、呼びようがない。言葉で捉えられない。それは恐怖に近い存在であろうと思います。だから逆に、名前を当てられた奴は、もう脅威ではない。恐れ身を竦める相手ではない。だから名前を当てられた彼は、物理的に逃げていったのです。
 この辺り、面白いなと思います。何せ「鬼六」では、名前を当てられて、「名前を呼んで貰えて嬉しくて、それからも度々大工を手伝ってやりました」の方向なのですから(うろ覚え)。この辺り、両者とも「人間と言葉を交わす異物」でありながら、かなりの違いですよね。
 この小鬼、「名前が当てられなかったら、お前を嫁に貰っていくぞ」と脅すのですが、そもそもお馬鹿さん娘、かつ食い意地が張っています(パイを一気に5個食べてしまうのです)。たまたま周りのフォローとタイミングで王妃になったに過ぎないのです。そんなのは…どうなんでしょうね。そこ突っ込みたいなぁ。

参観ありがたし

6月 5th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 - (参観ありがたし はコメントを受け付けていません。)
chiwa2016  今日は幼稚園がお休みなのですが…先生方の記録を読んでいたら、嬉しい姿が書かれていました。
「参観で、沢山の拍手がもらえたのが嬉しかったのか、新しい俳句なども最初から声を出して読んでいます」とありました。
 年少組ですから、変わったばかりのカードを「読む」ことは大変難しく、自信もないはずです。でも、最初から声に出している。
 皆さんも学生時代はそうだったと思いますが、何かを覚えようとする時は、「手で書いて、目で見て、口に出して、耳で聞く」と、感覚を沢山使ってふれていたはずです。確信を持たないまでも、声に出してついて行った方が、自分が多重的に触れることになり、親しみ・定着はよいと考えます。それに抵抗するのが「自信のなさ」なのですが、参観で拍手を貰ったことで積極的になれた。日誌には、そう書いてあったのです。
 これは、まったく職員だけではでき得ないことです。見て貰った、拍手してもらったことが、数日経っても子どもたちによい影響を及ぼしている。保護者の皆様、誠に有り難しです。

かがくる

6月 3rd, 2016 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (かがくる はコメントを受け付けていません。)
uenozo  イヤ「蚊が来る」ではありません。昨日の動物園から、子どもの科学心が燃えているようなのです。普段あまり考えていないからなのか、「先生、手の指はなんでー5本なの?あと足の指も」と、若干省略があるのですが、「モルモットの一匹ずつ、模様が違うのは何故ですか?」、「人間の手の指・足の指はなぜ5本なのか」を聞きたくなったのです。あと「モルモットは、どこから来たんですか?」…私が「モルモット博士」として登場したからなのか、長年の疑問か思いつきか分からないのですが、とにかく「知りたい」と。
 人間の手はなぜ5本指なのか。これ、分かっていないようです。本人にもそう答えました。丁度手近に生物教科書があったのでちょっと調べたのですが、「3本であること」には説明が…ものを掴める…あるのですが、「なぜ5本なのかは、はっきり分かっていない」とのこと。足の指は体勢のバランスを取るためだろうけど、「何故?」系の質問は難しいですね。
 もうひとつ、「モルモットはどこから来たんですか?」これは、原産地か進化のはなしか?魚類が陸に上がって…から話そうとしたのですが、あまりピンと来なかったようで、すぐに去られてしまいました。ヒレを使ってノソノソ地上を歩く様子を再現したのは、何か面白かったようですが。
 ともあれ、人間の形とか色とか、いろんな「観察」から「疑問」が涌いているようで、何ともよいことです。「お、それは難しい問題だね」と言って時間を稼いでいる間に、何とか骨子だけは考えてお話しています。何度もやると、質問も洗練されて来ますので、良かったら付き合って下さい…特にお父さん方。ア…「かがくる」は朝日新聞社のパクリでした。ごめんなさい。


 そうそう、順番が逆になってしまいましたが、昨日の「子ども動物園」は面白かったです、いろんな意味で。子ども動物園自体がリニューアル中だそうで、プログラムも現在開発中、お試し参加だったのです(私もモルモット博士として登場しました。エッヘン)。
 モルモットの配り方・事前ワークシート・触れ方・特徴の掴み方など、進行など様々な工夫(と試行錯誤)が含まれていました。ほしぐみとつきぐみの間に改善が図られていたりして。「5感で感じる・科学的な態度で」というポリシーを感じました。面白い!(男子的に)お伺いすると、中心になっている方もお母さんで、「ウチの子も5歳なんですけど、この言葉でどれだけ分かるか…」慎重に言葉を選んで組み立てていました。
 今後、恐らく台本などに纏まっていくのでしょうけれど、「質の高い経験をどの子にも」という意図が感じられました。今後が楽しみです。

意図の二重化

5月 30th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (意図の二重化 はコメントを受け付けていません。)
sankaan2016  何だか偉そうな、分かりにくいタイトルでごめんなさい。でも、「幼稚園で、子どもと・先生と・親御さんが揃う」という機会は余りない(ウチは多い?)ので、その全体像について、改めて言及しておきたいと思います。
 二重化と言っているのは、この「保育参観」が、それぞれ個人の思い・意図があっての開催であるのみならず、全体としての意図も持って行っているということなのです。
 子ども達は「お父さん・お母さんに見られて嬉しい」・親御さんたちは「幼稚園で子どもが頑張っている…今はこれしか適する言葉が見つかりません…のを見て嬉しい」、そして園としては、教諭に代表させると「親御さんが、自分のことを見てくれていると思って張り切る子どもが、物事に取り組めていて嬉しい」と。まさに三者三様で「何に嬉しいと思っているのか」は各々異なるのですが、全体トータルとして「嬉しいなぁ」という雰囲気が幼稚園全体を覆っていました。
 中でもそのキモとなるのは、やはり保護者の方です。「幼稚園での子どもの様子を見られる」のはレアなケースですから、それこそ予め価値観を分かった上でお越しいただかないと、全体のバランスが悪くなります。子ども達は見て貰えると思って張り切っても、どうも見てくれていないみたい・写真を撮りに来たみたい・お喋りしに来たみたい。それではね。
 なので、幼稚園としても、できるだけその目的に沿った結果になるよう、いろいろと工夫…細工をしています。撮影の件とか時間設定とか、もちろん活動内容とか。年齢が上がってくると、「見に来られるの、恥ずかしい」とかいう気持ちも芽生えてくるかも知れませんが、「見て見て〜!」の時期に「見てるよ〜!」を時たま返してあげる。この塩梅が良いのでしょう。
 お迎えまで、適当な時間的空白も用意してあります。「時間的に長すぎない」ことで、適度な緊張感と距離感をもって、参観ができたのではないでしょうか!
 今日は、お父さん方の姿も多く見られました。どうぞご家庭では、たくさん誉めてあげて下さいね(奥様への感謝も忘れずに)。

科学する心

5月 27th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 - (科学する心 はコメントを受け付けていません。)
kagakusuru2016 はい、このタイトルはパクリです。ソニー教育財団の。ずっと昔から聞いたことはあったのですが、今日はその姿を目の当たりにしました。
 話は昨日に遡ります。ある男の子が、職員室へやってきて、「園長先生、この葉っぱ毟っちゃってごめんなさい」と、謝りに来たのです。一目で面白い葉っぱだな、と思ったので「そうか、そりゃいけなかったね。葉っぱをむしると、草は元気がなくなっちゃうからね」と話した後、「で、何か面白かったのかな?この葉っぱ」と聞きましたら、「この葉っぱの形が、鼻とか口に見えて面白かったから」と答えます。なるほど。たしかに面白い形をしています。
 そこで、彼自身に写真を撮ってもらい、印刷して渡しました。「何ていう葉っぱか、調べてみたら?」と宿題を。
 …そして、調べてきたのです!多分お父さんに協力していただいて。担任に聞きましたら、彼は普段から虫とかが大好きで、家に沢山の図鑑もあるそう。幼稚園では周りが騒がしいので、家でじっくり見るのが好きなんだとか。分類・名前・名前の由来・特徴、自分で見つけたこと、自分で感じたこと。そして最後に「とってごめんなさい」と書かれていました。
 その時、パッと思いついたのです。「科学する心だ」と。「囲まれているだけでは余り意味が無くて、それを見る目を養うことが大切」と、時々話してはおりますが、立派なレポートを纏めてきた彼に、男の子らしい好奇心、観察眼、探求する行動力を感じました。「もしかしたら、園庭の植物図鑑とか作られたりして…」とか夢も膨らみました。…また気が向いたら、報告してくれるかも知れません。けれど…!「先生、僕も毟ってきました!調べてもいいですか?」というのが激増したら…多分、許可します。
 そういえば、小学生の頃は図鑑大好きでしたね。隅々眺めて「読んでいた」覚えがあります。一時期は国語辞典を読んでいました。「内容を覚えている?」と聞かれたら「殆ど…ない」でしょうけれど。

勤労…確かな道

5月 12th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (勤労…確かな道 はコメントを受け付けていません。)
「イラストボックス」より

「イラストボックス」より

 今日は木曜日ですけれどお御堂参り。今週は「母の日の集い」を月曜日に移動したための措置です。
 子ども達も、だいぶお御堂参りに慣れてきたようで(ファンです、といってくれる年少組男児もいるそうです)、そろそろ自由に話を選べるかな?と思って、今日は「小槌の柄」というお話にしました。「小槌」は絵を見せましたが、「傳通院の近くに、大黒天ってあるけれど、知ってる?」に「ハーイ」と答えた子も多数。ぜひ見に行ってあげて下さい。
 それはともかく、筋としては何とも日本的ベーシックな「勤労をすすめる」お話でした。いつ頃が発祥なのか分かりませんが、「大黒様が出てきて会話する」とか「柄が折れちゃってる」とか、近世の成立とは思うのですがとにかく「神様が人間ぽい所は、日本昔話らしいなぁ」と感じました。
 あらすじについては、お子さんにお聞きになるか リンク先でお確かめ頂きたいのですが、なかなか味わい深いものがあります。

1)若者は本来、怠け者である。
2)富を得たいという動機で、寝るのをやめた。
3)大黒さんの所まで歩いて行く「面倒」もいとわない。
4)大黒さんの話を信頼している。
5)「富を得たい」の動機が、具体的な「労働」へ具体化していく。
6)具体的な労働により、具体的な富を得る。
7)自分の力で富を得たので、打出の小槌は不要だと思う。

 村の人々は、彼に「起きなさい・やりなさい・働きなさい」と口酸っぱく言ったりしないのです。恐らく既にやり尽くしているのです。それでも動かなかった彼が「楽して富が手に入る」というウマイ話に釣られて起きだす。
 それから大黒様もイカしています。神様なのに、打出の小槌が壊れている。神様なのに!それじゃ何の仕事もできないじゃん!と突っ込みたくなります(子どもでも)。
 で、「おまえの行動いかんで打出の小槌が直るかも。おまえの力で」ってんで張り切るわけですね、若者。そうして働いて、大黒様の求めが満たされる時には、すでに若者自身が富を手に入れていた。
 いやー素晴らしいです。「大黒様(か村人…大黒様の使いです)」をお母さん・「若者」を子どもに置き換えると、見事に子育ての話になるじゃありませんか。「どんな時に子どもが主体的になるか」、その一例だった訳ですね。

やさしい顔が好き

5月 9th, 2016 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (やさしい顔が好き はコメントを受け付けていません。)
kaogasuki  今日は母の日の集いでした。世間より一日遅れてしまいましたが、改めて「お母さんという存在」を振り返りつつ、その主旨を子ども達に伝えました。
 まぁ、主旨と言っても「理屈と膏薬はどこにでも」という奴で、「良い習慣だ、改めて考え直す機会だ」ということも「自分から言い出さなければ意味がない」という事もできるのですが、何事も、存在している限りは何らかの「よきこと」の現れとして捉えたいので、そういった方向でお話しました。
 どうも昔から、「身の回りの世話をしてくれてありがとう」ばかりが多く、それは幼児にとっては「分かりやすい」であろうと思うのですけれど、昨年辺りからは「あなたに笑顔の力を教えてくれた人」として「お母さん」を位置づけています。
 つまり、「ランダムに(=試行錯誤的に)表情を変えてゆく赤ちゃんに対して、特定の表情(に見える状態)のときに、強く反応する」ということを通じて、「笑顔になると、お母さんが喜ぶ」という実体験を積ませてくれているだろうと思います。つまり、人間関係とかコミュニケーションの一番の土台を授けて下さった方としてのご紹介です。「あ、赤ちゃん笑ったよ」と喜んでくれる、その生の体験が子どもの学習材料になっているのです。これは言葉で言って聞かせるよりも、はるかに強力です。言葉の通じないうちからやり取りしているのですから。「人と出会った時は、笑顔でね」と言葉で伝えるよりも、実際のお母さんの姿を見て「心地よさ」を感じていれば、学んで身に付けていくものです。
 子ども達の作品、今日は持って帰ると思いますが「やさしい顔がすき」、これはインタビューで発言したのでしょうね。これは明らかに表情を指しています(造作ではなく)。お母さんが優しい表情で接していること、子ども達はちゃんと心地よく受け取っているのですね。