明照幼稚園

生きる力とは…!

10月 26th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
この間、勉強していたら久しぶりに「生きる力」の定義を見た。これって、「自分で問題を発見し、考え、発表する」みたいな事ばかりが自分の中でクローズアップされていたが、改めて本で読むと、3点があることに気づいた。 1.問題解決の能力;世間で最も取り上げられるもの。 2.他人を思いやる、感動する心;おお、ちゃんと気持ちとか心とか、取り上げているんだ。 3.たくましく生きる健康や体力;今までは、きっと言わずもがなだったんだろうな。 と、ここまで来たとき思ったのは!「やっぱり、知育・徳育・体育じゃないか」しかも、徳育体育については目新しい所なく「当たり前」のこと(だから1がクローズアップされるんだろう)。問題はこの3者のバランスの悪さであって内容はその次ではと思ったりするが…
私自身がそう発言した覚えはないのだけれど、私の紹介として、「がんばる事を教えたい」という言葉が使われていました。きっとインタビューアの方が、そんな事を解釈して下さったのだろうと思います。それがメディアにのって、とあるメルマガで批判がされていました。曰く「それは親がかりで子どもを頑張らせるという、教育家族の失敗の物語が、ここで、これから繰り返される家族の姿を見るからだ。」あらあら、ずいぶんな言われようですね。 恐らく、紋切り型の「頑張る子どもしか認めない家族→子どもが期待に応えられなくてパンク→問題行動」という想定をされているんでしょう。 (さらに…)

仏教?っぽく保育を考える

9月 14th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
昨日、水槽のセッティング(海水始めます!)をしながら、ふとひらめいた。仏教には「因縁」という言葉があり、これは「因」と「縁」があって世の中成り立っているという考え方を示す言葉である。  くだいていうと、「因」は原因。植物でいうなら種にあたる。そして「縁」は環境。土とか日光とか水とか。この両方が揃って、初めて物事進んでいくよ、という考え方だ。  この間から考えている「一斉保育」「自由保育」って、これにあたるんではないか?一斉は、種。いろんな活動を通じて、子どもへ紹介していく。興味の種と基本的な技を提示する。それこそ領域とかがヒントになる。で、「自由保育」っていうのは環境じゃないか?自分の周りに対して、積極的に働きかけ…ていい環境。  おぉ!何だか上手いこと言っている気がしてきた。もう少し続けて考えよう。

自発的

8月 16th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
むむ「自発的」…って、なかなか見極めにくいよ。現在我が家にいる子ども達が「お!自発的に動いている…」というのは何時?しかもそれが「遊び」と思えるか? そりゃ、好きなブロックだの玩具だの出してきて遊んでいるのは、「自発的に遊んでいる」よ。でも、たとえば昨日やった「木工作」とかはどうなんだろう。 キットを選んだのは息子。買ったのは親。家にほおって置いたら、見つけてきたのは娘。やろうと言い出したのは息子。準備を指示したのは私。準備したのは子ども。そういえば、自分たちでスモックを着てきたのはちょっと感動した。 で制作開始。基本的に作るのは子ども達。細かいところをやっておくのは親。子どもは休みたくなったら休む。再開したくなったら、する。 結局完成まで4時間かかった。息子の分の組み立ては、流石に難しかったので私。彼が接着したのは台車のみ。 (さらに…)
さて、本ホームページがヤフーに登録されました。とっても早い対応で、とてもありがたいです。一番ヒットするキーワードとして、「一斉保育」を上げてみました。でこの辺りについて、イロイロと考えていこうと想います。宜しくお願いいたします。まずは、「一斉保育」と「自由保育」という言葉。これは実際流通しているものではあるのですが、幼稚園の教育要領には、どちらも出てこないのです。ただ、「総則」には「幼児の自発的な活動としての遊びは、…遊びを通しての指導を中心として…」という文言があり、ここで「遊び→自由に、好きに活動する」というイメージが広がったと思われます。でもね。この根本の考え方は、表現を変えて沢山出てくるんだけど、拾ってみると「主体的な活動が確保されるよう」とか「自我が芽生え、他者の存在を意識し、自己を抑制しようとする気持ちが生まれる幼児期の発達の特性…」「様々な体験を積み重ねる中で…」「幼児が環境に係わって展開する具体的な活動を通して総合的に…」(この2つは第2章、ねらい及び内容)とかになる。これは、最初にかかれている「自発的活動としての遊び」、というとらえ方、もっと言えば「遊びの中でも、自発的な活動」を重視している文章であると見て取れるのでございます。つづく。