明照幼稚園

『祖国とは国語』

1月 23rd, 2007 | Posted by admin in 保育論 | - (0 Comments)
昨年のベストセラー『国家の品格』を著された藤原正彦さんが、それ以前に書かれた本です。何気ない時間つぶしと思って購入したのですが、(そういう時はタイトル勝負ですね!)非常に刺激になりました。「まず豊かな日本語を」というのは、漠然として持っている想いだったのですが、それを明確な形で示してあったのです。どんな言葉を使うか、が集団を形作るというのは、スケールを相当小さくしても通用する話で、いわゆる「高校生言葉」とか「家族内言葉」とかも原理は同じと考えられます。そして明らかに!「幼稚園言葉」もあると思います。それが良いのか悪いのか…は更に考えていかなければならないのですが、少なくとも「気づいた」ことは出発点ですから。 「幼稚園時代は人生の基本を作ります』と言うのならば、言葉の指導は避けて通れないのは明らかです。

『祖国とは国語』

1月 23rd, 2007 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
昨年のベストセラー『国家の品格』を著された藤原正彦さんが、それ以前に書かれた本です。何気ない時間つぶしと思って購入したのですが、(そういう時はタイトル勝負ですね!)非常に刺激になりました。「まず豊かな日本語を」というのは、漠然として持っている想いだったのですが、それを明確な形で示してあったのです。どんな言葉を使うか、が集団を形作るというのは、スケールを相当小さくしても通用する話で、いわゆる「高校生言葉」とか「家族内言葉」とかも原理は同じと考えられます。そして明らかに!「幼稚園言葉」もあると思います。それが良いのか悪いのか…は更に考えていかなければならないのですが、少なくとも「気づいた」ことは出発点ですから。 「幼稚園時代は人生の基本を作ります』と言うのならば、言葉の指導は避けて通れないのは明らかです。

ちいさな「ありがとう」

12月 17th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
さて、年中組の「特別保育」が始まって2週間。私が主になって6年目になる。内容は、その時ごとに少しずつアレンジしているから毎年同じではないけれど、力点が変わってきたと感じる事がある。 第1週の「みんなのなまえ」。教室中に隠されたカードを集めて自分の名前を作るんだけれど、見つけた物の中には当然、自分には不要の物がある。それをどうするか?友達にあげたり、貰ったりというプロセスが生じる。その際気になるのが、「小さなありがとう」。「な、欲しい人〜!」と友達が言っている。欲しくて「頂戴!」という。「いいよ。」で貰って、そのまま自席へ持って行く…。オイオイ、一言あっていいんじゃないの?去年あたりから、それがもの凄く気になる。普段から、小さなことから「ありがとう」「ごめんね」を言い合ってこそ、イザという時にも言えるようになるんじゃないのかしら。わざわざ練習するのは馬鹿馬鹿しいという感覚もなきにしも非ずだが、今時、練習しておいていいような気がしている。

奥ゆかしく 江戸っ子で

12月 13th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
今日の新聞を読んでいたら、江戸ッ子の美意識みたいなことで、書かれていたのが「駕籠を使える身分になっても、正面まで乗り付けない」というのがあった。地方から都会に出てきて、商売でもして駕籠にも乗れる身分になった。でも、これ見よがしに目的地の店先にまで乗り付けず、ちょっと隠れたところで駐めて、いかにも歩いてきたように到着するのが江戸っ子だったそうだ。 実は私自身にもそういった感覚がある。若いくせに車で行くときなど、いかにも「歩いてきました!」的演出をしたくなるのだ。そうか江戸時代からすり込まれた美意識だったのか。でも、これは当たっていると思う。幼稚園は基本的に徒歩・自転車で。世間というものが今よりずっと力を持っていた時代なのだろうけれど、それは嗜み(たしなみ)のひとつではないかしら。

高塚先生

11月 24th, 2006 | Posted by admin in 保育論 | 日々の姿 - (0 Comments)
えー日本小児科学会の市民公開フォーラムへ行って参りました。午前中はお医者さんたちの会合、午後は一般公開あり、託児あり、おまけに参加無料ということで行ってきました。以前も清川先生が「メディアと子ども」の講演をされていたのですが、今回は更に広い会場で、多くの参加者が集まっていました。 そこで講演されたのが高塚先生。鳥取大学の助教授でございますが、元は高校の教諭でした。10年近くにわたり、高校生と幼稚園・保育園児・老人施設との交流を年間カリキュラムとして実施してこられた方です。高校生たちが、「一度も赤ちゃん・子どもに接しないまま成人して」自らの子どもを育てるのは変じゃない?という発想だったそうです。全く以てその通り。実践記録の彼らのいい顔。いい表情。ぜひ全国的に展開して欲しいものです。 非常にマメな方で、4年ほど前に一度研修させていただきましたが、今だ時折メールを下さいます。 楽しい研修です。機会がありましたら是非!どうぞ。 http://hp1.tcbnet.ne.jp/~taka255

手放す

11月 18th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
今日、明日と幼稚園はお休み。午前中の時間を利用して、末娘(1才)と歩いて小石川郵便局まで行ってきた。で戻って、園庭の遊具で少し遊ぶ。丁度はしごみたいな所があって、両手両足を使うと、1段だけ登れる。それが嬉しくて、何度も登ったり降りたりしていたが、ふとおかしいことに気づいた。片手に何か握っている! だから、そっちの手は手首を引っかけているだけ。力が入るはずがない。 思わず危ないと思ったが、「落ちてもどうせ一段だし」と思って、そのまま見てみた。持っているのは、何の変哲もない石ころ。つい拾って、何気なくそのまま持っていたのだろう。…暫く見ていたが、彼女が石を手放す素振りは全く見られなかった。落ちる事もなかったが、1段以上あがる事もできない。思わず「おーい、その石放したら?」と言ってみたかったが、ぐっと我慢。彼女が登りたくなって、でも石に気づかず登れないでいたら、はじめて指摘してやろうと思う。何時になるか分からないけれど。

クサイ

11月 14th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
11月の幼稚園は、月末のお買い物ごっこに向けて、制作の目白押し。色んな素材(廃材を含む)使って、クラスごとのお店を開くため、沢山の「商品」を作っています。普段は使わないものが色々出てくるので、その反応も様々。 あるクラスでボンドを使ったところ、「クサイ」といやがる子が続出したとか。ふむー、と考えてしまうのであります。 僕自身はかなり匂いは分かる方なので、我が子の頭の匂いを嗅いでは「今日は小鳥のにおい」「お日様のにおい」とか面白がっていますが、子ども達の表現力は恐ろしく少ない。「くさい」「いい匂い」位しかない。まぁ主観的なものを客観的な道具である言葉を使って表すので難しいんですが、お線香もクサイ、犬もクサイ、ってちょっとね…。で思い出すのは、学校に上がってからイジメの言葉として必ず出てくる「クサイ」という言葉。目に見えない部分で、感じるのだから昔から神様の現れ方のように扱われてきたけれど、この「良い」「悪い」しか表現できない子ども達にとって、容易に「とにかくあいつはNO!」というイジメの言葉として転化していくのは心配の種。「臭くたって、これ使わなきゃできないんだから、終わったらさっさと手を洗えばいいのよ」というものだが、「クサイ、クサイ」が集団になると一体感もある、面白味もあるというやっかいなもの。感覚と表現の貧困さが、イジメの状況に繋がっているようで、何とも嫌な感じ。ぜひ!匂いの色々な表現を子どもに浴びせておきたいものです。

生きる力とは…!

10月 26th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
この間、勉強していたら久しぶりに「生きる力」の定義を見た。これって、「自分で問題を発見し、考え、発表する」みたいな事ばかりが自分の中でクローズアップされていたが、改めて本で読むと、3点があることに気づいた。 1.問題解決の能力;世間で最も取り上げられるもの。 2.他人を思いやる、感動する心;おお、ちゃんと気持ちとか心とか、取り上げているんだ。 3.たくましく生きる健康や体力;今までは、きっと言わずもがなだったんだろうな。 と、ここまで来たとき思ったのは!「やっぱり、知育・徳育・体育じゃないか」しかも、徳育体育については目新しい所なく「当たり前」のこと(だから1がクローズアップされるんだろう)。問題はこの3者のバランスの悪さであって内容はその次ではと思ったりするが…
私自身がそう発言した覚えはないのだけれど、私の紹介として、「がんばる事を教えたい」という言葉が使われていました。きっとインタビューアの方が、そんな事を解釈して下さったのだろうと思います。それがメディアにのって、とあるメルマガで批判がされていました。曰く「それは親がかりで子どもを頑張らせるという、教育家族の失敗の物語が、ここで、これから繰り返される家族の姿を見るからだ。」あらあら、ずいぶんな言われようですね。 恐らく、紋切り型の「頑張る子どもしか認めない家族→子どもが期待に応えられなくてパンク→問題行動」という想定をされているんでしょう。 (さらに…)

仏教?っぽく保育を考える

9月 14th, 2006 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
昨日、水槽のセッティング(海水始めます!)をしながら、ふとひらめいた。仏教には「因縁」という言葉があり、これは「因」と「縁」があって世の中成り立っているという考え方を示す言葉である。  くだいていうと、「因」は原因。植物でいうなら種にあたる。そして「縁」は環境。土とか日光とか水とか。この両方が揃って、初めて物事進んでいくよ、という考え方だ。  この間から考えている「一斉保育」「自由保育」って、これにあたるんではないか?一斉は、種。いろんな活動を通じて、子どもへ紹介していく。興味の種と基本的な技を提示する。それこそ領域とかがヒントになる。で、「自由保育」っていうのは環境じゃないか?自分の周りに対して、積極的に働きかけ…ていい環境。  おぉ!何だか上手いこと言っている気がしてきた。もう少し続けて考えよう。