明照幼稚園

かけ算ではない

1月 23rd, 2009 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
最近、年中組さんでは「逆上がり」に挑戦する子がとても多いです。この時期からが生涯で最も上がりやすくなる、という既存の知見とも合っています。もちろん、「自主性に任す」という放任ではなく、先生と子ども達で練習しています。そこで見て感じるのは「成長は、かけ算ではないな」という事です。1日100分かけて練習することよりも、10日10分ずつ練習する方が、はるかに良いということです。かけ算だったら「練習時間は同じ」となるのですがね。 しかし不思議なことに私たちは、「特訓」という言葉が意外と好きだったりしませんか。まさに「1×100」というやり方なのに。 もしかして、大人になるとそうなのでしょうか。坊さんの世界でも「別時会(べつじえ)」という形があって、それは謂わば「スペシャルイベント」なのです。普段とは別に、時間や場所や仲間を区切って修行しましょう、というものです。それから考えると(…続く)

表層

11月 16th, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
目で見た物事に、子どもは反応する。それは、当たり前の事です。しかし願わくば、その裏にあるストーリーや価値観も、いずれきちんと弁えて欲しいと思うのです。先日の「猿・蟹合戦」。あるシーンだけ取り上げてみれば「青い柿をぶつけられて、痛がっている」「臼に乗られて、痛がっている」と、どちらも痛がっていること自体は違いありません。しかし見ている人たちは、そのシーンの基になるストーリーを知っているので、「可哀想に」「懲らしめられたんだ」と、正反対の感情を持ちます。それは、価値観と言ってもよい事だと思います。 どちらのシーンでも、「痛がって騒いでいる者を見て、笑ってしまう」というのは、表層だけしか見えていない事の表れでしょう。そんな子ども達の様子を見て、暗澹とした気持ちになる方も多いだろうと思います。しかし、もしかすると、これは日常で大人達が表層しか見せていない事の証左ではあるまいか。物事を簡単に・単純にしか教えていないからではないか、と恐れたりもします。

映画を見てきました…!

8月 31st, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
遅ればせながら、「崖の上のポニョ」を見てきました。ふっと時間が空いたので、川崎の駅前で映画館に入ったのです。 この年で男ひとりというのは、ちょっと辛いものがありましたが…。さて、ストーリーを晒す野暮は置いておいて、「これ!」といったストーリー的盛り上がりでない部分で、結構感動していました。さして煮詰まってもいないが、ちょっと光が射してきたようなシーンとか。 で後になって気づいたのですが、全編全員、声が優しい。テレビコマーシャルになっている「僕が守ってあげるからね」も、子どもの持つ自然な優しさが表れている気がします。 みんなそれぞれに寂しさも抱えており、きっとそれ故に「優しく」なっているのだと思います。 幼稚園でも、この「本来的に持っている子どもの優しさ」をしっかり見いだし、守り育んでいきたいと思いました。あれこれ批評する必要はないけれど、見ると幸せになる映画と言えるでしょう。

日光の三猿

8月 22nd, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
私達にとっての「夏休み」は、もちろん「お楽しみ!」の期間でもありますが、同時に「普段では経験できないことを味わう」時でもあります(子どもと同じですね)。私は今年、恐らく小学校以来の日光へ行ってきました。定番の東照宮…神厩舎の三猿を子どもに見せておりましたら、「他の猿は何をしているの?」との質問。あっ。確かに知らない。という訳で調べてみました。 三猿は、8つの場面の3番目に出てくるのですが、それは子どもの成長を描いたものだそうです。母ザルの膝の中から、独り立ちし、親になっていくストーリーが描かれています。そして第3場面は、「子どものときは悪いことを見ザル・言わザル・聞かザル」なのだそうです。「誰が何を」を補うと、ぐっと現実味が出てきますね。 実際の世の中は、楽しい事ばかりではない。綺麗なことばかりではない。悪いこともある。でも子どものうちは、それに触れないようにする。子どもとは、まだ善悪の区別がついていない年頃。周りにあるもの全てを良しとして受け取るということを、しっかりふまえているのでしょう。(参考;日光観光協会)

連続性…

7月 28th, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
今回の、学習指導要領の改訂では、「小学校との連携」ということが謳われています。今日は幼稚園の園長先生方の研修会があり、この点について、活発な議論に参加(…聞いて)来ました。 事の発端は、いわゆる「小一プロブレム」、つまり小学校入学前と小学校での生活のギャップの大きさを、どう捉えて軟着陸していくか…ということなのですが、一方幼稚園でも「小学校とは違いますから」「特定の学校入学のための機関ではありませんから」と、連続性というものを重視してこなかった経緯があると思います。でも、「年中さんになったら…」「年長さんになったら…」と同じトーンで、「小学校になったら…」という期待を子ども達に持って貰うのはとても大切なことだと思います。「自分も大きくなったんだ」という喜びと共に、更に先を期待する。そんな夢を持ってもらいたいものです。 (さらに…)

ピーター・パン

7月 23rd, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
夏休みになって、東京国際フォーラムのミュージカルを鑑賞してきました。流石に、お母さんと子どもたち・アンドお祖父ちゃんお婆ちゃんがたくさんいらっしゃっていました。大人になってから・久しぶりに見ると、ストレートなだけでない、見方ができる自分に気づきます。  やはり圧巻は最後でした。ウェンディたちがロンドンに戻ってからン十年。ピーターが再び戻ってきます。そこに居たのは、(本当の)母親となってしまったウェンディ。彼女はもうネバーランドへは行けません。大人になってしまったからです。するとピーターは、ガーン!彼女の娘を誘って、さっさと飛んでいってしまうのです!!見送るウェンディの後ろ姿…花嫁の母親、そのものです。 (さらに…)

子どもの一番の願い

7月 15th, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
この間、お寺のお参りで聞いた話。その方は、娘さんがもう30代ですので、「その昔」幼稚園のお母さんでした。その同窓会(お母さんの)があって、色々話が出たそうですが、最近になって、ある娘さん(つまり30歳位)が、「実は私、小さい頃とてもいじめられていたの。だけど、お母さんに心配掛けたくなくて、黙っていたのよ」と言ってくれたのだそうだ。何年間、胸にしまっていたのだろう…そして、言えて良かったですね。 (さらに…)

七夕のポピュラーさ

6月 3rd, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
昨日から6月に入り、幼稚園では「七夕製作」が少しずつ始まる。同じ「1枚の紙」から、いろんな飾りができてゆくのは、まさに「手を加える」ことの醍醐味、過程次第で結果が変わるということを、とてもストレートに見せてくれる。 製作に入る時には、その導入を必ずするのだが、「七夕」と言われてピント来ない子が増えてきたような気がする。恐らく、現代の家庭では殆ど実感を持てない行事になってしまっているのだろう。 思うにこれは、商業主義と結びつけなかったからではないだろうか。特定の人形が売れる訳でもなし、多くの人が移動するでもなし、プレゼントを貰うわけでもなし。笹の入手が難しい、といった理由ももちろんあるだろう。でも、シンプルに「織姫、彦星の幸せを願う」「自分のワザの上達を願う」行事。そのシンプルさと純朴さを、大切にしたいと思う。

落語

4月 14th, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
お御堂まいりの、素話の練習にと思って、落語のワークショップへ行ってみました。 と言っても、要点としては登場人物の使い分けと、小物の使い方。顔を振って表現する、というのは聞いていましたが、意識的に行うのはなかなか難しいものです。そのうち、「アレ?この人どっち向きに決めたんだっけ?」という風になってしまいました。うーむ。右と左しかないのに。そしてネタを覚えるというのも、人間かなりいい加減であることに気づきました。枕の話から丸覚えしようとするのですが、一字一句覚えるのは、相当大変です。「大凡、こんなことを言っている」というあらすじは結構簡単なのですが、丸のまま、というのは難しい。2文でもだめです。落語としては筋が通ればいいのですが、この「丸おぼえ」の力が相当落ちていることの実感に、ちょっとがっくり来ました。 (さらに…)

反対と否定

2月 2nd, 2008 | Posted by admin in 保育論 - (0 Comments)
この2つは、似たような働きをすることが多い。多いのだけれど意味合いは違う。この間、特別保育で「形容詞」を扱った時に感じたこと。 例えば「近い」の反対は?と聞くと、「近くない!」の答え。うーん、それは否定であって反対ではないのだが…。その調子で「広くない」「高くない」「良くない」と続きました。形容詞は、対になる言葉があって初めて軸というか概念のできるもの。「広い」「狭い」から「面積・広さ」という捉え方ができるのです。むむー 「反対」ということ自体が分かっていないのでしょうな、きっと。 あと傑作は「広いの反対? い・ろ・ひ」それはね、言葉遊び。 と、ここまで来て気づいたのは、「いつかこれ書いたことあるような…」でもこの傾向は年々強くなっている気がします。