明照幼稚園

カテイが見えますか

11月 7th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (カテイが見えますか はコメントを受け付けていません。)
 いま、幼稚園では来週の「お買い物ごっこ」に向けた活動が盛んです。その中で、保護者参観日がありました。子ども達、親御さんがお越しになると多少なりともバイアスがかかるものです。家で会うときはそんなことないでしょうに、場所が違うと距離感も変わるのですね。面白いものです。
 さて、写真は年長組での姿。今年は徹底的に「コミュニケーションとして・プロセスとして」見ていこうと考えていますので、子ども達のごく近くで、相談している様子や分担して作ってゆく様子などがよく見えたのではないかと思います。
 「それぞれの意見を最大限活かす」…言うは易く行うは難しの代表ですが…を、「トコトン行ってみましょう」で、「一クラスで何個もの店舗ができる」というケースもあるようです。しかし、そうして「一人一人が看板を背負う」というのも、今年の形だからできること。「自分達の力でやり遂げる」がテーマなのですから。
 ですから、「成果物」として「店頭に並んだもの」だけを見てしまうと、或いは「??」になるかも知れません。特に昨年までの「おかいものごっこ」をご存じの方は。ゴメンナサイ。
 けれど、まさに「参観でしか見られない、子ども達のリアルなやり取り・責任感・協調性」は、捉えて頂けたのではないかと思います。
 「大人は、過程を褒めることができる」と言います。逆上がりなどは典型的ですね。おおよそ、「出来上がった物」を褒めるより、「作る過程」を褒めた方が、ネタが多くなりそうで、面白そうじゃありませんか?

三枚のお札考

10月 30th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (三枚のお札考 はコメントを受け付けていません。)
 今日はお御堂参りで「銀杏が風で随分おちましたね」というお話をしました。先日、年少組の子が「拾いたい〜」との事で、慌ててトングを用意して集めて貰いました。
 朝、お母さんとの雑談の中で、「私が小学生の頃は、学校で拾って洗い、お手伝いをした子は食べられたんですよ」というお話を伺いました。実は今でも、お寺の裏では水に漬けた銀杏が沢山あります。銀杏については子ども達もよく知っていて、「剥くと殻があるんだよ」「中身は緑色なんだよ」と、知識を披露してくれました。
 さて今日は「三枚のお札」。「山姥が出てくるから、怖いと思ったら、お隣の子の手を握ってね。そうすれば多分大丈夫だから」と前振りをしておきましたが…大丈夫でしたね(笑)。
 お話としては皆さんよくご存じのものですが、私が気になったのは「結局、拾いに行った栗はどうしたの?」ということです。なので、そこはオリジナルで「一生懸命逃げてきたので、栗は落としてしまった。後日和尚さんと一緒に拾いに行きました」という結論にしました。
 元々のお話では触れられていないので、「そんなことは本筋と関係なく、どうでも良い」のでしょうけれど、空想遊びとして。命の一大事だというのに、「栗を惜しんだばかりに、山姥の家に戻った」り、「落としてしまった栗を拾っている間に捕まった」はあり得ないでしょうけれど、万が一「目先の事に目がくらんでしまって、優先順位を間違える」ことはイカン!と思ったのです。つまり避難訓練における「戻らない」ですな。
 昔話は、できるだけオリジナルで語るのが良いのだろう…とは思うのですが、時々現代の感覚で自由なツッコミを入れると面白い、ということです。きっと「読書へのアニマシオン」とか「宮川俊彦(とっちゃまん)先生」とか勉強していたのが、私のベースにあるのでしょう。
 今はまた、秋の花が大きなお池を彩っています。黄色いのはツワブキ、そして写真の可憐な花は「ホトトギス」と言います。なんでも「他の植物との競争に弱いため、鉢植えに向いている」そうですが、ウチでは他の植物に混ざって咲いています(植木屋さんの腕によるのかな?)。子ども達がとても関心を示したそうで、慌てて調べてみました。良かったらどうぞ、放課後にでもお越し下さい(戸は閉めて下さいね)。

みんなで見直そう

10月 18th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | - (みんなで見直そう はコメントを受け付けていません。)
 今日は水曜日で子ども達は午前保育…だったのですが、先生方はその後、研修を行いました。29年になって「幼稚園教育要領」が改訂されたので、それへの対応を考えているのです。今回、大きな目玉は「幼稚園教育において育みたい資質能力および”幼児期のおわりまでに育ってほしい姿”」として10の項目が示されたことです。
 従前は「5領域」と呼ぶ、「健康・人間関係・環境・言葉・表現」の項目で示されていたのですが、やや横断的に、そして並べ替えられての提示をされました。
 内容的には大きく変わるものではないと思うのですが、「子どもの姿」や「育ち・願い」の視点・整理の仕方が少し変わるのかなと捉えています。
 幼稚園では、日々カリキュラムをたてて保育を行っていますが、それははやり定期的に見直す必要があるのだろうと思います。そして、園長が入園説明会などでお話しする「明照幼稚園のものの考え方・大切にしていること」も見直す必要がある。
 今日は幼稚園の教育目的である「人生を楽しみ、主体的に社会を作っていく子ども」ということと、目標の1つである「器用に生活できる」という文言について、職員全体でイメージの共有を行いました。このような事は、やはり時折行うべきで、年度初めに施政方針として話してはいるのですが、「分かっておいてね、あとは各自で」的な扱いの部分もあり、改めてそれぞれの理解や疑問点を聞いていくと、イメージがより明確になったり、他のこととの繋がりが見えたりするのです。
 ここから日々の保育への組み立ては、「抽象的→具体化」の長い道のりですが、「ここはぜひ園として押さえよう」を共有することで、却って判断基準が明確になり、自由度が高くなることも期待しています。足腰を固めるような感じでしょうか。
 まだ時間のかかる作業とは思いますが、文科省の考える幼児教育も理解し実践しつつ、明照幼稚園の大事にしてきたことは守っていきたいと考えています。

続イベントデザイン

9月 21st, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (続イベントデザイン はコメントを受け付けていません。)
 先生方の「おかいものごっこ」への会議、再び開かれました。前回では大筋が決まったものの、具体的な事柄が未定だったのです。
 「ねらい」と「概要」をベースに意見の出し合いが始まります。「まず、デザインの項目をハッキリしましょう。①場と時間、②コミュニケーションの形、③物の扱いについて、でいいですか?」おお、なかなかスマートな進め方です。いろんな事についてワイワイ話していくなかで自然とまとまることも多いのですが、項目が明確だと、「一カ所決まるとドミノ倒し」で決めやすいのです。いつの間に会議のやり方を身に付けたのか…。感心して聞いていました。
 一カ所が決まると、それを起点にいろんな意見が出てきます。「じゃ、こういう可能性もあるよね」とか多少のオーバーランもありますが、聞いていても想像しても楽しい話。それぞれの経験をもちより、細部が詰められていきました。
 結果、具体的なことが決まりました!。例年とはかなり異なった形と位置づけになります。もちろん初の試みですから、いろんな問題点が発生するかも知れませんが、とにかくみんなでワクワクしています。学年だよりなどでもお知らせするかと思いますが、どうぞお楽しみに。

「敬」老について。

9月 12th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (「敬」老について。 はコメントを受け付けていません。)
 昨日発行の「幼稚園だより」でもふれ、各学年の「今月のお約束」でも取り上げている「敬老」という態度、あるいは思考・また運動について、ツラツラと考えてきました。
 まずは辞書的に引いてみましょう。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」と「国民の祝日に関する法律」にあります。もうズバリと。法律で決まってる。
 「だより」でも「父の日・母の日」や「お盆」との関連を探ろうとしていたのですが、これは決定的に異なるのですね。「社会につくしてきた」が決定的に違うのです。他は全部「家庭内・家族関係における」なのに、これだけが。
 まあ、「国が定める法律」だから当然と言えば当然のこと。家庭内のことに法律が踏み込むのは物凄く危険なことと考えられていますから、あくまで「社会との関わりにおいて」定めるのですね。
 そう、さっきの4つのうち、これだけが法律に規定されている(祝日)なのです。因みに父の日・母の日ともにアメリカ発祥。お盆は多分、中国の影響かと思います。7世紀初頭の話かと。「おっと…」と思い出すのは「こどもの日」。これは同じく「国民の祝日」ですね。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と規定されています(余談ですが、”母”だけでいいのかな…どこかから突かれないかな…心配です)。

 法律というのは「既にそれが実在し、そのことで社会の維持に困難を来す」ことの排除を狙う訳ですから、昭和20年代ですでに「お年寄りの扱い」について実際の問題があり、また問題意識があったことが覗えます。
 お御堂参りの参考にしようと思って昔話を引けば、「姥捨て山」ばかりがヒットする。「昔むかし、あるところにお爺さんとお婆さんがおりました」で始まる話は多いのですが、その必然性って、あまり高くないような気がするのです。「昔々、ある若い夫婦がおりました。旦那は山へ芝刈りに、妻は川へ洗濯に行きました」でも物語として成立する…「老人だから桃太郎に云々」はないのではないか?(笑)
 しかし「若い夫婦がおりました。仲良く幸せに暮らしておりました」では物語になりません。トリックスターも不思議な力も、お地蔵さんだって出る幕がない。「貧乏・年より」というのは、物語のための環境というか舞台になっている気がしてなりません。何とか太郎とか一休さんとかも似たような者。「社会のメインストリームで成功している人」は、伝記にはなるでしょうけれど昔話にはならなさそう(伝記の実態は、”若い頃の苦労話”でしょう)。
 老い、というのは仏教では「四苦八苦」の2番目ですから、相当根本的な「苦=思い通りにならないこと」です
。「そのことを知れ、身に付けろ。そこから”余計な想い”を捨ててゆくのだ」というのが多分(笑)仏教だと思います。
 ともあれ、無限に深掘りしてしまいそうなので、ここまでで。
 今日は年少さんの「敬老はがき」お手伝いで写真を撮りました。みんな幼さが抜けてきた感じです。

イベントのデザイン

8月 31st, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (イベントのデザイン はコメントを受け付けていません。)
 この写真は今年の「おみせやさんごっこ」…竹早教員保育士養成所の学生さん方に来て頂いた時のものです。ご存じの方も多いと思いますが、幼稚園主催でも2学期には「おかいものごっこ」が行われます。けれど、今年はいまのところ「日程未定」…決めかねている所があるのです。
 「おかいものごっこ」というのは、そもそも「廃品を使って遊ぼう」というのが出発点で、多くの実践があり、かなりの回数行われてきた行事です。そして、恐らく「色んな意味や見方ができる」ということが明らかになってきたのです。また、今まで保護者の方々からご意見やご感想もいただいて参りました。
 そこで、「おかいものごっこをどうデザインするか?」を去年から先生方と検討しているのです。もちろん、今までどおりに行う事もできるでしょう。けれど、違う視点から、今までとちょっと異なるねらい=「こんな子どもの育ちに繋がる」にクローズアップしたものへ「アレンジしてみようか?」と考えているのです。
 そのため、改めて「おかいものごっこ」で、子ども達はどんな体験をしているのか、どんな意味があるのか…というのをそれぞれで考え、「コレが大事だと思う」「ここを大切にしたい」という話し合いを重ねてきました。
 で、まだ完成形は見えないのですが、「今までと違う、おかいものごっこ」になることは間違いなさそうです(どの程度か、も未定ですが)。それぞれの学年・クラス・一人一人にとって「どんな学びとなり得るのか」を予想し、いろいろ種を仕込んでいこうと考えています。
 …乞うご期待!

新幹線で、山形へ

8月 7th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 - (新幹線で、山形へ はコメントを受け付けていません。)
 みなさま、夏休みいかがお過ごしでしょうか。幼稚園の畑では、新しくメロンの実がひとつなっています(まだ未熟ですので今は食べられません)。オクラもだいたい「いい大きさになったな」と思うと誰かが収穫するという塩梅。「今日とるんだ」ではなく「(野菜の)今日とって、の声に対応してとる」という感じです。何年か前の大葉もまた出ていますので、少量お使いの時はどうぞお寄り下さい。
 さて、昨年度に引き続き、山形県の認定子ども園へ行って参りました。去年と同じ所です。前回の話が中途半端だったのか、「二年連続して同じ人の話」というのは、色んな意味で難しい所があるのですが、ご縁もあり、お伺いしました。
 今回は「学習」というプロセスと、その際に引っかかりやすい事として、「練習・失敗」について触れました。参考にしたのは『GRIT』と『レジリエンスの鍛え方』の二冊が中心。その中に、自分の体験談を大きく盛り込むことにしました。
 自分の幼児期の記憶って、そんなに沢山のエピソードはないのですが、今になって思い出すと、なかなか味わい深いものです。よく「満足した記憶は忘れる。未達成の記憶(恐れ・悔しさなど含む)は忘れない。課題として残っているから」と言われるのですが、今回のエピソードは2つとも「良かったね」という話。ということは、よっぽど自分の心に深く刻まれていたのだろうな…と、改めて思います。
 それらについては、改めて「第2回入園説明会」の「ミニ講演会」でお話しようと思います。全く一般的なエピソードではない(どの家庭でも再現できるものではない)ですが、普遍性はあると思っています。
 にしても。
 認定子ども園ができた時には、「預ける施設なんでしょ・子どもの育ち云々よりも、親のための施設なんでしょ」と見ていたのですが、10年を越えて、「しっかり子どもの育ちを先生方が考えているなぁ」という印象に変わりました。教育面については幼稚園に一日の長があるとは感じますが、勢いがある。研修のための時間と予算も、自治体が確保してくれているようです。実際、町立で幼稚園・保育園・認定子ども園と3種類あるのですが、足並みをそろえて研究をしたり、人事異動で自然な交流もあるとのこと。うらやましい。
 けれど…出生者が年間50人程度、というのはまだ底を打っていないそうです。定住・移住計画も思うように進んでいないとのこと。
 備忘録的に、そのときの資料PDFのリンクを張っておきます。普通は(面倒になるので)あまり公開しないものですが、自分のためにも。

野菜盛りと言えば

7月 10th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (野菜盛りと言えば はコメントを受け付けていません。)
 今日は幼稚園で「みたたまつり」の集いです。私が園長になった10年前と比べてさえ、お盆について「お仏壇がある」「家でやったことがある」という子が減ってきているのを感じます。
 コンセプトは子ども達にも話したのですが、「皆が元気に幼稚園に来られる←ご両親が育ててくれているから←昔は子どもだった=お爺さん・お祖母さんが育ててくれたから←昔はこどもだった=曾祖父母が育ててくれたから…ご先祖様と呼びます」という話をしました。
 子どもが育つ環境として、「より多くの繋がりを持っている」ことはとても大切だと思うのです。世の中の柔軟性(不確実性・理不尽さ含む)に打ちのめされないためにも。「沢山の人の想いが重なって、いまあなた達は育っている」という実感は持たせてやりたいと思います。
 さて、「キュウリの馬、ナスの牛」は定番なのですが、今日は先生が野菜盛りを説明していました。と言っても「これはトウモロコシ、これはインゲン…みんな、夏の野菜なんだよね」と。あのような盛り合わせは、なかなか見る機会もないだろうと思います。
 そんな中、「アルチンボルト」の絵を下駄箱に架けておきました。早速「駅にポスターがあった!」と気付いた子もいました。観察眼が優れている子は、きっと好奇心も強く、その分「楽しいことがたくさんある」ような気がします。アルチンボルトの絵も、「ちょっと見てびっくり、じっくり見てニヤリ」な要素がたくさん隠れています。実物はかなり大きいので、機会がありましたら上野でご覧になるのをお勧めします。

言葉で意識

6月 30th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (言葉で意識 はコメントを受け付けていません。)
 今日は各学年の体操参観で、多くの方にお越しいただきました。ありがとうございます。
 もちろん「子ども達の様子を見る」ことで、「子ども達の育ちの価値観を共有」「成功体験と嬉しさの共有=応援」をはかり、子ども達のより力強い成長につなげていこう…というのが趣旨です(選挙っぽい口調になってる?)。
 私も、もう何年も見ているのですが、今日は「指導の先生から、親御さんへのメッセージ」だな…と思うような台詞がありました。
 この体操の成り立ち。目指していること。子ども達の気持ちを常に見ながら行っていること。運動のねらいと共に、その背景にあるストーリーを、たくさん話していらっしゃいました。
 ということは、特に年長さんにとっては「今後の子育て、体育で迷うことがあったら、この”原点”に立ち返って下さいね…」という意味なのかな、と感じたのです。
 もちろん、今後も引き続きご指導いただきたいと思っています(もしかしたら、毎年同じメッセージは発しておられた?)。けれども、「子どもの様子や願い」を言葉にして渡すことで、受け取った側も「同じ様子理解や願いを持つ」ことはできると思います。それはまるで…

 「信じられる嘘を共有したのが、サピエンスの強みである」(『サピエンス全史』園長のうろ覚え部分)のようです。

 ア…「嘘」というのは「仮説」程度に受け止めています。

本質的に褒める

6月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (本質的に褒める はコメントを受け付けていません。)
 何やら難しい感じのタイトルなのですが…話は約2年前から続いているのです。
 時計台のところにある、「アカパンサス」という花。じつはこれ、葉っぱをパキッと折ると汁が出てきて面白いのですが…面白がって葉や茎が沢山折られてしまったことがあったのです。平成27年9月。
 その時は、悲しみと怒りの看板が出ていました。
 そして今年。その時の看板の効果が今でもあるのか、その時のことを覚えてくれている人が多いからなのか、はたまた今年の子達が気付いていないのか、どんな訳かは分かりませんが、折られることなくたくさんの花が咲きました。
 ですから、目に見えることとしては「アカパンサスの花が咲いた」だけなのですが、「葉や茎を折らないでくれてありがとう。元気に伸びて綺麗な花を咲かせられたよ」というメッセージなのです。
 私が「本質的に褒めている」と感じるのはここです。「言われたことを守った」故に褒めたのではなく、「言われていないけれど、するべくようにした」ことを褒めた、ということです。
 くどいですが、「大人に言われたから」ではなく、結果として良いことがおきた。そこを改めて言葉にして子ども達に返していく。なかなかできることでは有りませんね。
 有り難い事に、年少組の子どもが看板に気付いて、「お花からお手紙が来たんだね」と話していたそうです。物言わぬ花たちですけれど、その言葉を聞くことができる。まさしく「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける(古今和歌集仮名序)」です。
 ああ、私は本当にこの仮名序が好きなんです。いま読んでも涙が出る位に。