明照幼稚園

物語と現実と

6月 5th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (物語と現実と はコメントを受け付けていません。)
 今日もお御堂参り。楽しい話、短い話と進めてきて、そろそろ「メリハリをつける」をねらいたい時期です。ま、それでほぼ最終段階なのですけれど。
 そこで選んだ話は「おろかな蛙」身も蓋もないタイトルですが。イソップ童話ですから、もう2500年も前の作品。仏教とほぼ一緒ですか…。
 ストーリーは皆様ご存じの通り、最後に破裂してしまったお腹に絆創膏を貼って、「無理な背伸びはするもんじゃない」と終わる訳ですが、子どもたちはそんな教訓よりも「そこで、お母さん(お父さんというバージョンもあります、念のため)蛙は思いっきり息を吸い込みました。スーハースーハー、そして、ボヨーン」その描写に大喜びです。
 やる度に「スーハー」が増えていくこと、「ボヨーン」の音のおもしろさ、話者の表情など相まって、面白いのでしょうね。こちらも分かっていつつも真剣に、「どう?この位の大きさ?」と、ちょっと苦しそうな声で聞いたりします。
 教訓はともかくとして、印象的だったのは「パチーンと、破れてしまいました」のところ。水を打ったようにシーンとして、「どうなるんだろう?」と…まさに固唾をのんで見守ってくれました。子どもの蛙が治療してくれて一安心。最後に親子で見に行ってエンドのような気もしましたが、「治療しました」で子どもたちも安心したようです。
 さて、この物語。実際に蛙がそんな自殺行為をする訳はないのですが、子どもたちはきっと肌身に感じて心配していたのでしょうね。つまり本気だったのではないかしら。「蛙がそんな事する分けないじゃないか。第一日本語を話すわけないだろう」というのは小学生以降の感性。そのツッコミは成長の証でもあるのですが、幼児にとっては「気持ちを寄せる体験」をした事として大切なのだろうと思います。自分たちが実際に無謀なことをする…というのは(たまに見かけますが)危険も伴います。なのでこうした「物語」を通じて共感し、心情を育てているのではないかと思います。
 現実には、けがをした友達を心配する姿がよく見られます。「自分も痛いときに心配してもらった」というのが一番強い要因であろうとは思いますが、物語を通じて学んだ価値観を現実で復習している、そんな姿にも見えるのです。

何代目?

6月 2nd, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (何代目? はコメントを受け付けていません。)
 幼稚園のブランコ…「金具を留めている穴が、少し大きくなったようです。そろそろ交換では?」と先生から話がありました。見ると確かにグラつきがでていました。早速大工さんに相談です。
 見るとすぐに材質も分かってくれました。「同じ大きさ・同じ穴でいいですね?」「ハイ、お願いします」ということで加工にかかっていただきました。
 暫くして「出来ました」、持参して金具を付け替えていただいたのですが、それを見ながら「実はこの古い方は、私が若いときに作ったものです。平成になるかどうか、だと思います。」とのこと。約30年、殆ど毛羽立たず、もちろん丈夫で、時に雨に打たれ、沢山の子どもたちを空へ運んだ(比喩じゃありませんよ)板。お勤めを終えて、代替わり…というところでしょう。
 実はブランコ本体はもっと古い、ということですね。いったい何代目なのか、見当つきません。分かるのは「歴代の子ども達が漕いで漕いで、遊び続けてきた」ということ。お尻で乗っかられて役に立つのは辛いかも知れないけれど、沢山の子ども達の思い出に残るブランコです。何だか、有り難い事です。

分かるなぁ

5月 25th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (分かるなぁ はコメントを受け付けていません。)
 今日、たんぽぽぐみの記録を読んだら、子ども達の嬉しい姿が描かれていました。
 この時期、「幼稚園探検」と題して、園内の見学があります。たんぽぽぐみにとっては「普段のお部屋」からは離れた場所。ちょっと特別な感じもあるでしょう。
 午前保育だったこともあり、年少組さんがベランダへ出て、シャボン玉で遊んでいました。丁度とおりかかったたんぽぽさん。とっても興味を惹かれたようです。
 それに気付いた年少さんが、「一緒に」だか「どうぞ」だか、声を掛けてくれたのだそうです。さぞかし嬉しかったことでしょう!
 どうしてそうしたか?優しいから?相手の気持ちが分かるから?どちらにしても(両方にしても)とても微笑ましい、子どもの育ちですね。
 相手の姿を見て、「こんな気持ちだろうな」と推測するのを「心の理論」と呼ぶそうです。「こんな」という気持ちに名前はついてないでしょうけれど、分かることができる。自然と感じ、自然と対応できるようです。素晴らしいですね。
 翻って、大人は時々「相手の気持ちを考えなさい」という言葉を使いますが、それは「オリジナルを捻り出せ」という意味ではなく、「自分の経験から思い出してごらん」ということなのですね。経験していないことを引っ張り出すのは、まだ先の話です。ですから、子どもが滞っているようであれば、「相手はきっと○○って感じてるよ」と、名前をつけて知らせてあげるのがよいと思います。

ひと皆それぞれ

5月 24th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (ひと皆それぞれ はコメントを受け付けていません。)
 今日は第一回のPTA連合会総会・講演会がありました。「和楽のすすめ」ということで、尺八・箏・日本舞踊という豪華な芸能を鑑賞しました。楽器というのは「合奏すること」で音楽がぐーっと広がりますね。お互いの息づかいとか見ながらの共同作業。他者や世界と(…は大袈裟か)繋がっていく、それが実感しやすい道具だなと思います。
 公演後に講師の先生と会食したのですが、「奥様はピアノをやっていて、二人でCDを出している」とのこと。どんな世界になるのか想像つかないですが、「尺八は倍音も沢山でるし、ピアノに負けないですよ」というお話。レコーディングでもあまり補正しなくて良かったとのこと。音量あるのですね。
 昔のテレビで虚無僧が吹いているシーンなど思い浮かぶのですが、「一緒に…和して」演奏できるというのは面白いですね。
 会場もほぼ満員、開会時間ギリギリに到着した方も多かったので、整理が大変だったと思いますが、混乱もなく無事に進行できたのは、常任のお母さん方のチームワークだったと思います。ありがとうございました。
 さて、戻ってから園内を回ったら、年長組さんで「父の日製作」がほぼ出来上がったようでした。まさしく個性満開。形も大きさも、もちろん造形や色もそれぞれです。一つ一つを見ながら、担任が「あ、この子はこの間、こんなこと言ってたんですよ」「こんなこと、できたんですよ」「こんな一面があるんですよ」…と、ずっと語ってくれました。一人一人を思い出しているのでしょう、楽しそうな・やさしい眼差しでした。
 お父さんへのプレゼントは6月ですので、まだ先にはなりますけれど、子ども達がオール手作りしたものですので、どうかご笑納下さい(笑)。

基本と応用

5月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (基本と応用 はコメントを受け付けていません。)
 今日はまぁ、何とありきたりなタイトルでしょうか。実は色々と考えてはみたのですが、「それ以上に言いようがない」ことですので、このタイトルにしました。
 10時過ぎから、今年度最初の「避難訓練」を行いました。地震時の避難練習です。とにかく「避難訓練がある」ということ、「基本的な動きがある」事を知るのが今回の目標ですので、そこを重点に。
 放送を入れると、すぐに保育室でガタガタ音がします。避難路を確保するための、ドアを開ける音…そして先生の緊迫した声が響きます。私も一通り近くの様子をチェックし、暫く待って「園庭に集合」のアナウンスをしました。
 内容がシンプルなこともあってか、避難行動はとても素早かったです。集合のアナウンスをして3分で全クラス(たんぽぽ組含む)が集まることができました。これからいくつかのバリエーションを体験していくことにはなりますが、「実際どんな形で来るか」は全く分からないわけで、せめて「思いつくこと」をやってみるよりありません。「どこまでが基本なのか」、その見極めが大切です。
 そして、それは他のことにも。
 年中組には、たんぽぽさんが遊びに来ていました。先日も一度あったのですが、「年長さんが相手だと、圧倒されてしまう子がいるようだ」という知見があり、「幼稚園児に圧倒される…そうか…」と、ちょっと可笑しい感じでした。一緒に「アブラハムの子ども」を踊っていました!私が大学時代に教わった曲を…。「子どもは子どもを見て育つ」。誠にその通りだと思います。大人が指示するよりも、お兄さん・お姉さんに言って貰った方が話が通じたりします。生き物としての本能的な所でしょうか?
 そして年少さん、「かたつむり」を作っていました。最近めっきり見なくなりましたが、子ども達いかがでしょうか。園内には取り合えずいなさそうなので、もしお近くで見つけたら!よく観察させてあげて下さいね。

体操周りの風景

5月 18th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (体操周りの風景 はコメントを受け付けていません。)
 体育指導は明日なのですが、今日は年少さん・年中さんで体操をしていました…イマドキは、マンション住まいの方も多い(住所録を作ると分かります。8割以上がマンションではないかしら)ので、帰ってからはあまりドタバタと運動は出来ないのだろうなと想像することもあり、繰り返して量を稼いでいるのでした。
 先日、年少組さんを魅了した年中さん、今日も鉄棒やマット、でんぐり返りなどをしていました。後転が始まった所なのですが、「後ろに向かって倒れる」というのは相当な恐怖心で、「大事なところ(頭)を守り、下り坂を作って、ボールになったつもりで転がっていく」のですが、少し背中を触れてあげないと、体がこわばってしまう子もいました。ただ、回った後は「楽しかった」という感覚があるようで、自然と笑顔になる子が多かったです。
 走り前転も、かなりの勢い。年少さんの頃の「でんぐり返し」とは違うレベルにいます。その先には、台上前転があります。
 さて体操を終えた年少さん、保育室に戻って身支度です。「エプロンを自分で着る」のはまだ難しいものの、「お友達のを手伝ってあげたい!」という気持ち、あるいは「先生と同じようにしてあげる」姿が見られました。実際、「先生が好き→先生と同じようにする」という傾向は、とても顕著です。「先生がお手本に描いた絵、そっくりに描く」…年中さんでは例年見られる姿です。
 これはもちろん、「お母さん大好き→同じように…」が基になっています。お料理だの大掃除だの、誰かを見つけたときの接し方、果ては口癖まで(笑)。「子どもが真似をする」のはお母さんが好きだから。それは我々、心のどこかに置いて身を修めなければなりませんね。

旅立ちの時

5月 15th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (旅立ちの時 はコメントを受け付けていません。)
 まだ5月なのに…そう、池の蛙たちの話です。ここ何日かで、一斉に小さな蛙となって、池から外界へ出ていきました。このタイミング、非常に危険なのです。テレビでもやりますね、「ウミガメの卵から孵った子が、海に入るまでが一番危険なのです!」とか。
 大きな動物や鳥はもちろん、幼稚園の子ども達も、強烈に惹きつけられてやってきます。シャベルで根こそぎ…試みる子もいます。
 園長は「くーっ」と苦しみを感じつつ、「でも、こうして生き物に直接触れる機会を奪ってはいけないな」という葛藤を感じます。彼らは出ていったって誰も面倒を見てくれません(そもそも、オタマジャクシの時だって誰も面倒をみてくれません)。そして、えら呼吸が終わって肺呼吸となり…つまり池では生きていけなくなって、ある意味やむなく地上へ出て行くのです。祝福しろとは言いませんが、何とか静かに見守ってあげてほしい…とも思います。
 本当に難しいところです。離れなさいと言い、その子にスマホのゲームを与えれば、喜んでそっちへ行くかも知れません。蛙は生き延びる可能性が高まるかも知れません。けれどね…「スマホより蛙のほうが面白い」と感じている気持ちは、正しいと思うのです。将来「好きなこと?スマホかな」としか答えられないよりもよっぽど。  すでに石の上で干からびている子もいました。生き物の定めですから「そういうもの」ではあります。子ども達より遅く生まれ、先に命を終えていく。大人になってからでいいので、何か心に留めて欲しいところです。

弔い、という決着

5月 9th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (弔い、という決着 はコメントを受け付けていません。)
 ゴールデンウイーク中には、ちょっと辛いこともありました。あるクラスで「おたまちゃん」と呼んで飼っていた…オタマジャクシがいたのですが、亡くなってしまったのです。先週は足が出ていたので、今週からは手も出て尻尾が短くなり、いよいよ「ピョンコピョンコするかな?」と楽しみにしていた矢先の出来事でした。
 担任は、「これもいい機会として、命について感じて欲しい」と思ったようですが、子ども達は「すぐ、次の子を探そうよ」とアッサリ話していたそうで、担任としては些かガッカリ…と日誌に書いてありました。
 ところが今朝になって!「子ども達、お墓を作って埋めて、お供えもしてくれたんです」との事。見に行くと、確かに少し入った静かな場所に、お花やらサクランボだのが飾ってありました。「それに相応しい場所」というのは、何となく分かるのでしょうね。
 そして、子どもながらに「お弔いする」、それで決着をつける、というのは(教わったのかも知れませんが)生きる知恵の一つだなぁ、と思いました。「忘れない」ことは大事ではありますが、一方「いつまでもクヨクヨ悲しまない」というのも「生きていくため」に役立つことです。人間は言葉を使うこともあって、一瞬の感情をけっこうキープすることができます。それが良く作用することもあるし、そうでない場面もある。
「お弔いする」というのは、ある意味「悲しみに終止符をうつ」ということ。ゆめゆめゴミに出したりせず、お弔いして欲しいと思います。幼稚園でもお墓でも、場所はありますので。

腕も見たかな?

5月 8th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (腕も見たかな? はコメントを受け付けていません。)
  今日はお天気もよく、子ども達も楽しみにしていた「畑の苗うえ」でした。昨年まで来て下さった飯嶋さんが、今は食堂の店長さんになってしまい、忙しくて「中旬まで行かれません〜!」になってしまったのです。
 そこで、いつもお寺の庭のお手入れをお願いしている柳井造園さんに相談したところ、「分かりました、私がやりましょう」とのお返事。聞けば「私の家はもともと農家なんですよ。冬になると堆肥とか作るのは、子どもの仕事でした」とのこと。詳しいのはもちろんですが、楽しんで下さったようです。
 さて、それぞれの学年に応じた「苗うえ、お世話を聞く」活動があり、子ども達は期待して戻っていきました。
年少さんは、「大人が植えるのを見学する」
年中さんは、「手伝って貰う」
年長さんは、「自分で植える」
明確な違いがあり、柳井さんも「子ども達、2年3年で随分違うものですね」と、成長に驚いていらっしゃいました。
「植物はね、正直だから、手入れしたり肥料を入れるとすぐに変わります。大きい木でも、肥料なんかやって一週間すると、かならず変わってきますから」。「植物は正直」って、素敵な言葉だと思いました。
 ところで、子ども達は気付いたでしょうか。長年にわたり、土や木や池や石など、ずっと自然に触れてきた手の力強さに。体躯は小柄なのですが、分厚くて力強い腕・手をしておられます。男の手。イマドキのお父さんにはなかなか出せない迫力を持った、柳井さんなのでした。
 子ども達は、「どう世話していけばいいのか」を柳井さんから直接うかがっています。「野菜は足音を聞いて育つ」とも言います。どうぞ日々の変化を楽しみに、子ども達と見に行ってあげて下さいね。

脱いじゃった

4月 28th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (脱いじゃった はコメントを受け付けていません。)
 今日は年少さんが体操見学です。例年行事ではありますが、年少さんにとってはイメージ作り、年中さんにとっては自覚へつながる活動として、地味ながらかなり意義深いものです。
 最初に年中さんが活動を始め、暫くしてから年少さんがそーっと入ってきました。壁にくっついて、お兄さんやお姉さんの姿を見ています…じっと。漠然と、という子もいますけれどしっかり興味を持って見ている。そんな目つきの子が多かったのが印象的です。そのうち…ある子が脱いでしまったのです!靴下と靴を、ですが。
 見ているうちに、彼らが裸足であることに気付いたのでしょうね。そして、同じ場にいる訳ですから…同じように裸足になったのですね。それほど気持ちは「スタンバイ、オッケー」だったのですね。
 いろんな機会を捉えて、「体操、やってみたい!」「体操、できそう!」という機運を高めている状態です。どうぞご家庭でも、「素敵!かっこいい!すごい!」と、感覚的な言葉で結構ですので、気持ちを盛り上げてあげて下さいね。