明照幼稚園

子ども達の諸相

4月 23rd, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (子ども達の諸相 はコメントを受け付けていません。)
 月曜日はお御堂参り。まだまだ「短く・笑えて・ほめられる」を基準に選んで、「カエルとうし」にしました。何ともストレートで、「ああ、あの話ね」とポピュラーなのですが、これイソップなのです。
 ブログを辿っていたら、3年前の同じ時期にも同じ話をしていました。お釈迦様もそうですけれど、「たとえ話」って命が長いのですね。
 それだけに、小学校1年生の教科書にも載っているのだそうです。指導の手引きとして「カエルはバカだなぁ」とかで終わらせてはいけないよ…などと書かれていました(時代を反映してか、性別とか親子関係は消されています)。フーム…。次々に流れていくオタマジャクシを眺めていると、「君たちは、すぐ近くに穴が空いているというのに、気付かず真っ直ぐ進んでしまったりするんだねぇ…はぁ、お馬鹿さんというか、何というか…直前まで分からないんだよねぇ」とか、生き物としての哀れ(あはれ)を感じたりします。

 あ、排水溝にネットを設置しましたので、万一あふれている様子があったら、教えて下さいね。

 子ども達は、各々だいぶ新しい環境に慣れてきたようです。年少さんも、座って話を聞けるタイミングができてきました。お帰りの時、順番を待つこともできます。年中さんの、真剣にハサミを使う姿は、自分の居場所あってのことでしょう。そして、年長さんは自分達で作った鯉幟を揚げるお手伝いもしていました。みんなで見上げて、空をおよぐ姿を楽しみに見ています。
 実際、4月は「幼稚園に慣れる」というのが一大テーマです。そうして自分なりに安心することで、好奇心がムクムクと働き出すのでしょう。
 これからも、いろんな働きかけや絡みがありつつ、活気ある暮らしが展開されていくことと思います。

活動の場が 広がる

4月 16th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (活動の場が 広がる はコメントを受け付けていません。)
 今日は月曜日。年少組さんでは、土日を挟んで「早く幼稚園に行きたい!」という子、「その反対!」という子がいたようです。「毎年の風物詩だなぁ」とか園長は暢気ですけれど、その場にいたとすれば戦場なんだろうなぁ、と思います。私も何度か「さぁ、もう時間だから行こうね」と、問答無用で連れて行ったこともあります。「お母さんが側に居ない」という環境に気付くと、その環境に合わせた行動をとれるほど成長している子もおおいのですがね(回りくどい言い方ですね)。
 その瞬間はお互い辛いでしょうけれど、それは案外長続きしないものです。こちらが、「大丈夫大丈夫?寂しくなかった?」と聞けば、誰でも「寂しかった!」と答えるでしょう。そして「寂しいと答えることで、周りが自分に注目してくれる」を学ぶことでしょう。
 しかし、「いずれ一人で行けるようになる。笑顔で行かれるようになる」と信じていることで、無闇に「寂しかった」と言わせずにこの時期を過ごすこともできると思います。園でのお子さんの様子が心配な方は、お戻りになってから(電話で)でも担任にお尋ね下さい。
 さて、今日は「初めてのお御堂参り」&「園庭遊具の使い方(年少さん)」でした。最近は「言葉を育てる」という意味でも「学びの芽生え」としても、「素話」が見直されているようです。
 細かい言葉は分からなくても、見た目には園長一人であっても、子ども達は話の「面白い所」を的確に嗅ぎ分け、いいタイミングで笑ってくれます…きっと、言葉からイメージが生まれているのですね。「画面があった方が惹きつけられる」のは確かでしょうけれど、「画面がなくても楽しめる」のが子ども達の姿の一つだと思います。寝る前とかは素話にならざるを得ないわけですし、もっと見直されていいと思います。
 お御堂での姿は、まぁ「年度最初だからね」ということで割愛します。けれど「子どもが飽きる前に終わる」ことはできたと思っています。「お御堂、怖くないよ!園長先生のお話、短くて面白かったよ!」という感想を持って貰うのが第一です…「ありがたいお話」はその後。「聞く耳を育てたから、聞かせたい話をする」を原則に、これからも行きたいと思います。
 …園庭遊具の話は、またの機会で。

どう育つのかな?

4月 12th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (どう育つのかな? はコメントを受け付けていません。)
 今日は年長さんが、ジャガイモを植えました。今の時期だと「もう終わりの方」ではあるのですが、お手伝いいただいた植木屋さんによると、「まぁ、7月には収穫できるんじゃないでしょうか」という事でした。
 他の作物と事なり、イモというのは地中にできますから、「都度々々、変化を見ていく」ことは難しそうです。もちろん上に茎が出て、葉も花もつくのですが、「水をやっていればよい」だけではないので、年長ならではの注意点があるようです。
 むしろ、「お水はどの程度やればいいでしょうか?」と(敢えて?)聞いてみたところ、「いや、水はやらなくていいですよ。水が多いと腐ってしまうし」とのこと。「どんなお世話があるのか、そして子ども達ができるのか」は、先生方も試行錯誤しながらの栽培となりそうです。
 畑は「自然に触れ、親しむ」という大きなテーマの活動なのですが、年齢なりに関わり方は変化していきます。年少さんであれば「観察し・触れる」程度ですけれど、年長さんになっていくに連れ、「どうしたらいいのだろう?」と目的意識を持って育てていくことになります。図鑑などで調べることもあるかも知れませんし、周りの大人に質問するかも知れません。
 「食べ物を得る」だけではない活動として食育があるわけですが、様々な「学びへのつながり」になってくれることを期待しています。  

場を知る・慣れる

4月 11th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (場を知る・慣れる はコメントを受け付けていません。)
 年少さん、今日はホールとお部屋で自由に遊びました。ホールには乗り物とアスレチック、お部屋には釣り堀とオママゴトが用意されていました。
 年少組の子どもにとって、「幼稚園が安心できる場所」であるか否かは大きな問題です。「見たことのある人・場所・物」を増やしていくことで、新しい環境や保護者の方が近くにいないという不安を和らげていこうということです。
 話は逸れますが、受験の時なども「早めに会場について、教室や廊下・トイレや建物の様子を見て”合格したら、ここで勉強するんだ”を想像してみましょう。そうすると緊張から解放されていきますよ」という話がありました。
 成人近い受験生ですらそうなのですから、「この場所知ってる・この先生知っている…」という安心感は、子どもにとって非常に大切だと考えているのです。「自由に過ごす」中では、私の手を引いてあちこち見て廻る子もいました。
 こちらで用意した遊びは全部、「一人でするものではない」ことが特徴です。道具や場所を共有している。数に限りがある。周りとコミュニケーションを取りながら、順番を替わったり進路を譲ったり、「他者との出会い」がたくさんある遊びを用意していたのです。
 しばらくの間、色んな「イザコザ」が起きるでしょう。環境…特に人的環境がが変わったことで、「今までのやり方だけでは上手くイカン!」という問題意識で、いろんな試行錯誤が始まると思います。お家でもお話してくれるかとは思いますが、小さい子ですから、「なるほど。あなたから見ると、そうなのね」という間接話法(?)で聞いてあげて下さい。

やってあげるよ!

4月 10th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (やってあげるよ! はコメントを受け付けていません。)
 今日は、年長さん用の写真を撮りました。一年間見るものですから、先生方も趣向を凝らして撮影します。現物はクラス会でご覧いただきたいのですが、着替えての撮影でした。
 最初は大人が着替えと撮影(私です)を行っていたのですが、暫くすると、着替えをずっと見ている男の子がいました。私も去年の「ひなまつり写真」を思い出し、「手伝ってくれるかな?」と聞くと、嬉しそうに「うん!」
 思い通りにスイスイできる訳ではないのですが、「はい、おでこ押さえて〜」とか「頭入れてね〜」とか、何だかサマになっています。男女同時進行だったので結構忙しかったのですが、彼らのお陰でテンポ良く撮影が進みました。
 終わってからの先生の日誌でも、「2クラス共通で衣装を使うので、大人が慎重に着替え…と思っていたけれど、子ども達が意欲的に手伝ってくれて、それも活動の中だと思いました。終わって”フゥー”とソファに腰掛けた姿も、本当に一仕事終えた感じでした」というような記述がありました。
 今日の「そもそもの」活動は「写真撮影」です。しかし、その過程で子どもの気持ちに気付き、こども達が関わり、遊びを作り出している姿を認め、保育に取り入れていく感性は、園長としても大切にしていきたいものです。
 きっと、今までお母さんに着替えを手伝って貰った経験があって、それが嬉しかったのだろうな、着にくくて苦労している友だちの姿を理解して、「手伝うよ!」という気持ちになったんだな、そんな風に感じて、こちらも笑顔での撮影となりました。

始まりました 始業式

4月 9th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (始まりました 始業式 はコメントを受け付けていません。)
 9日には1学期の始業式と「はなまつり」を行いました。
 年少さんと転入児にとっては、入園2日目にして仏教行事…。例年のことではあるのですが、なかなか落ち着いて参加は難しいであろう…と想像しながらの開始でした。
 とにかく、子ども達が飽きる前に話を終えることが(この時期の)園長の務めです。「みんな、すごいね、静かに聞けましたね」と締めて、司会の先生にバトンタッチしました。先生も、みんなで会えた嬉しさと、一学期への期待の気持ちを盛り上げてくれました。
 その後は「はなまつりの集い」です。「誰もが世界中に、ただ一人。とても独特で貴重な(ユニークな)存在なんだよ」と話しました。そこにピンと来る子はまだまだ少ないと思いますが、「一人一人を尊重する」という、園からの宣言を聞かせるつもりで。
 子ども達は、「花御堂はなみどう」にかなり興味を持ってくれたようです。今回は花の種類や色数も多く、献花も綺麗でした。献茶の子たちも、匂いを嗅いでいる姿が可愛らしかったです。
 会の終了後、一旦はクラスに戻った年長さんがホールに降りてきて、おのおの甘茶をかけてくれました。「抹茶の匂いに似ているね」との声も聞かれました。「自分なりの経験から、考えたことを友だちと共有している」姿ですね。
 実際、3つの仏教行事の中で、一番「現物」があるのが今回です。先生方もその辺りを活かしてくれました。年長さんは「甘茶を飲んでみたい」ということで試飲。私見では「喉の奥で甘い感じ」なのですが、子ども達も口々に感想を話していました(甘い紅茶とは異なった味わいです)。
 今後とも、子ども達と様々な経験をしていけるのが楽しみです!

本物を使う。

3月 18th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (本物を使う。 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お荷物整理」…大掃除の日でした。三学期ですので、子ども達もかなり慣れていて、要領よく進めている姿が見られました。そして、繰り返してきた事によって、「目が良くなっている」のですね。多分最初には気付かなかった場所について、「ここも綺麗にする!」と、張り切って雑巾掛けをしている姿もありました。
 確かに、子ども達が「身に付ける」ための手段は「繰り返し」です。「折紙製作」などでも「2つ折る」ことが多いのですが、「最初の一個は苦労しても、2個目はかなり自信を持ってできる」という姿をよく見ます。大人から見ると「2回目で、もう自信満々なの?」と言いたくなるかも知れませんが、「もう知ってるもん!やったことあるし!」と積極的に関わっていけるのは、子どものよい性質だと思います。「絵を見せに来た対応としては、”また描きたいな”と思って帰らせることができれば、まずはオッケー」というのにも通じています。  そんな事で、「以前はここ、気付いていなかったな…」を掃除している姿もまた、成長の一つと捉えられます。
 また、掃除道具というのは基本的に「全部が本物」です。当たり前と感じるでしょうけれど、「子どもには使わせられない(使わせたくない)道具」というのも結構あるなかで、大概の掃除道具は「大人と同じものを使える!」筈です。その辺りも、きっと楽しいのだろうな…「大人と同じようにできる」ことって、きっと嬉しいだろうな…と思いました。
 ともあれ、先生方は「この場所は道具は、次に来る、新しい”○○ぐみさん”が気持ち良く使えるように、綺麗にしようね」と働きかけていました。どれだけ実感を持って受け止めたかは分かりませんが、「片付ける・掃除する」は未来志向であることは、いつか気付いて欲しいと思います。

一緒に泥まみれ

3月 15th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (一緒に泥まみれ はコメントを受け付けていません。)
 日射しが春めいてきたことに合わせて、子ども達の遊びも少しずつ変化してきたようです。今日は、年長さんと年中さんが砂場で…裸足で遊んでいました。「足湯気持ちいい〜」と言っていたので、「足湯ごっこ」ということですね(文字通り)。
 まぁ、砂場ですので実際は「名のない遊び」で充分楽しいと思うのですが、名前が付くと伝播が早いですね。あっという間に子ども達が集まって来ました。早速靴と靴下を脱いで入湯?入泥?です。ウチらしいと思うのは、「脱いだ靴を並べている」ところですね。ワクワクして飛び込んだのでしょうけれど、靴の後始末はしっかりしているのでした。
 「足に傷のある子はいないかな」とか若干の心配はあったのですが、「これも子どもたちなりの、春の迎え方だな」と、微笑ましく見ておりました。
 そして、今日は卒園式の総練習を行ったのですが、そこに出てくるのですね、「みんなで一緒に、砂場で遊んだ」という歌が。「一緒」というのがどの程度なのか、どの季節なのか、何をしたのか。いずれも具体的に語られてはいませんが、ここ数日の様子は、まさに「歌詞に出てくるまま」だと思いました。年長さんは、卒業すると不思議なほどにパタッと動きが変わります。「今日のメンバーで今日の遊び」は本当に一期一会。「泥まみれ」が思い出の一コマになってくれたら、嬉しいです。

同じ空の下

3月 12th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (同じ空の下 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お別れ園外保育」で飛鳥山公園へ行きました。例年よりは一週間遅くし、「暖かくなってきました」という言葉が実感できるようなお天気。朝は風がありましたが、日射しがあって「焼けたわね」と言われる(園長)ほど…。
 普段の通園より距離はありますが、現地に着いてしまったら、もう楽しむしかありません。「なるべく遊ぶ時間を多く取るためには?」とスケジューリングし、遊べる道具も準備して行きました。
 現場が広いので、私はあちこち移動しながら様子を見ていました。年長組さん、「じゃんけんベースボール」で大盛り上がりでしたね。お母さん方も本気でやってくださって、親子共にたいへん嬉しそうでした。年少さん・年中さんも「お母さんと一緒」って、もう100%嬉しい事なのですね。
 そして最後は、「お別れ園外」ならではの「アーチ」です。入口の年少さんのアーチをくぐる時には四つん這いになった子もいましたが、最後の出口ではもう、「飛び出してくる」という感じでした。あのトンネルにはいろんな譬えが思いつくのですが、「3年間は短いようだけれど、これだけ大きくなった」を実感できるものとして、とても良いものと思います。壁となり通過していく子ども達へ何かの言葉をかけ見送る、在園児や大人にとっても。
 「どんな意味があるのか・ここから何を学ぶのか」「何と似ているのか・どこが違うのか」「どんな点で際立っているのか」と考える事は、多分人間特有のはたらきだろうと思います。それこそAIとかには苦手な。
 子ども達が、そして大人達がいつか今日を振り返り、「あのトンネルは何だったのか」「あの日、一緒に同じ空の下にいたのは何だったのか」を問い、自分なりの答えを手にしてくれたら嬉しいです。
 気をつけるべきは、「〜は何だったのか?」という問いを、「答えのないもの」として使ってしまう癖です。「どうして聞けないの!」「何度言ったら分かるの」等に通ずる、役立たずですよ。本気で意味を探すと、「自分なりの答え」が見えてくる。それが人間らしさ・自分らしさです。

よく見る、って?

3月 1st, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (よく見る、って? はコメントを受け付けていません。)
 今日は「ひなまつりの集い」。3日が土曜日ですので、これまた繰り上げての開催でした。現代はスペースの関係もあってか、なかなか大がかりにするのは難しいでしょうけれど、幼稚園では「なるべく簡略化せず」に行いたいと考えています。
 私からは「人形=ひとがた」の話と、「人が育ち、幸せになるためには多くの人の手が必要」ということを話しました。身の回りのお世話、楽しませてくれること、外敵から守ってくれる人、環境を整える人、そして多くの道具たち。スタイルは古いですが、「多くの人たちとの関わりで育っていく」というのは、昔も今も変わらないと思います。
 さて、司会の先生は具体的な物事について…菱餅の色について話してくれました。それぞれを着色する木の実まで紹介し、「健康に育つように、という願いで使っているんだね」とお話してくれました。
 ただ「色が柔らかくて、きれいだね」で済ませることもできるでしょう。けれど、「どうなっているんだろう?」「どうしてなんだろう?」を関心を持ってみると、意外としっかりした意味が見つかったりします。
 仏教では「正しく見る」ということを「修行の目的」…しかも、かなり高いレベルの…にしています。「お覚りをひらくための、8つの正しい行い」のトップに出てくるのですが、実はそれは初歩ではなく到達点。「自分が正しく物事を見られる」自体が、お覚りにかなり近づいているというのです。
 「物事をありのままに見る」と言っても、人間は自分の目で見るよりありません。そして、視覚とか聴覚は、案外当てにならないのです(錯覚、とかありますよね。これもよく調べてみると非常に興味深いです)。「物事をどう見ているか」、つまり「その人の価値観」が、その人の個性や価値を決めると言ったら大袈裟でしょうか。

 …けれど、ジェダイの騎士も言っています。「君のものの見方が、君の真実を決定づけるんだ」と。