明照幼稚園

これも遊びです

7月 18th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (これも遊びです はコメントを受け付けていません。)
 今日はプールの最終日…私が園長になって以来初の、「全日程プール完遂!」の年度となりました。これも皆様のふだんの行いが良いおかげです…ありがたし。
 さて、最終日ということもあって、再び年長さんのプールに参戦してきました。もう(?)とか使いません。文字通りの「戦い」でした。ちょうど新しい道具(強力水鉄砲とか)も入り、「水が顔にかかる」とか構っていられない状況です。カメラを片手に普段着(水着ではない)で行ったのですが、2分も経たないうちにカメラは避難、私はずぶ濡れとなりました。
 年長さんですと、結構な体重の子もいて、「イヤもう持ち上げるのは今日が最後でしょ!」とか思いつつ、抱きかかえては投げ、時にはやさしく投げ、また時には激しく投げ…を繰り返しました。中に入れればもう少し踏ん張ることも出来たのでしょうが、今更着替えるために場を離れることもできず、最後まで一緒に遊びました。先生の笛が鳴って「おしまーい」のはずが…
 プールが終わるとすぐに水を抜き、掃除に入ります。そのために排水口を全開にするのですが、その排水口が面白いと感じた子がいるのですね。
 ドクドクと流れ出る口は、時折脈を打っています。しばらく見ていたかと思ったら、おもむろに踏んづけました。その後、持ち上げてみたり口を絞ったりと、しばらくの間遊んでいました。
 サイフォンの原理があるので、水面以上に持ち上げると流れでなくなります。その様子も何となく観察し、「どうやったら遠くまで飛ばせるかな」といろいろ工夫して、流れていく様子を全身で感じていました。あー面白そう。プールから出て、おもちゃも使わず、自分の発見と工夫で遊ぶ。彼らが「作り出した遊び」を見つけた私も、一緒になってにんまりしていました。
 改めまして、連日々々、お母さん方にはプールのお手伝いをいただき、本当にありがとうございました。最初は不安に感じていた子どもたちが、水になれるに従い大胆な行動に出られ、「ちょっとくらい水が掛かったって気にならない」に変化していく様子をご覧いただけたかと思います。
 お手紙も配りましたが、「水での事故」は一瞬でおきたりします。せめてパニックにならないよう、「息堪え」などの体験を積めるように行ってきました。海や川の水はプールとは全く違いますが、「安全に生活する」につながる保育ができたのではないかと思います。ご協力ありがとうございました。

一口だけだけど

7月 11th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (一口だけだけど はコメントを受け付けていません。)
 今日は年中さんで「メロンの試食」がありました。インゲン豆はなかなか勢いよく育っているのですが、甘い物はやはり難しいようで、まだ大きくなった実が一つしかなく…
 園長がベランダで育てていた「ころたん」を収穫してもらうことにしました。「プランター1鉢で実は2個まで」ということで、1つは我が家で頂戴し、もう一つを子ども達に…という訳です。
 ころたんという名前の通り、丁度手のひらに乗るサイズ。野球のボールよりは大きいけれど、ソフトボールと同じ位かしら。それでも、けさ玄関の所へ出しておくと、目敏い子ども達が見つけて興味深げに観察していました。
 いざ分ける!となると、「ソフトボールを40等分…」なかなか大変です。ちょうどスプーン1杯分。子ども達は大切そうに受けて、一口ですが味わって食べていました。冷やしていないこともあって、「あまい!」嬉しそうな笑顔でした。
 朝きいたところによると、保護者の方で「家でも実は育てています。種から!」…さらに上級者がいました。スイカもそうですが、甘い物は相当肥料をくいます。野菜とは段違い。花が咲いて40日くらいで収穫ということですから長丁場ですけれど、そして「食べるのは一瞬」ですけれど、経験する価値はあると思います。

シーズン到来

7月 5th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (シーズン到来 はコメントを受け付けていません。)
 今年も7月となり、プールの時期が始まりました。お陰様で、今日まで連続でプールに入れています。昨晩は台風が来ましたが、夜のうちに過ぎてしまい、まさに「台風一過」の今日は、年長さんのスペシャルイベントも行われています。
 実は昨日、私(園長)もプールに参加…参戦?してきました。全学年の子ども達を見た(お手伝い程度)のですが、水に対する慣れというか経験値が、同じ学年でもだいぶ違うなぁ、と感じました。
 お風呂に入れない子はいないと思いますが、「シャワーは後ろからだけしかダメ」「水で顔を洗えない」…かもな…と感じる子たちはいました。シャワーの水圧は高く、水温は冷たく感じるので「ひゃー」と逃げ回っていた子はいましたが、「水に対する経験の少ない子」には、この夏でぜひ「慣れて欲しい」と思います。
 もちろん、水泳教室などで水に親しんでいる子は得意げに泳いで見せてくれレます。それは素晴らしい事で、デモンストレーションをしてもらうこともありますが、「全員が参加する」プール指導ですので、「水慣れ」「息ごらえ」などの、「生き延びるための教育」はしっかり行いたいと考えています。
 ですので、ご家庭でお風呂に入るとき、「顔に水がかかっても慌てない」「息を堪えてブクブクできる」あたりは見極めてあげていただきたいと思います。
 幸い、ここまで全日プール活動ができていますので、そろそろ疲れが溜まってくるかも知れません(たけのこぐみでちょっとコックリ…の子もいます)。体調にはお気を付けいただき、余裕のある状態での登園をお願い致します。

できるんだ!

6月 27th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (できるんだ! はコメントを受け付けていません。)
 今日はホールとこりす組を繋げて、たんぽぽ組の合同体操です。とても多くの方にご参加いただき、賑やかに活気ある時間を過ごすことができました。
 冒頭からみんなの目を奪う演出で登場。思わず「オォー」という声があがります。最初はお母さんと一緒の活動、続いて緊張をほぐしながら出会い、多彩な運動ができるサーキット活動へ。子ども達も汗をかき、お母さん方も手を引いたり見守りながら、楽しく過ごしました。
 「親子体操」と聞くと「運動か…」と身構えてしまう方もいるかも知れませんが、それだけではありません。「入園前の、親子にとって意味ある活動は?」を追究して、できたプログラムなのだと思います。
 親子の活動としても、子どもの活動としても、「できるんだ…こんなことが」というのを、いくつかご紹介できたのではないかと思います。
 昔は「技は先輩から盗め」と言われていたのが、いまは「取りあえず攻略本、攻略サイトで予習する」ですから隔世の感ありですが、自分自身の子育て体験を振り返ると、やっぱりそうですね…これも「金で解決のひとつ」なのでしょうか…。
 あ!愚痴っぽい終わり方になってしまった…後悔…。

重いけれども

6月 23rd, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (重いけれども はコメントを受け付けていません。)
 今日、年中組さんの体操を見ていたら、子ども達がマットを運んでいました。
 体操にはおおよそ毎回決まった流れがあって、色んな走り方〜ボールなど〜サーキット〜という進み方をします。つまり何回か「道具の出し入れ・レイアウト変更」があるのですが、今日は子ども達が手伝いをしていたのです。「前から5番目・6番目の子」と指定しているのですから、「前から○番目」の数え方も分かっていなければできません。
 それでも「あ、ボクだ、ワタシだ」と気付いた子は何だか嬉しそうにマットに取り付きます。皆が座って待っている中を、お仕事で通る…多分少し誇らしげなのではないでしょうか。
 調べてみると、マットは標準のサイズで11〜13kg程度、子ども達より少し軽い位です。今は未だオンブ・抱っこ(自分と同じ程度の体重を支える)をしていないのですが、「手押し車(半分程度の体重を持つ)」は行っています。2人だと「重さだけなら何とか」、ただし持ちにくい形(手に余る)なので4人で丁度いい…といったところでしょうか(最後はアバウトですね。笑)。
 ともあれ、「昔の子ども達」に比べ、「重い物を持つ・運ぶ」経験が圧倒的に少ないのが現代っ子です。小学校の時にはせめて「45リットルのゴミ出し」はできるようになって欲しいものですが…。
 ウチの卒園児は、「同学年の子どもをオンブ・抱っこできる」ようになって小学校へあがります。

本質的に褒める

6月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (本質的に褒める はコメントを受け付けていません。)
 何やら難しい感じのタイトルなのですが…話は約2年前から続いているのです。
 時計台のところにある、「アカパンサス」という花。じつはこれ、葉っぱをパキッと折ると汁が出てきて面白いのですが…面白がって葉や茎が沢山折られてしまったことがあったのです。平成27年9月。
 その時は、悲しみと怒りの看板が出ていました。
 そして今年。その時の看板の効果が今でもあるのか、その時のことを覚えてくれている人が多いからなのか、はたまた今年の子達が気付いていないのか、どんな訳かは分かりませんが、折られることなくたくさんの花が咲きました。
 ですから、目に見えることとしては「アカパンサスの花が咲いた」だけなのですが、「葉や茎を折らないでくれてありがとう。元気に伸びて綺麗な花を咲かせられたよ」というメッセージなのです。
 私が「本質的に褒めている」と感じるのはここです。「言われたことを守った」故に褒めたのではなく、「言われていないけれど、するべくようにした」ことを褒めた、ということです。
 くどいですが、「大人に言われたから」ではなく、結果として良いことがおきた。そこを改めて言葉にして子ども達に返していく。なかなかできることでは有りませんね。
 有り難い事に、年少組の子どもが看板に気付いて、「お花からお手紙が来たんだね」と話していたそうです。物言わぬ花たちですけれど、その言葉を聞くことができる。まさしく「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける(古今和歌集仮名序)」です。
 ああ、私は本当にこの仮名序が好きなんです。いま読んでも涙が出る位に。

塗り尽くす!

6月 20th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (塗り尽くす! はコメントを受け付けていません。)

写真の子と話の子はことなります。

 今日は年中さんの活動を近くで見ていました。「すいかのはじき絵」ということで、ある意味「昔ながらの活動」ではあります。先に描くクレヨンは、しっかり濃く色がでており、バッチリ弾いてくれそうな感じです。
 いよいよ絵の具の出番です。こちらは全員が一式持っている訳ではないので、机2台で8人ずつ行っていきます。クレヨンに比べて、絵の具(筆)は軽い力でスーッと塗っていけるのが特徴ですね。色も少し淡くて、確かに対照的です。
 ということで、サッサッと塗りおえていく子がいる一方で、「園長先生、もっと濃く塗りたい」というリクエストがありました。「ん?」と思いつつ、筆に絵の具を直づけ。「これでやってごらん」と渡しました。
 そう。「クレヨンに弾かれないよう、懸命に絵の具を(濃く)塗り重ねていた」のです。「悔しいなぁ、何とかこの色で塗りつぶしたいのに、このこの!」という感じ。くっきり描かれたクレヨンの線は、絵の具を水玉のように弾くばかり。そのうち「紙が危ないな…」を心配するほどになりました。
 暫くは力ずくで「何とか色をのせる!」という感じだったのですが、最後は何だか「やり遂げた…」という感じで、「もういい」と終了宣言。良かったじゃないか。サッと描いてパッと終わるより。これも一つの試行錯誤。よい学びです。

参観の効果

6月 13th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (参観の効果 はコメントを受け付けていません。)
 さて、幼稚園の参観も終わりました。お忙しい中、沢山の方にお越しいただき、ありがとうございました。特に今年は、お父さん方にも多数おいでいただき、子ども達も嬉しかったことと思います。
 そう、昨日「小学生は恥ずかしがり」と書いたのと対照的に、幼稚園児は「見て見て!」に喜びを感じます。それは、「何をやっても、どんな結果でも」親や私達は「学びの元ですから」という評価をし、結果を受容してあげられるからではないかと思います。
 年少組では「言葉の時間」をやっていました。文字のカードを見て、「読めた」と思ったことを表現する。答えを示して貰って、当たりで喜ぶ。「読める(理解し、アウトプットできる)という嬉しさ」をストレートに表現している瞬間です。
 年中組は、今日の製作の説明を聞いているところでした。形が対称形に近いので、注意深く見て作らなければなりません。子ども達の姿勢が少し前傾になっていること、写真に出ているでしょうか。「良い姿勢で聞くことは、確かに頭によいことだ」というのも、今では科学的に実証されているそうです(あやふやな言い方でゴメンナサイ)。
 年長組は、もう自分達でやっている事を、親御さん方は見守るというのが主なスタイルでしょうか。岡目八目で傍から見ていると「あー、もっと効率的合理的にできるのに…」「あそこ、残してるみたい」とかいろいろ気になるのですが、「子どもの学びは試行錯誤。試行錯誤した事ほど、長く深く記憶に止まる」ということで、安易に手を出さずにいて下さっているのでしょう。
 それにしても、子ども達。親御さんが来ていらしたことで、多少の緊張感というか「いつもと違うぞ」感(幼稚園の生活として、ですよ)を感じていたようです。現在、園庭で走り回る子多数。ホースの水まきでビショビショの子もあり。コンサートを終えたミュージシャンが、舞台袖で出しているような歓声が、あがっております。

籤という公平性

6月 7th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (籤という公平性 はコメントを受け付けていません。)
 先週末から、年少さんの「机分け」にクジ引きが始まったようです。これもチャレンジングなところがあって、「クジという物を理解できるのか?」を見極めないとできません。そして、「クジ引きでお隣さんが決まっても大丈夫」という判断も。
 今までは、先生がいろいろと子どもの状況を勘案して指定席にしていました。「自分のお印はこれ!」というのは比較的早く理解してくれることもあり、それぞれの距離感も考えて。
 「そうでなくともよい」というのは(多分)、子ども同士のコミュニケーションが洗練されて来たという事なのだろうと思います。「ある程度、どの組み合わせでも大丈夫」という…。
 しかしもう一方で「クジの結果を受け入れる(だけの成長がある)」というのも見極めポイントです。特にいまどき、「自分の意見を言わない」状況は理不尽でもあり、苦痛になりがち。なにせ「生きる力とは、自分の意見を述べることを含む」のですから。
 そこに来て「自分の席は運任せ。どこになるか意見は言えません」ですから。

 けれど思うのです、「これも一種の公平さだな」と。
 もちろん全員の席はあるのです。「外れたら廊下」でもない。全員が同じ「ひとり一座席」なのです。
「先生の近くがいい」「○○ちゃんの隣がいい」…いろんな思いはあるでしょうけれど、ひとまず全員表明せずに、自分で引いた色の机に行く。「行った場所で楽しみましょう」という、ある種余裕のある状態…つまり「大丈夫」…になった、という成長の姿でもあるのです。
 自分の意見を言えないという理不尽はありますが、それ=「机を決めること」にまで拘らなくてもいいのではないかと思います。そういう「時期」があってもいい。けれどそれは一過性のもの。「いつまでも拘らない」は「いつまでも引きずらない」に通じているような気もします。
 「拘りを持つ」こと自体は否定しませんし大切だと思います。しかし、「拘るだけの価値」をどこに見いだしているのか、「拘るだけの価値があるか否か」をどう判断するか?「拘るべきものに拘れているか?」
 私が心の隅に置いている「生きる力」の一つです。

物語と現実と

6月 5th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (物語と現実と はコメントを受け付けていません。)
 今日もお御堂参り。楽しい話、短い話と進めてきて、そろそろ「メリハリをつける」をねらいたい時期です。ま、それでほぼ最終段階なのですけれど。
 そこで選んだ話は「おろかな蛙」身も蓋もないタイトルですが。イソップ童話ですから、もう2500年も前の作品。仏教とほぼ一緒ですか…。
 ストーリーは皆様ご存じの通り、最後に破裂してしまったお腹に絆創膏を貼って、「無理な背伸びはするもんじゃない」と終わる訳ですが、子どもたちはそんな教訓よりも「そこで、お母さん(お父さんというバージョンもあります、念のため)蛙は思いっきり息を吸い込みました。スーハースーハー、そして、ボヨーン」その描写に大喜びです。
 やる度に「スーハー」が増えていくこと、「ボヨーン」の音のおもしろさ、話者の表情など相まって、面白いのでしょうね。こちらも分かっていつつも真剣に、「どう?この位の大きさ?」と、ちょっと苦しそうな声で聞いたりします。
 教訓はともかくとして、印象的だったのは「パチーンと、破れてしまいました」のところ。水を打ったようにシーンとして、「どうなるんだろう?」と…まさに固唾をのんで見守ってくれました。子どもの蛙が治療してくれて一安心。最後に親子で見に行ってエンドのような気もしましたが、「治療しました」で子どもたちも安心したようです。
 さて、この物語。実際に蛙がそんな自殺行為をする訳はないのですが、子どもたちはきっと肌身に感じて心配していたのでしょうね。つまり本気だったのではないかしら。「蛙がそんな事する分けないじゃないか。第一日本語を話すわけないだろう」というのは小学生以降の感性。そのツッコミは成長の証でもあるのですが、幼児にとっては「気持ちを寄せる体験」をした事として大切なのだろうと思います。自分たちが実際に無謀なことをする…というのは(たまに見かけますが)危険も伴います。なのでこうした「物語」を通じて共感し、心情を育てているのではないかと思います。
 現実には、けがをした友達を心配する姿がよく見られます。「自分も痛いときに心配してもらった」というのが一番強い要因であろうとは思いますが、物語を通じて学んだ価値観を現実で復習している、そんな姿にも見えるのです。