明照幼稚園

一日の経験で

7月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (一日の経験で はコメントを受け付けていません。)
 昨日から今日にかけ、年長組さんの「お泊まり会」を行いました。大きな貴重な経験です。どれほど大きいか…。
 あまり愉快な例ではありませんが、「恐怖の余り、一晩で髪が真っ白になる」とも言うように、「一晩の経験」が、その後にずっと大きく影響をすることがあります。そして、少なくとも卒園式までは、4分の1くらいの子が「幼稚園で一番印象に残ったのは、お泊まり会」と言い切ります(当園調べ)。
 昔の人たちは、「夜に眠るとは、一旦死ぬようなものだ。翌朝、再び起きるとは、生き返るようなものだ」と思っていた節があります。確かに自分の意識がないうちに、動物に襲われたりするかも知れませんし、もし起きても夜目が利きません。実際に、「眠っている間に死んでしまった」人は、数限りなくいたのだろうと思います。
 ということで、お家に戻った子は正真正銘「同じ子」ではあるのですが、「お泊まり会を経験した」ことで「どこかちょっと生まれ変わった」…かも、という目で見てあげて欲しいのです。親御さんが居ないことで、「…せざるを得ない。そして実際に、できた」という経験を多くしたと思います。その「特別な経験」から「できるよ!」と自信を持っていけるためには、「繰り返し」が必要です。お料理・片付け・お泊まり…ぜひ夏休みに回数を重ね、楽しくやっているうちに身につきますよう、「多彩な経験」をさせてあげて下さい。
 「どんなことをしたの?」とお聞きになると思いますが、子どもが話し始めたら、どこかで「す・な・お」を入れてあげて下さいね。「すごいわね」「なるほど」「面白いわね」です。マニュアル的に見えるかも知れませんが、きちんとタイミングを掴むのはなかなか難しいものです。その合いの手がピッタリはまると、子ども達の嬉しさ、記憶、次への意欲は増していくと思います。
 改めまして、お父様方、お母さん方には沢山のお手伝いをいただき、ありがとうございました。多くの人の手があってこそできる行事、そして幼稚園です。子ども達にそれだけ豊かな経験をさせてあげられる、と感謝申し上げます。ありがとうございました。

目鼻がつく、目がつく

7月 20th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (目鼻がつく、目がつく はコメントを受け付けていません。)
 今日は幼稚園の終業式ですけれど、最後の一瞬まで「幼稚園を遊び尽くす!」という勢いで、式はきちんと静かに参加して、終わってからの園庭遊びはまさに「笑顔の花盛り」でした。
 そんな中、女の子が持って来てくれたオクラ…には目がついていました!かわいい!「どうしたの、それ?」「自分で作ってきた」とのこと。
 すでに人だかりができている机まで行くと、先生がペンとかシールを出して使わせてくれているのでした。オクラに留まらず、ナスだの銀杏だのいろいろと…。本当は食物ではあるのですが、「おもちゃにする」、その仕掛けを先生が行ったのですね。
 思えばこれ、夏休みの最もお手軽な自由研究の1つと言えそうです。どこかで見つけた物に、構わず「目」を付けてみる。生ものであれば、写真に残す。たくさん作るうちに、思わぬ発見があるかも知れません。
 終業式では、「一学期のあいだ、いろんな事ができるようになりましたね、ぜひそれを種として、好きな事を沢山してみて、楽しんで。気がつくと上達していると思いますよ」ということを話しました。手先の器用さにしても、運動にしても、人間関係調整にしても。一学期の種を、夏休みという畑で、大きく育ててあげて頂きたいと思います。

(おまけ)
シミュラクラ現象(3つの穴が空いていると、顔に見えてくる)の一歩手前でしょうか、目さえあれば顔に見えるのですから、我々よっぽど「他者の顔を気にして生きてきた」のだろうな〜と思います。(多分)生き延びるため、我々のご先祖が長い時間をかけて習得した習性なのでしょうね、それこそ言語より以前の。感慨深いです。

これも遊びです

7月 18th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (これも遊びです はコメントを受け付けていません。)
 今日はプールの最終日…私が園長になって以来初の、「全日程プール完遂!」の年度となりました。これも皆様のふだんの行いが良いおかげです…ありがたし。
 さて、最終日ということもあって、再び年長さんのプールに参戦してきました。もう(?)とか使いません。文字通りの「戦い」でした。ちょうど新しい道具(強力水鉄砲とか)も入り、「水が顔にかかる」とか構っていられない状況です。カメラを片手に普段着(水着ではない)で行ったのですが、2分も経たないうちにカメラは避難、私はずぶ濡れとなりました。
 年長さんですと、結構な体重の子もいて、「イヤもう持ち上げるのは今日が最後でしょ!」とか思いつつ、抱きかかえては投げ、時にはやさしく投げ、また時には激しく投げ…を繰り返しました。中に入れればもう少し踏ん張ることも出来たのでしょうが、今更着替えるために場を離れることもできず、最後まで一緒に遊びました。先生の笛が鳴って「おしまーい」のはずが…
 プールが終わるとすぐに水を抜き、掃除に入ります。そのために排水口を全開にするのですが、その排水口が面白いと感じた子がいるのですね。
 ドクドクと流れ出る口は、時折脈を打っています。しばらく見ていたかと思ったら、おもむろに踏んづけました。その後、持ち上げてみたり口を絞ったりと、しばらくの間遊んでいました。
 サイフォンの原理があるので、水面以上に持ち上げると流れでなくなります。その様子も何となく観察し、「どうやったら遠くまで飛ばせるかな」といろいろ工夫して、流れていく様子を全身で感じていました。あー面白そう。プールから出て、おもちゃも使わず、自分の発見と工夫で遊ぶ。彼らが「作り出した遊び」を見つけた私も、一緒になってにんまりしていました。
 改めまして、連日々々、お母さん方にはプールのお手伝いをいただき、本当にありがとうございました。最初は不安に感じていた子どもたちが、水になれるに従い大胆な行動に出られ、「ちょっとくらい水が掛かったって気にならない」に変化していく様子をご覧いただけたかと思います。
 お手紙も配りましたが、「水での事故」は一瞬でおきたりします。せめてパニックにならないよう、「息堪え」などの体験を積めるように行ってきました。海や川の水はプールとは全く違いますが、「安全に生活する」につながる保育ができたのではないかと思います。ご協力ありがとうございました。

野菜盛りと言えば

7月 10th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (野菜盛りと言えば はコメントを受け付けていません。)
 今日は幼稚園で「みたたまつり」の集いです。私が園長になった10年前と比べてさえ、お盆について「お仏壇がある」「家でやったことがある」という子が減ってきているのを感じます。
 コンセプトは子ども達にも話したのですが、「皆が元気に幼稚園に来られる←ご両親が育ててくれているから←昔は子どもだった=お爺さん・お祖母さんが育ててくれたから←昔はこどもだった=曾祖父母が育ててくれたから…ご先祖様と呼びます」という話をしました。
 子どもが育つ環境として、「より多くの繋がりを持っている」ことはとても大切だと思うのです。世の中の柔軟性(不確実性・理不尽さ含む)に打ちのめされないためにも。「沢山の人の想いが重なって、いまあなた達は育っている」という実感は持たせてやりたいと思います。
 さて、「キュウリの馬、ナスの牛」は定番なのですが、今日は先生が野菜盛りを説明していました。と言っても「これはトウモロコシ、これはインゲン…みんな、夏の野菜なんだよね」と。あのような盛り合わせは、なかなか見る機会もないだろうと思います。
 そんな中、「アルチンボルト」の絵を下駄箱に架けておきました。早速「駅にポスターがあった!」と気付いた子もいました。観察眼が優れている子は、きっと好奇心も強く、その分「楽しいことがたくさんある」ような気がします。アルチンボルトの絵も、「ちょっと見てびっくり、じっくり見てニヤリ」な要素がたくさん隠れています。実物はかなり大きいので、機会がありましたら上野でご覧になるのをお勧めします。

言葉で意識

6月 30th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (言葉で意識 はコメントを受け付けていません。)
 今日は各学年の体操参観で、多くの方にお越しいただきました。ありがとうございます。
 もちろん「子ども達の様子を見る」ことで、「子ども達の育ちの価値観を共有」「成功体験と嬉しさの共有=応援」をはかり、子ども達のより力強い成長につなげていこう…というのが趣旨です(選挙っぽい口調になってる?)。
 私も、もう何年も見ているのですが、今日は「指導の先生から、親御さんへのメッセージ」だな…と思うような台詞がありました。
 この体操の成り立ち。目指していること。子ども達の気持ちを常に見ながら行っていること。運動のねらいと共に、その背景にあるストーリーを、たくさん話していらっしゃいました。
 ということは、特に年長さんにとっては「今後の子育て、体育で迷うことがあったら、この”原点”に立ち返って下さいね…」という意味なのかな、と感じたのです。
 もちろん、今後も引き続きご指導いただきたいと思っています(もしかしたら、毎年同じメッセージは発しておられた?)。けれども、「子どもの様子や願い」を言葉にして渡すことで、受け取った側も「同じ様子理解や願いを持つ」ことはできると思います。それはまるで…

 「信じられる嘘を共有したのが、サピエンスの強みである」(『サピエンス全史』園長のうろ覚え部分)のようです。

 ア…「嘘」というのは「仮説」程度に受け止めています。

遊びを作り出す

6月 29th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (遊びを作り出す はコメントを受け付けていません。)
 今日は、小石川植物園での園外保育。お陰様で曇り空だったので、何かにつけ都合がいいな…などと思っていたのですが、行って見たら結構な気温と湿度の高さで、大人たちも結構「疲れた〜」な一日ではありました。
 近年、利用に関して大学からの遵法化…というか「運動場ではありません!」に象徴される「お約束」が多くなって、幼児にとってはやや窮屈だと感じていたのですが、今回はその方針が少し変わったのか、とてもフレンドリーな職員さんが多く、園児たちもとても楽しめたようでした。
 以前はいろんな道具を持ち込んで遊んでいたりしたのですが、ほぼ全面禁止。「宝探しのような印をつけてもいけません」とのお達しがあり(ネイチャーゲーム、なのでしょう)、「とにかく観察イチバン」ということで、朝の集まりではそう行った話をして散策に出かけました。
 幼児はもちろん「見る」が大好きなのですが、あれだけ開放的な場所で、果たしてどうか…「大声を出さない」「走り回らない」を守りつつ、どう楽しむか?一抹の不安がなかったと言えば嘘になります。実際、他園の話を聞いても、「規制が強くて、ちょっと敬遠しちゃう…」という声を聞くほどなのです。
 しかし、戻って先生方の記録を見ると、子ども達はそんな中で「楽しみ」を見つけ、植物園を味わった姿が見えてきました。「いろんな形の木を見つけては、映画に出てきそうだと言っていたり、枝垂れの木を見て「雨みたいだね」とストーリーを楽しんだり、もちろん木の実を探したり、池の飛び石をドキドキ渡ったり…まさに自然をそのまま受け入れて、遊びを作り出していました。
 そうです。「おもちゃ」というのは「遊ぶための道具」ですが、それは誰かが「こうして遊ぶ」というデザインをして産み出されたもの。それはもちろん文化であり良いことなのですが、「本来、遊ぶためではない」物の中に遊びを見出す…というか作っていく力は、ぜひ育てたいものの一つなのです。オリジナルであるかは問いません。教えて貰ったものでも構いません。しかし、見立てとか空想とかを駆使し、遊びを見つけ出す力は、今後「世の中どうなるか分からない」現代にあって、とても求められる力なのではないでしょうか。
 戻ってから改めて思いました。「植物園のどこに、どんな物があって、子どもの遊びのネタとして使えそうなものはどれだろうか?それを私たちは充分調べてあったのか?」もちろん、その想定の外を行くのが子ども達ですが、自戒として、そんな思いが浮かびました。
 子ども達が一生懸命に「木の実」を拾っていました。「園長先生、これ、何の実?」見覚えのあるその形は…銀杏でした。園内に山ほどあるのに。やや苦笑しながら、「ぎんなんだね。この大きな木、銀杏の木だね」とお話しました。木の名前、私も知らない物がたくさん…もっと沢山知っていれば、またひと味豊かな経験をさせてあげられたのかも、と少し後悔しています。

 ともあれ、園内までお付き添いいただいた年少組保護者の方、幼稚園で暑い中お待ち戴いた年中・長の保護者の方々、どうもありがとうございました。貴重な経験と学びのあった一日でした。

消防署・広報

6月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (消防署・広報 はコメントを受け付けていません。)
 年長組さんだけの活動、「小石川消防署の見学」に付き添ってきました。陽当たりもそれなりの中、15分程度、交通ルールを遵守しての行き来で、現場はもちろん、トータルとしてもよい経験になったと感じました。
 今年は、「現場で広報車」というピカピカの車を用意して待っていてくださいました。消火栓のある場所まで行くと、荷台に消火訓練の道具が積んであって、「どこでも消火訓練ができます」というもの。都内でも2カ所にしか配置されていないそうです。
 その後、消防士さんの出場着替え競争、訓練見学、写真撮影…と進んでいきましたが、最初から最後まで、消防士さんがきちんとプログラムを組んで、付き添って下さっていたのが印象的です。以前は「訓練の邪魔にならないように、そこで見ててね」という感じだったのですが、いろいろと幅があるものだなぁと。
 「これこれ、という典型的なプログラムはない」ということの裏返しではありますが、毎年いくつもの園の見学を受け入れるなかで、磨かれてきたのだろうと思います。ありがとうございました。
 そういえば、ポンプ車は2種類のホースを積んでいます。黒くて太いものと、白くて畳まれているもの。放水のためのものはよく目につくと思いますが、ポンプに給水する黒のホースがなかったら、役に立ちません。子ども達には見分けポイントを教えておきました。「供給がなければ提供はない」、当たり前の話ではありますが、いろんな所で具体例の見られる「おしえ」ですね。

参観の効果

6月 13th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (参観の効果 はコメントを受け付けていません。)
 さて、幼稚園の参観も終わりました。お忙しい中、沢山の方にお越しいただき、ありがとうございました。特に今年は、お父さん方にも多数おいでいただき、子ども達も嬉しかったことと思います。
 そう、昨日「小学生は恥ずかしがり」と書いたのと対照的に、幼稚園児は「見て見て!」に喜びを感じます。それは、「何をやっても、どんな結果でも」親や私達は「学びの元ですから」という評価をし、結果を受容してあげられるからではないかと思います。
 年少組では「言葉の時間」をやっていました。文字のカードを見て、「読めた」と思ったことを表現する。答えを示して貰って、当たりで喜ぶ。「読める(理解し、アウトプットできる)という嬉しさ」をストレートに表現している瞬間です。
 年中組は、今日の製作の説明を聞いているところでした。形が対称形に近いので、注意深く見て作らなければなりません。子ども達の姿勢が少し前傾になっていること、写真に出ているでしょうか。「良い姿勢で聞くことは、確かに頭によいことだ」というのも、今では科学的に実証されているそうです(あやふやな言い方でゴメンナサイ)。
 年長組は、もう自分達でやっている事を、親御さん方は見守るというのが主なスタイルでしょうか。岡目八目で傍から見ていると「あー、もっと効率的合理的にできるのに…」「あそこ、残してるみたい」とかいろいろ気になるのですが、「子どもの学びは試行錯誤。試行錯誤した事ほど、長く深く記憶に止まる」ということで、安易に手を出さずにいて下さっているのでしょう。
 それにしても、子ども達。親御さんが来ていらしたことで、多少の緊張感というか「いつもと違うぞ」感(幼稚園の生活として、ですよ)を感じていたようです。現在、園庭で走り回る子多数。ホースの水まきでビショビショの子もあり。コンサートを終えたミュージシャンが、舞台袖で出しているような歓声が、あがっております。

参観にて

6月 12th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (参観にて はコメントを受け付けていません。)
 今日は保護者参観。まだ始まって間もないのですが…実は私も昨日、父親参観日で学校へ行って来ました。科目は音楽。「音楽ですか…」と、やや拍子抜けで聞いていたのですが、参加してみたら「すごい、すばらしい」と感激して帰ってきました。
 小学生の音楽って、自分を思い出すと「何とも恥ずかしい」と思いながらだったのを思い出します。むしろ覚えているのは「声の悪い子には、これ(ゴキブリの粉末)を飲ませます」「音階をハンドサインで」「これから名前を呼ぶ子は、本当はマスクして舞台に立たせようと思っていました」…(かなり曖昧な記憶ですが)という、「音楽とどれほどの関係が?」と突っ込みどころ満載の思い出です(人は、満足した記憶は忘れると言われますから)。
 さて、まず感動したのは「表現することに躊躇しない」という先生の姿勢でした。言葉ではないのです、まさに姿勢。楽しそうに、声高らかに子どもと歌うのです。「歌いなさい」と言って、自分は聞いてるんじゃ学びになりませんね。「さ、楽譜の見直し30秒ね、できたと思ったら立って」という促しも見事です。自分で踏ん切りを付ける、自分から立ち上がらないと物事が進まないのです。立った子にはすかさず「おっ、勇気あるね、素晴らしいね」と心情を褒める。
 次に機械の普及なのですが、昔レコード今は映像で、うたを中心とはしているのですが、それを歌っている歌手の映像と共に鑑賞できるのです。隔世の感あり。音楽としての情報と視覚情報が一緒に味わえる。もちろん子ども達も、歌っている「自分の顔」を見ることはできないのですが、表情や立ち振る舞いはノンバーバルコミュニケーション。「レ・ミゼラブル」の一部だったのですが、私まで涙していました。「子どもの様子を見る」どころではなかった(それで良いのかしら?)。
 そして、スーザンボイルの映像。「この方、47歳にしてオーディション番組に出られたんですよね」ということで、いよいよクライマックスに向かいます。
 「この方、日本の歌を英訳して歌っているのがあるのです。翼をください、なんですよ。いいですか、音程やリズムが多少崩れても構いません。大きな声・綺麗な声が一番ではありません。詞を理解し、心をそこへ向けて歌うことが一番なのです。さぁ、保護者の皆さんも一緒に歌いましょう」
 ということで、歌ってまいりました。いつかも書いたのですが、「親子で一緒に歌をうたえる」というのは幸せなことです。その機会を下さった先生に感謝です。そして改めて思いました。
 「子どもと親と一緒に、もちろん先生も教材もあって、それらが一体化した授業だった」と。親が外部から観察するのではなく、「一緒に歌うこと」で成立する授業だったと。
…家に帰って興奮気味に(表現することに躊躇しない!)そんなことを娘に語ったのですが、本人は現場で「とにかく近くに来ないで」アピールをしていたのですが、家では何となく神妙に聞いてくれました。嬉しいことです。

ちょこっとICT

6月 8th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (ちょこっとICT はコメントを受け付けていません。)
 時の記念日は、「国民の祝日」ではないものの、なかなか意義深い日だと思っています。というのは「なぜ時計があるのか?時計のあることのメリットは?」と考えると、「人間社会の維持」に深く関わっていると思うからです。
 もっとも、「日本で初めて時計が使われた日」の時計は「物珍しい精巧な機械」だったのだろうな…と思いますが、まぁ一台だけで役に立つものでもありませんよね。
 そう、社会というのは実は、「四六時中いつも一緒にいる」人たちの集団ではなくて、「約束などによってあつまり、また散らばって暮らす」人々によって構成されている訳です。いつも一緒の小集団では、時計の必要はないと思うのです、「おーい、集まれー」で事足りますから。
 子ども達の見るスライド「動物村の時計台」でいみじくも描かれているのですが、「一人一人勝手なペースで生活していては、社会が成り立たない」のです。「いつ集まって良いのか」が分からないのですから。
 構成員全体に対し、ある意味公平に強制力のあるのが時間、そして時間を表現しているのが時計です。「時間を守る」のは「構成員としてカウントされる」要件ですらあると思います。
 そんな訳で、幼稚園にもたくさんの時計があります。子ども達の、時計に対する関心は十人十色。けれどせめて「ちょっと見る目を持って欲しい」と思い、スライドにしてみました。
 今まで行っていた「現物を見せる」と混ぜたのですが、「この時計、どこにあるかな?」という「お花探しゲーム」的な演出をしたので、子ども達も喜んでくれたようです。
 これから「ICTを使った教育を推進する」と言われ、それは「子ども達が操作する」ことではあるのですが、「なるべく本物。仕方なく、最低限度のICT」という基本姿勢は保ちたいと思います。
 私自身としては、機械物が大好きなのですけれど。