明照幼稚園

Author Archives: Sato

畑の改装

8月 20th, 2013 | Posted by Sato in 日々の姿 - (0 Comments)


畑写真 今日から畑の改良工事。水はけがあまり良くないということで、下に排水パイプを埋めます。実際の農家さんでも、土地改良として行う事があるそうです。併せて、朽ちてきた所も多い、木枠を取り替え。オーストラリアから運んできた、樹齢百年程度のユーカリだそうです。既存の枠は、かなりシロアリに喰われていたとの事。これで安心して、じゃんじゃん水やりできるようになります。一本残してあるサツマイモもキープしてありますから、ご安心ご安心。

3度目の仮設居酒屋

8月 20th, 2013 | Posted by Sato in 日々の姿 - (0 Comments)
 この日曜日から1泊で、石巻の仮設団地に「出張居酒屋」の一員として行ってきました。今回は子ども遊びコーナーもできたりして、「食べる・飲む・しゃべる」だけではないイベントも行うことができました。また、飛び入りのイベントNPO(というものがあるんですね…)の方がビンゴ大会を開いてくれたりして、かなり賑やかに、楽しむことができました。

 で、今回びっくりした事がありました。白山のお寺の先輩が主催者なのですが、そのお寺のすぐ近く、料理屋さんの息子さんも参加されたのです!そのT君が…
 明照幼稚園の卒園生!
 尚かつ、すぐ私のことに気づいてくれた!
 さらに、「幼稚園大好きだったんですよ…」と、思い出を話してくれた!
 さらに、夜お母さんに写メールしてくれて、お母さんからも「先生、貫禄がつきましたね…」と返信してくれた!
 いや、ありがたい事です。いずれもビックリです。
 近々お店におじゃまします。そういえば、卒園後の謝恩会2次会で使わせてもらいました…もう十年位前でしょうか…。こういった「再会」は、とても嬉しいですね。そして、その場としての幼稚園をしっかり守っていきたいと思います。

対人支援のセミナー

8月 10th, 2013 | Posted by Sato in 保育論 - (0 Comments)
 今日は渋谷で、セミナーへ行って来ました。講師は《家族の練習問題》の団先生。児童相談所の方とか、日常的に相談業務を行っている方が多く、幼稚園でもこれから担う事が増えるだろうと感じていて、私も参加しました。
 やや乱暴に言ってしまえば、「家族の問題を捉えるのにフレームを使いましょう」という事だったと思います。つまり、一定の視点を定めて整理してゆく、という事です。息子の算数の問題でも、文章題を表にまとめていく事があるのですが、その時と同じく、項目名がとても大切です。問題の切り分けとも言えるでしょう。
 で、お話を聞き、実習をしたりして楽しく学んだのですが、一番ショックというか感心したのは、話を聞く時の共感の扱いです。今まで私が学んだカウンセリングでは、共感つまり聞き手の感情を重視していたと思います。それが今日は「表明はするが感情で巻き込まれたらダメ」という事をとても強調していました。ま、それはそうです。同情ではなく解決の糸口を探す(当たりを付ける)のが目的なのですから。その辺りにプロとしての凄味を感じました。
 ともあれ、三ヶ月に一回開催されるようですから、今後とも機会を見つけて行ってみようと思います。6時間という長丁場でしたが、あっという間の体験でした。

ネタバレあり{遺体}

8月 5th, 2013 | Posted by Sato in 保育論 - (0 Comments)
ごめんなさい、幼稚園のブログで「遺体」だなんて。でも、今は子どもも来ていないし、見たかったけれど見そびれていたし、原作本も読んだし、ネット配信で見つけてしまったんですもの。少しお付き合い下さい。
これは、東日本大震災直後、釜石の遺体安置所のルポをベースにした映画です。もちろん改めて俳優さんが入って作っているのですが、きっと相当な部分、本当のエピソードを含んでいるのだろうと思います。そこに、お坊さんが描かれていました。
遺体の収容が始まって何日か経って、多分地元のお坊さんが遺体安置所にやって来ます。既に手作りの祭壇は出来ており、西田敏行さん扮する民生委員さんが、「お経を上げてください。」と言う。お坊さんも、「もちろん、そのために来たのです。」と応え、お経を読み始めます。
でも、続かない。声が続かないのです。実のところ、私にも経験があります。お通夜に行ったのに、途中でお経が読めなくなったことが。だから、その状況がよく分かるのです。
でも、テレビの前の私は一方で思いました。「こんな時にもお経を唱えなければならない。そのために、私たちは日々お経をあげているのではないか?イザという時に自然に口をついて出るよう、いつも練習しているのではないか?」と。
しかし、実のところ、私も実際の現場に行ったら、どうなるか分かりません。鎌倉時代の坊さんは、戦乱で亡くなった方にでも、勉強している時間のない人にでも、「それでも、できること」として南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経とか、「言えばいいのだ」と説きました。どれだけ切羽詰まった状況でも、「できることがある」。それをきっと心の支えにしなさい、と言ったのでしょう。
私が老衰で死ぬまでには、きっと関東大震災が来るのだろうと思います。その時、自分がどうするか。分かりませんが、少なくともその場に出る覚悟だけは、持ち続けていきたいと思います。

遊び続ける

7月 31st, 2013 | Posted by Sato in 日々の姿 - (0 Comments)
 今日は第2回の「おみせやさんごっこ」があり、たくさんの子ども達が来て楽しんでくれました。傍から見ていることで気づく点は多いのですが、今日は「遊び続ける」というポイントで書きたいと思います。
 幸か不幸か、お店の商品は限りがあり、「早くも売り切れてしまった!」という所もあれば、最後まで「どうぞ〜!」と呼び込みをする所もあります。これは幼稚園でのおかいものごっこと同じです。そして、私は今日みていて「予定していた時間よりも早く終わってしまった時にどうするか?」これを視野に入れてもいいのだな、と思いました。「最後まで売っていたお店のメンバーは、最後まで子どもに向かい続けた」とも言えるのです。
 あるグループは、品物が売り切れてしまったので(準備が少なかったのだろう、とも思うのですが)即席でルールを作って遊んでいました。また別のグループは、売り切れを喜んで、友達のお店に遊びに行きました。そう。前者は「子どもを楽しませ続ける」ことを考え、後者は「自分達で楽しむ」ことを選んだのです。みなさん学んでいる途中なのですからとやかくは言いませんが、「売り切れなので、お終いです」以外の選択肢があり得ることを考えられるといいな、と思いました。何らかの事情があって、終了間際に来る(きっと、急いで来たのでしょう)子もいる、ということです。
 ともあれ、子ども達にとっても、保護者の方にとっても、私たち園職員にとっても、とっても楽しい企画でした。写真も撮らせてもらいましたが、さすが保育を志す方達、子どもの前で素敵な笑顔を見せてくれたのが印象的でした。これからも、いろいろ学び考え、素晴らしい保育者が沢山育って欲しいと思います。

脇から見て、分かること

7月 29th, 2013 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (0 Comments)
 今日は、近くの専門学校から2年生が来てくれて、「おみせやさんごっこ」を開催してくれました。先方にとっては授業の一環だそうですが、子ども達から見れば楽しいイベント。私や今日出ていた教諭達も、一緒に楽しませてもらいました。学生さんが90名近く、子ども達と保護者の方で100名以上。かなりの賑わいで「プチ夏祭り」と言ってもよい程でした。
 幼稚園でも11月には「おかいものごっこ」がありますから、子ども達はきっと「今日のお兄さんやお姉さんのように、お店やさんをしたいな」と思ったことでしょう。そして!!子ども達の様子を隣でご覧になっていた保護者の方にも、「おかいものごっこ」の楽しさを一緒に体験していただけたのではないでしょうか(ここが大切です)。それは一言でいえば「プロセスとしての楽しさ」です。
 実際、「持って帰った物」だけを見れば、シンプルな手作りですから簡単なものです。しかし、それ以上に子ども達の気持ち=嬉しさは「自分でやったの!」「自分で選んだの!」という方に由来しているのではないでしょうか。これは今日も11月も同じです。施設開放の中で行えたというのは、そんな意義もあったのだろうと思います。 ともあれ、沢山準備して下さった学生さん、ご指導頂いた先生方、そして今日参加してくれた子ども達・保護者の方。沢山の笑顔溢れる時間が幼稚園で作れたことに感謝いたします。ありがとうございました。

施設開放

7月 25th, 2013 | Posted by Sato in 日々の姿 - (0 Comments)
夏休みが始まり、施設開放期間になりました。今日は有志のお母さん方で「シャボン玉大会」も開かれていることもあり、とても多くの子ども達が遊びに来てくれました。登園・降園時間やお弁当の有無等も自由にしていただいているので、子ども達も普段よりのんびりと幼稚園を、そして心ゆくまで楽しんでいるようでした。普段の「社会性が大事!」というスタンスから離れて、「鉄棒やり込む!プール入り続ける!」といった環境を作っています。
 そして、来たる29日・31日は近くの専門学校の学生さん方による「おかいものごっこ」。沢山の参加表明をいただきました。店員さんたちも、きっと張り切って準備してくれている事と思います。どうぞご活用下さい。

「諦め」について

7月 21st, 2013 | Posted by Sato in 保育論 - (0 Comments)
 最近、テレビでは「少女」事件についての報道が続いています。仏教者として心を痛めております。
 仏教では、世の中の様子について「四諦」つまり4つの見方を説いています。その第一が「苦諦」。砕いて言えば、「世の中には苦しみがある。苦しみとは思い通りに行かないことである」なのでしょうが、この事を仏教者が伝えていない・サボっていると言わざるを得ません。
 もっと上手い言い方をする人もいます。「分かり合えないことから(平田オリザ)」。そう、親子も夫婦も独立した個人として扱うなら、当然の帰結として「分かり合えないことから出発する」しかないのです。言わば0点からの積み上げ。基調が0ですから、何があってもプラス。どん底からのスタートです。対して「人間、分かり合える」という前提は「100点からの減点」ということもできるでしょう。勢い日々起きる事が辛くなる。
 「分かり合えたらいいね」、その理想を描くのは結構です。しかし同時に現実の認識として「最終的には分かり合えない」と知って=諦めておきなさい。それを仏教者は伝えるべきであるのに、していない。声が小さい。伝え方が不十分。
 「ネットで悪口を言われた」。それは教室で、あるいは町中で言われたのと同じように感じるのでしょう。でも。「ま、他人だからね」で受け流して行けたなら、こうはならなかったのではないか。つまり、「ま、他人だから思いはそれぞれだね」と言えるシーンがそれまでにどれだけ作れていたか、経験させておけたか。家庭や幼稚園で送る日々について、改めて考えさせられます。(多分続く)

ではあるのだが。会うは別れの始め

7月 19th, 2013 | Posted by Sato in 保育論 - (ではあるのだが。会うは別れの始め はコメントを受け付けていません。)
 終業式の後、今日でお辞めになる先生のお別れ会がありました。年度末の、卒園式に続いてではありませんので、単独で「お別れ会」です。
 その話の途中、司会の先生が言葉を詰まらせました。年少さんの中には「どうして泣いているの。」という子もいたのですが、大きい子達はきっと察したのでしょう、心配そうに先生の顔を見ていました。ああ、知っているんだな、世の中には「別れ」ということがあり、それが意味することを。その様子を見て、私は二人の先生の気持ちに寄り添う子ども達の成長を見ました。
 今、社会では感情を表に出す(交渉とかコンサートとかで、戦略的に演出するのは別として)機会は殆どなく、また「みっともない」と取られかねない時代です。そうではあるけれど、二人の先生が想いを子ども達に見せた、それは「指導」という意図を越えた、「子育ち・自らの育ち」の姿だと思います。手前味噌ではありますが、先生として、の前に人間として素晴らしい人たちだと思います。
 もしかすると、「自分もいつか、こうして去っていくのか」と思った子・思った先生もいたかも知れません。「会うは別れの始め」。それは知っているけれど、こういう感情なんだ。言葉に実体が宿ったというのか、気づいたのではないかと思います。何て素晴らしい。何て悲しい。何てリアル。「幼稚園で人生を学ぶ」とは、まさしくこういうシーンを言うのでしょう。

気がつく人は…

7月 19th, 2013 | Posted by Sato in 日々の姿 - (0 Comments)
幼稚園も今日は終業式。バタバタの4月から、プールで大はしゃぎの7月まで、みんなよく通ってくれました。その中で、特に年少さんは生活がガラッと変わった訳ですが、日々の生活も身につき、「我が物顔」で職員室に顔を出し、「園長先生〜」と声を掛けてくれる子もいます。 さて、オタマジャクシのいた池の横にある金柑ですが、今たくさんの花が着いています。私も長いこと見ているのですが、どうも「前の実が終わると花が咲く」という巡りになっているようで、四季と関係ないのかな?と思ったりしています。 ともあれ、近くに行くと良い匂いですので、1学期終わりの思い出に、かいでみてはいかがでしょうか。ただし、蜜を吸いに虫たちが沢山集まっているので、ご注意くださいね。