明照幼稚園

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池でいろいろ考えた

4月 21st, 2018 | Posted by Sato in 保育論 - (池でいろいろ考えた はコメントを受け付けていません。)
 今日、幼稚園はおやすみですけれど、園長は朝から働きましたよ。
 イヤイヤ大したことではないのですが、オタマジャクシ第二団を放流しました。前回は浅草のお寺さんから、今回は上野のお寺さんから。やはり緑と土のある所には、蛙が住んでいるのですね。
 さて、魚を飼ったことのある方はご存じと思いますが、その導入手順は結構大変です。お店から買ってくる場合は余り神経質にならなくて良いのですが、「余所の池=よその環境」から来る場合は、手間がかかるのです。

1)温度合わせ。輸送によって必ず水温は変わっていますから。
2)水合わせ。 徐々に新しい環境の水を足していきます。時間をかけて。
3)さらに水を入れ、古い水をどんどん捨てていきます。
4)先方から来たであろう植物などを除去。
5)生き物だけをすくって、新しい環境へ投入。

つまり、「異なる生態系から移動してくる」、その無理を何とか軟着陸させようという段取りなのです。
 幼稚園の池の水を飼育水として家に持って帰ると、恐らく藻が繁殖すると思います。凄い生命力ですから。それと同じように、「先方の環境にいた植物」はできる限り入れないのが原則。こちらにとっては外来植物な訳で、池の勢力図が変わってしまう可能性があるのです(するとリセットが大変…)。本当は「一度、新しい環境の水で生体を洗う」ぐらいやっても良いのかも知れません。  それでも、生き物の状態と環境変化の度合いによっては、「全滅です」という可能性もあります。まぁ今回は若い子たちなので、何とか順応してくれることを期待していますが…まだ分かりません。

 おっと、随分書き進んでしまいました。ぼんやり考えたことは後回しにします。
 「子どもをとりまく道具として、自然の物と人工の物、今は圧倒的に人工物が多いんだろうな」と思いました。合理的で刺激的で楽しいけれど、人によってデザインされた物。目的を持って(買ってもらう)生まれたもの。それと、自然の物には何か質の違いがあるように思えてなりません。
 「自然のものに触れることが、なぜ大切なの?(どんな意味があるの?)という問い」になるとは思いますが、ワタクシ今の所、それを簡潔に表現できておりません。けれどこれ、たぶん人類史上珍しいことなんだろうと思います。
いや−、「池は人を哲学者にする」といったところでしょうか。
                                         

デザイン考

4月 19th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | - (デザイン考 はコメントを受け付けていません。)

年長さん「打ち合わせ」風景

 園長、にわかにデザインというものについて考えております。つまり、「デザインとは何か?デザインするとはどういう行為なのか?」ということです。
 パッと思いつくのは図画とか美術の授業なのですが、「デザインする」というのはもっと多彩なことがらを対象にできると思います。そんなことを考える入口として、『大量生産品のデザイン論』という本を手に取りました。
 読み始め、すぐに得心したのは、「デザイナーズマンションとか言って、さも"デザインしていること”を付加価値のように謳うのはいかがなものか。どんなプロダクトでも、デザインはされている」というくだりです。久しぶりの「ニヤリ」な感じでした。
 著者の佐藤さんは、「おいしい牛乳」のパッケージなどを手がけた方で、NHKの「日本語であそぼ」のビジュアルや「デザインあ」を仕掛けた方でもあります。(私の車にも「あ」のシールが貼ってありますが、少し歪な形です)。
 本ではデザインが決まって製品が消費者に渡っていくプロセスが描かれているのですが、面白いのは

価値は既に製品が持っている。それを可視化していくのがデザインすることである

 といった趣旨で「デザインすること」を定義していることです。つまり、

何が表現したいのか、という内容よりも、どう表現するかという方法の問題

のようです。大雑把にやり方、と呼んでいいのかも知れません。
 保育をデザインする。幼稚園の活動というのは、園の理念や園長の思い、先生達の考えや気持ちを「どのように形として表現するか」でもあるわけです。先程の言葉にのれば、「園や教育活動の持っている価値を、どう可視化していくか」が保育のデザインという訳です。先般から取り組んでいる「文科省の教育指導要領に沿った保育云々」も、理念の可視化・具体化ということではデザインと呼べるのではないでしょうか。また、子どもの現実の姿から「こんな人間に育てたいのだな、育って欲しいのだな」を読み取るのは、逆ルートというか「デザインを読み解く」と言ってもよいのかと思います。
 デザイン、つまり「どうやって伝えるか」は、これからもっと光を当てて考えていいのではないか、そう思います。現代なにかと内容…「何を?」を追究しがちですが、実は、「言い方」を初めとする表現方法の方が、コミュニケーションにおいては大事なのではないかと考えています(明るく仲良く・言い方によるトラブル・ツールの多様化高機能化・バカの壁・誰に言われたか…)。第一歩は、「内容とデザインは、不可分ではあるけれど別物」ということです。「内容もいいしデザインもいい」も「内容はいいがデザイン(伝え方)はだめ」もあり得る。そして実はデザインというか「伝え方」を学ぶ機会が乏しくなっているのではないか…?
 今度、「りねあ」の先生とお話してみようと思います。

活動の場が 広がる

4月 16th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (活動の場が 広がる はコメントを受け付けていません。)
 今日は月曜日。年少組さんでは、土日を挟んで「早く幼稚園に行きたい!」という子、「その反対!」という子がいたようです。「毎年の風物詩だなぁ」とか園長は暢気ですけれど、その場にいたとすれば戦場なんだろうなぁ、と思います。私も何度か「さぁ、もう時間だから行こうね」と、問答無用で連れて行ったこともあります。「お母さんが側に居ない」という環境に気付くと、その環境に合わせた行動をとれるほど成長している子もおおいのですがね(回りくどい言い方ですね)。
 その瞬間はお互い辛いでしょうけれど、それは案外長続きしないものです。こちらが、「大丈夫大丈夫?寂しくなかった?」と聞けば、誰でも「寂しかった!」と答えるでしょう。そして「寂しいと答えることで、周りが自分に注目してくれる」を学ぶことでしょう。
 しかし、「いずれ一人で行けるようになる。笑顔で行かれるようになる」と信じていることで、無闇に「寂しかった」と言わせずにこの時期を過ごすこともできると思います。園でのお子さんの様子が心配な方は、お戻りになってから(電話で)でも担任にお尋ね下さい。
 さて、今日は「初めてのお御堂参り」&「園庭遊具の使い方(年少さん)」でした。最近は「言葉を育てる」という意味でも「学びの芽生え」としても、「素話」が見直されているようです。
 細かい言葉は分からなくても、見た目には園長一人であっても、子ども達は話の「面白い所」を的確に嗅ぎ分け、いいタイミングで笑ってくれます…きっと、言葉からイメージが生まれているのですね。「画面があった方が惹きつけられる」のは確かでしょうけれど、「画面がなくても楽しめる」のが子ども達の姿の一つだと思います。寝る前とかは素話にならざるを得ないわけですし、もっと見直されていいと思います。
 お御堂での姿は、まぁ「年度最初だからね」ということで割愛します。けれど「子どもが飽きる前に終わる」ことはできたと思っています。「お御堂、怖くないよ!園長先生のお話、短くて面白かったよ!」という感想を持って貰うのが第一です…「ありがたいお話」はその後。「聞く耳を育てたから、聞かせたい話をする」を原則に、これからも行きたいと思います。
 …園庭遊具の話は、またの機会で。

転がり続ける

4月 13th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 - (転がり続ける はコメントを受け付けていません。)
 金曜日から、年中さんの体操が始まりました。
 通常の自由遊びとは事なり、体操の時間は「ココの筋肉をこう使って、こんな能力を伸ばしたい」という目的が結構細分化され…というか明確です。それゆえ系統だった指導を行うことができます。
 年少さんの最初、マットでは「でんぐりがえし」をすることから始めます。私が子どもの頃は普通にやっていましたが、今はどうなのでしょう。パンダのシャンシャンもするのかしら…。
 でんぐり返しは、両腕で体重のかなりを支え、下半身が上がることで崩れるバランスを、腕の器用さなどで修正しながら行うものです。「力がある」だけでなく、「器用なコントロール」が必要です。
 なので、慣れていない子は横に転がったりします。「腕をつく」ことが意識敵にできれば、繰り返す中でまっすぐに転がれるようになります。もちろん、試行錯誤&回数が必要ですが…。腕で支えられるようになると、頭や首への負担が減っていくことも期待できますね。
 そうして、徐々に「でんぐり返しのバリエーション」が増えていきます。
 写真のような「おすわりでんぐり返し」、そして「走り前転」「台上前転」と…。いずれも「腕の力でなるべく頭を支える。左右に倒れないよう、腕の力でバランスを取る」という基本は同じです。
 年長組の体操参観で、あるいは小学校入学後のラックスポーツクラブで、凄い勢いで台上前転をしている子どもをご覧になることもあるかも知れません。けれど、出発点は「布団の上でのでんぐり返し」、写真の年中さんで「走り前転(マットを折った上で)」なのですがら、長い道のりといえばそうです。何年も、何回も何回も転がって、「いろんな運動をして、かつケガをしない」子に育っていくのだろうと思います。

どう育つのかな?

4月 12th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (どう育つのかな? はコメントを受け付けていません。)
 今日は年長さんが、ジャガイモを植えました。今の時期だと「もう終わりの方」ではあるのですが、お手伝いいただいた植木屋さんによると、「まぁ、7月には収穫できるんじゃないでしょうか」という事でした。
 他の作物と事なり、イモというのは地中にできますから、「都度々々、変化を見ていく」ことは難しそうです。もちろん上に茎が出て、葉も花もつくのですが、「水をやっていればよい」だけではないので、年長ならではの注意点があるようです。
 むしろ、「お水はどの程度やればいいでしょうか?」と(敢えて?)聞いてみたところ、「いや、水はやらなくていいですよ。水が多いと腐ってしまうし」とのこと。「どんなお世話があるのか、そして子ども達ができるのか」は、先生方も試行錯誤しながらの栽培となりそうです。
 畑は「自然に触れ、親しむ」という大きなテーマの活動なのですが、年齢なりに関わり方は変化していきます。年少さんであれば「観察し・触れる」程度ですけれど、年長さんになっていくに連れ、「どうしたらいいのだろう?」と目的意識を持って育てていくことになります。図鑑などで調べることもあるかも知れませんし、周りの大人に質問するかも知れません。
 「食べ物を得る」だけではない活動として食育があるわけですが、様々な「学びへのつながり」になってくれることを期待しています。  

場を知る・慣れる

4月 11th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (場を知る・慣れる はコメントを受け付けていません。)
 年少さん、今日はホールとお部屋で自由に遊びました。ホールには乗り物とアスレチック、お部屋には釣り堀とオママゴトが用意されていました。
 年少組の子どもにとって、「幼稚園が安心できる場所」であるか否かは大きな問題です。「見たことのある人・場所・物」を増やしていくことで、新しい環境や保護者の方が近くにいないという不安を和らげていこうということです。
 話は逸れますが、受験の時なども「早めに会場について、教室や廊下・トイレや建物の様子を見て”合格したら、ここで勉強するんだ”を想像してみましょう。そうすると緊張から解放されていきますよ」という話がありました。
 成人近い受験生ですらそうなのですから、「この場所知ってる・この先生知っている…」という安心感は、子どもにとって非常に大切だと考えているのです。「自由に過ごす」中では、私の手を引いてあちこち見て廻る子もいました。
 こちらで用意した遊びは全部、「一人でするものではない」ことが特徴です。道具や場所を共有している。数に限りがある。周りとコミュニケーションを取りながら、順番を替わったり進路を譲ったり、「他者との出会い」がたくさんある遊びを用意していたのです。
 しばらくの間、色んな「イザコザ」が起きるでしょう。環境…特に人的環境がが変わったことで、「今までのやり方だけでは上手くイカン!」という問題意識で、いろんな試行錯誤が始まると思います。お家でもお話してくれるかとは思いますが、小さい子ですから、「なるほど。あなたから見ると、そうなのね」という間接話法(?)で聞いてあげて下さい。

やってあげるよ!

4月 10th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (やってあげるよ! はコメントを受け付けていません。)
 今日は、年長さん用の写真を撮りました。一年間見るものですから、先生方も趣向を凝らして撮影します。現物はクラス会でご覧いただきたいのですが、着替えての撮影でした。
 最初は大人が着替えと撮影(私です)を行っていたのですが、暫くすると、着替えをずっと見ている男の子がいました。私も去年の「ひなまつり写真」を思い出し、「手伝ってくれるかな?」と聞くと、嬉しそうに「うん!」
 思い通りにスイスイできる訳ではないのですが、「はい、おでこ押さえて〜」とか「頭入れてね〜」とか、何だかサマになっています。男女同時進行だったので結構忙しかったのですが、彼らのお陰でテンポ良く撮影が進みました。
 終わってからの先生の日誌でも、「2クラス共通で衣装を使うので、大人が慎重に着替え…と思っていたけれど、子ども達が意欲的に手伝ってくれて、それも活動の中だと思いました。終わって”フゥー”とソファに腰掛けた姿も、本当に一仕事終えた感じでした」というような記述がありました。
 今日の「そもそもの」活動は「写真撮影」です。しかし、その過程で子どもの気持ちに気付き、こども達が関わり、遊びを作り出している姿を認め、保育に取り入れていく感性は、園長としても大切にしていきたいものです。
 きっと、今までお母さんに着替えを手伝って貰った経験があって、それが嬉しかったのだろうな、着にくくて苦労している友だちの姿を理解して、「手伝うよ!」という気持ちになったんだな、そんな風に感じて、こちらも笑顔での撮影となりました。

始まりました 始業式

4月 9th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (始まりました 始業式 はコメントを受け付けていません。)
 9日には1学期の始業式と「はなまつり」を行いました。
 年少さんと転入児にとっては、入園2日目にして仏教行事…。例年のことではあるのですが、なかなか落ち着いて参加は難しいであろう…と想像しながらの開始でした。
 とにかく、子ども達が飽きる前に話を終えることが(この時期の)園長の務めです。「みんな、すごいね、静かに聞けましたね」と締めて、司会の先生にバトンタッチしました。先生も、みんなで会えた嬉しさと、一学期への期待の気持ちを盛り上げてくれました。
 その後は「はなまつりの集い」です。「誰もが世界中に、ただ一人。とても独特で貴重な(ユニークな)存在なんだよ」と話しました。そこにピンと来る子はまだまだ少ないと思いますが、「一人一人を尊重する」という、園からの宣言を聞かせるつもりで。
 子ども達は、「花御堂はなみどう」にかなり興味を持ってくれたようです。今回は花の種類や色数も多く、献花も綺麗でした。献茶の子たちも、匂いを嗅いでいる姿が可愛らしかったです。
 会の終了後、一旦はクラスに戻った年長さんがホールに降りてきて、おのおの甘茶をかけてくれました。「抹茶の匂いに似ているね」との声も聞かれました。「自分なりの経験から、考えたことを友だちと共有している」姿ですね。
 実際、3つの仏教行事の中で、一番「現物」があるのが今回です。先生方もその辺りを活かしてくれました。年長さんは「甘茶を飲んでみたい」ということで試飲。私見では「喉の奥で甘い感じ」なのですが、子ども達も口々に感想を話していました(甘い紅茶とは異なった味わいです)。
 今後とも、子ども達と様々な経験をしていけるのが楽しみです!

卒園式だ おめでとう

3月 20th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (卒園式だ おめでとう はコメントを受け付けていません。)
 今日は卒園式。雨のうえに何だか寒いですけれど、園内は暖かい雰囲気と空気が流れていました。
 朝のお御堂参りでは、保護者の方と一緒にお祈りをしてもらいました。「明るく・正しく・仲良く」の話をして、「What何をするか?よりも、Howどのようにするか?が大切なんですね」ということをお伝えしました…大人の方には。
 それがあってか、式でのお話も、坊さんっぽい匂いがしたかと思います。「仲良くっていうのは、だれか一人が言い出したら残りは異を唱えないという事ではないよ。せめぎ合って・折り合って・一緒にやっていくことだよ」という話をしました。「きっと、君たちの担任の先生がやってきたようにね」…そして、君たちのご両親もね。
 そして、これまた以前どこかで書いた覚えがあるのですが、「私達が協力しなければならないのは、自然の力に対応するため」という話しもしました。実際具体的には「他の動物に対抗する」という事だったのだろうとは思うのですが、この日本の特殊性として「自然の豊かさと、その裏返しとしての自然災害」の話もしました。「イザという時こそ、力を合わせるんだよ」と。今年卒園の子は、もう震災後の生まれです。経験としてはなくても、自然の力については、「知っている私達」が伝えていかなければならないのだと思います。
 手放しの「おめでとう」を言っても良い日なのだろうとは思うのですが、老婆心だか何だか、「幸せになるために知っておくべきこと」であろうと思い、話させて頂きました。
 私は現在、主に3つの「現場」があるのだろうと認識しています。一つは幼稚園。一つはネット。一つはお寺。実はこれら、出会う人たち年代が異なるのです。かつ、あまり重ならない。それらを行ったり来たりしながら、色んな人と話をしていることが、今の私の強みではないかと考えています。年代によって考え方に開きのある分野もある。年代によらず共通した価値観もある。ある方向に向かって、人の価値観が変わりつつあることも感じる。いろんなことを考え・感じながら、これからも柔軟に幼稚園を運営していこうと思います。  子ども達、卒園おめでとう。保護者の皆様、ありがとうございました。みんなが幸せになりますように。

年度終わりの終業式

3月 19th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (年度終わりの終業式 はコメントを受け付けていません。)
 今日は3学期の終業式。小学校でも既に終業式・卒業式を終えた所もあるそうですけれど、本日をもって年度は終了となります。
 「1月から始まった学期の終わりであると共に、年度の終わりでもあります。だから、今度みんなで集まる時は、それぞれ学年があがっています」というお話をしました。幼稚園での1年間は大きくて、「3歳で入園して4歳になっている」は、すでに「1.33倍」ですから各々いろんな成長をとげています。いろんなドラマを経て…。
 「そして、年長さんは幼稚園から小学校へ行きます」というお話で、「服のたとえ」をお話しました。「みんなにとって、"幼稚園”という服が今はピッタリだけれど、もうお兄さん・お姉さんたちには窮屈になってきたんだね。だから、これからはもっと広い世界・広い社会へ行くんだよ」という趣旨のお話です(いつだったかの明照新聞に書きました)。
 そうして、一曲ずつ披露して終わっていくのですが、年長さんが歌うときって、みんな決まって注視するのです。前から写真を撮っても、殆ど全員が後ろを向いている(笑)。それだけの…周りの注目を集めるほどの力がある歌を、歌う事ができるのですね。
 最後には園歌。「幼稚園の(関係ある)全員が、必ず一緒にうたえる」というのは、考えてみればありがたい事です。「みんなの言葉が違ってしまったので、バベルの塔が建てられなくなった(違いましたっけ?)」の反対で、「みんな同じ言葉・同じストーリーを共有している」のは誠に幸せなことです。3月になって、自分の出身高校(今は息子が通っています)の校歌とか、娘の校歌(長女と合わせて12年でした)とか「出席者全員で一つの歌をうたう」機会が多いのですが、その度に何ともジーンときます。

 一緒に歌える歌があるって、いいですね!