明照幼稚園

Author Archives: Sato

一緒に泥まみれ

3月 15th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (一緒に泥まみれ はコメントを受け付けていません。)
 日射しが春めいてきたことに合わせて、子ども達の遊びも少しずつ変化してきたようです。今日は、年長さんと年中さんが砂場で…裸足で遊んでいました。「足湯気持ちいい〜」と言っていたので、「足湯ごっこ」ということですね(文字通り)。
 まぁ、砂場ですので実際は「名のない遊び」で充分楽しいと思うのですが、名前が付くと伝播が早いですね。あっという間に子ども達が集まって来ました。早速靴と靴下を脱いで入湯?入泥?です。ウチらしいと思うのは、「脱いだ靴を並べている」ところですね。ワクワクして飛び込んだのでしょうけれど、靴の後始末はしっかりしているのでした。
 「足に傷のある子はいないかな」とか若干の心配はあったのですが、「これも子どもたちなりの、春の迎え方だな」と、微笑ましく見ておりました。
 そして、今日は卒園式の総練習を行ったのですが、そこに出てくるのですね、「みんなで一緒に、砂場で遊んだ」という歌が。「一緒」というのがどの程度なのか、どの季節なのか、何をしたのか。いずれも具体的に語られてはいませんが、ここ数日の様子は、まさに「歌詞に出てくるまま」だと思いました。年長さんは、卒業すると不思議なほどにパタッと動きが変わります。「今日のメンバーで今日の遊び」は本当に一期一会。「泥まみれ」が思い出の一コマになってくれたら、嬉しいです。

同じ空の下

3月 12th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (同じ空の下 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お別れ園外保育」で飛鳥山公園へ行きました。例年よりは一週間遅くし、「暖かくなってきました」という言葉が実感できるようなお天気。朝は風がありましたが、日射しがあって「焼けたわね」と言われる(園長)ほど…。
 普段の通園より距離はありますが、現地に着いてしまったら、もう楽しむしかありません。「なるべく遊ぶ時間を多く取るためには?」とスケジューリングし、遊べる道具も準備して行きました。
 現場が広いので、私はあちこち移動しながら様子を見ていました。年長組さん、「じゃんけんベースボール」で大盛り上がりでしたね。お母さん方も本気でやってくださって、親子共にたいへん嬉しそうでした。年少さん・年中さんも「お母さんと一緒」って、もう100%嬉しい事なのですね。
 そして最後は、「お別れ園外」ならではの「アーチ」です。入口の年少さんのアーチをくぐる時には四つん這いになった子もいましたが、最後の出口ではもう、「飛び出してくる」という感じでした。あのトンネルにはいろんな譬えが思いつくのですが、「3年間は短いようだけれど、これだけ大きくなった」を実感できるものとして、とても良いものと思います。壁となり通過していく子ども達へ何かの言葉をかけ見送る、在園児や大人にとっても。
 「どんな意味があるのか・ここから何を学ぶのか」「何と似ているのか・どこが違うのか」「どんな点で際立っているのか」と考える事は、多分人間特有のはたらきだろうと思います。それこそAIとかには苦手な。
 子ども達が、そして大人達がいつか今日を振り返り、「あのトンネルは何だったのか」「あの日、一緒に同じ空の下にいたのは何だったのか」を問い、自分なりの答えを手にしてくれたら嬉しいです。
 気をつけるべきは、「〜は何だったのか?」という問いを、「答えのないもの」として使ってしまう癖です。「どうして聞けないの!」「何度言ったら分かるの」等に通ずる、役立たずですよ。本気で意味を探すと、「自分なりの答え」が見えてくる。それが人間らしさ・自分らしさです。

本物の力

3月 5th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (本物の力 はコメントを受け付けていません。)
 本日は、4度目のコンサートを開催しました。ピアノの中村和枝さんと、トロンボーンの村田厚生さんです。
 このお二方のご縁は、2015年の時に書かせて頂きましたが、それ以来のご縁をいただき、お忙しい中幼稚園での演奏を続けて下さっています。
 私の子ども時代はカセットテープ、そしてCDから現在は音楽配信の時代になりましたが、「本物に触れる」のはいいなぁ、と改めて思いました。
 ピアノは演奏しながら移動するのが難しいのですが、トロンボーンと、それからアルペンホルンは動きながら演奏して下さいました。なので、「ここから音が出てる!」というのが非常によく分かって、覗き込んでいる子がたくさんいたのは微笑ましかったです。最初の入場から、子どもの心をガッチリつかみ、あっという間の40分、楽しいコンサートを聴かせて下さいました。子どもはきっとリラックスしてお二方を迎えたのですが、「コンサートでのマナーを教えようか、思い切り楽しませようか」と私が迷っていた部分もあり、子どもの自然な動きを制限してしまったことを、少し後悔しています。
 現在、当日の音と映像を編集中です。完成しましたら、改めて連絡網等で御案内すると思いますので、どうぞお楽しみに。

よく見る、って?

3月 1st, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (よく見る、って? はコメントを受け付けていません。)
 今日は「ひなまつりの集い」。3日が土曜日ですので、これまた繰り上げての開催でした。現代はスペースの関係もあってか、なかなか大がかりにするのは難しいでしょうけれど、幼稚園では「なるべく簡略化せず」に行いたいと考えています。
 私からは「人形=ひとがた」の話と、「人が育ち、幸せになるためには多くの人の手が必要」ということを話しました。身の回りのお世話、楽しませてくれること、外敵から守ってくれる人、環境を整える人、そして多くの道具たち。スタイルは古いですが、「多くの人たちとの関わりで育っていく」というのは、昔も今も変わらないと思います。
 さて、司会の先生は具体的な物事について…菱餅の色について話してくれました。それぞれを着色する木の実まで紹介し、「健康に育つように、という願いで使っているんだね」とお話してくれました。
 ただ「色が柔らかくて、きれいだね」で済ませることもできるでしょう。けれど、「どうなっているんだろう?」「どうしてなんだろう?」を関心を持ってみると、意外としっかりした意味が見つかったりします。
 仏教では「正しく見る」ということを「修行の目的」…しかも、かなり高いレベルの…にしています。「お覚りをひらくための、8つの正しい行い」のトップに出てくるのですが、実はそれは初歩ではなく到達点。「自分が正しく物事を見られる」自体が、お覚りにかなり近づいているというのです。
 「物事をありのままに見る」と言っても、人間は自分の目で見るよりありません。そして、視覚とか聴覚は、案外当てにならないのです(錯覚、とかありますよね。これもよく調べてみると非常に興味深いです)。「物事をどう見ているか」、つまり「その人の価値観」が、その人の個性や価値を決めると言ったら大袈裟でしょうか。

 …けれど、ジェダイの騎士も言っています。「君のものの見方が、君の真実を決定づけるんだ」と。

素直ということ

2月 27th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | - (素直ということ はコメントを受け付けていません。)
 昨日は年度最後の「お御堂参り」でした。実際は年長組さん、卒園式の日にお参りするのですが、今のメンバーでは最終回でした。ということで恒例の『花さき山』を演じました。お話するのはもう何年目か分かりませんが、ようやく「普通の・フルの読み聞かせ」でやることができました。
 言葉の読み替え(標準語っぽく)もせず、端折りもせず、大袈裟なジェスチャーも付けず。声の抑揚は結構つけました(それは日本語の特徴ですから)。「これだけの表現で、どれだけ受け取ってくれるかな」と、内心やや心配だったのですが、子どもの様子を見ていると、しっかり聞いてくれているようでした。絵本を開いて向けてはいるものの、「細部まで、よく見える」という距離でもありませんでしたが。
 これといって笑う場面はありませんし、全体的に黒の背景ですすんでいく話です。その分、それぞれの花の色が鮮やかに見えるのですが、「分かりやすく面白い」話でも本でもありません。

 けれど。子ども達、しっかり受け止めてくれていました。
 先生方の記録を読んでいたら、子ども達の会話の中に「あ、いま、花さき山で花が咲いたんじゃない?」という言葉が出てきたのだそうです。とても嬉しいことです。色んな思い通りにならないことや苦しみがあって、でも何とか過ごして行かなくてはならず、その知恵として「花さき山」の花があるならば、それほど有り難い受け止めはありません。
 思えば、この「素直に受け止める」という価値観は、現代少し日陰に追いやられているかも知れません。英語で「素直」を引くと、「従順・大人しい・抵抗しない」などと同じ単語で示されているのですが、日常何となく、ネガティブというか…使う頻度が下がっているような気がするのです。
「素直でいいなぁ」と感じることができた、そんな姿を見せてくれた子ども達。最後まで話を聞き、子どもなりに理解してくれた。年度最後のお御堂参り、無事に済ませることができました。

スタイリストたち

2月 22nd, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (スタイリストたち はコメントを受け付けていません。)
 今日は年長さんで、「おひな様写真」の撮影がありました。と言っても撮影者は私ですので、そう大したことではありません。ただ、随分と昔から(形は違いますが、私の長女の時は既に行っていました)のことですので、「お兄ちゃんと同じ衣装だ」とか「上の子の写真が今でも飾ってあります」という「積み重ねてきた」ことがあります。
 そんな中で、今日は「写真撮影ごっこ」としての盛り上がりが見えたのです!つまり、「まるで街のスタジオへ出かけていって、撮影する」かのような。これには驚きました。初めてのことです。
 まず最初に先生が、「何か音楽をかけましょう」と持ちかけてきました。パソコンでライブラリーから「うれしいひなまつり」をループしてかけます。すると…
 それをきっかけに、「雛祭り撮影ごっこ」が熱を帯びていきました。
 撮影のとき、カメラに笑顔を向けられるよう、賑やかししてくれる子たち(これはよく見られます)。
 撮影の合間に、カメラから覗き込んで「見える見える!」と喜んでいる子たち(これもよく見られます)。
 そして、撮影が終わり「次の人と交代」となると、冠や杓・扇子を預かって次の子に着せてあげる「スタッフ」が現れました。きちんと正面を向いているか、髪の毛が噛んでいないかも見ています。「杓は真っ直ぐ」とか「扇子が裏向きだよ」ということも、きちんと気付いて伝えています。そんな「お世話」をする子達自身が、とても楽しそうでした。
 もちろん「ボクがやるんだ」「いや、ボクがやる」といったイザコザも多少はありました。けれど、何だかとても和やかな雰囲気で「記念写真撮影会ごっこ」を遊ぶことができました。
 きっと「お買い物ごっこ」以来の、「自分達でやりたい」熱が、そうさせたのだと思います。私の一眼カメラをちゃんと操作できる子さえいて、「子どもにカメラを30分でも任せてみたら、何か1枚くらいは"とんでもなく面白い写真”を撮ってくるのではないか」なんて、妄想したりしました。
 あー面白かった。写真は年度末にお渡ししますので、どうぞお楽しみに。

自分を語る

2月 20th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (自分を語る はコメントを受け付けていません。)
 今日は、お遊戯会明けですけれど、「当日には壇上に登れなかったけれど、今日は来られた」子もいて、「じゃ、もう一回だけミニお遊戯会をやろう」という話が出たようです。確かに年長組にとっては、最後の大行事。少し後悔は残るでしょうけれど、思いを遂げさせてあげたい。そう思って「分かりました、園長先生、見に行かせていただきます」となりました。
 実際のところ「本番を終えた」というのは、もう「ピークは越えた」ということです。最高の出来映え…にはなりません。しかし、「今日は来られた」子達の、その事情も知っておりますので「分かりました」と答えたのです。
 ちょうど卒園記念品に使う写真を撮りに来てくれたお兄さんと、二人だけの観客。そこに向かって、子どもたちは堂々と曲を演奏してくれました。本番の日というのは、カメラマンは勿論、私も照明係で結構ピリピリとしておりますので、一人ひとりの表情や仕草もゆっくり見ながら、聞かせてもらいました。
 そして自然と思ったのです。「この曲を選んだ先生の、その思いや願いを子どもに聞かせたい」と。もちろん下打ち合わせはなかったのですが、二人の担任それぞれの思いを語ってくれました。生の気持ちを言葉にしていますから、子どもたちがどれだけ「ピンときた」かは分かりません。けれど、彼女たちが人生かけて「私が今まで生きてきて、これが大事!」という事を伝えてくれました。保育者が参考にする本の「お便りの書き方」とかには、「アイメッセージを書きましょう。説明だけでなく、担任の気持ちや願いを書いてみましょう」とありますけれど、それの最たるものだったと思います。
 そう…今から思い返せば、子どもたちにやはり何某かは伝わっていたと思います。「うん、先生いつも言ってるもの」と、子どもが返していましたから。
 これだけしっかりした絆を持っている子どもたち、そして担任たち。解散していく日が近づいてきていますが、日々を楽しみ、人生を楽しんでほしいと思います。

何のための会か

2月 20th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (何のための会か はコメントを受け付けていません。)
 保護者の皆様、先週末は、お遊戯会にあたり、多くの方にお出かけいただき、本当にありがとうございました。そして、たくさんの拍手と笑顔を子どもたちに向けてくださり、ありがとうございました。
 とても昔から行っている行事で(私自身も年長組でやった役を未だに覚えています)、幼稚園の中でも大きな行事なのですが、「子どもにとってどんな価値が=最終的に、あるのか」は、園長としては見失ってはいけないことと考えています。
 子どもたちどうしで何らかを披露しあうのではない。もちろん、子どもたち同志が見ることで「わっ、あれは何だろう。私もさわってみたいな」とか「お兄さんたち、一生懸命だ」とかシンプルに物語を楽しんだり…ということはあります。けれど「会」である以上、「反応をもらう」という要素を落とすわけにはいきません。「体を動かして、あーすっきり」だけではないのです。そのことからして、また「人間は社会性を発達させることで他の生き物よりも繁栄してきた」ことからも、「出演者とお客さん」という関係は人間以外あり得ず、その間で何が行われているか?は極めて「人間らしさ」に関わる問題なのだと思います。
 自分達の踊りがバッチリ決まった。演奏が気持ちよかった。みんなで一つの物語を紡げた。その「舞台上のこと」だけでは完結しない、「会」という形。そこでは「声援や拍手、家に帰ってからの感想やほめ言葉」など「結果や返ってきたこと」が大きな要素を占めています。
 自分は褒められるに値する人間だ。自分は応援されるに値する人間だ。そんな言葉にならなくとも、多くの方からの拍手や笑顔は、そういったメッセージを送っています。子どもたちに向けられているのは「上手だった、うまくいった」だけではなく、もっと底にある「そこにいること、或いは練習してきたこと、或いは関係を保ってくれていること…」への肯定なのではないか。
 先生の筋書き通りにいくことが、拍手になるのではない。子どもたちがそこへ立ち、何か表現することそのもの…いや本当は、もっと根底にある「表現しようとした事自体」を捉えて評価しているのです。当日は何人かのお休みもありましたが、彼らだって同じく懸命でした。たまたまタイミングが悪くて出席できなかっただけです。そんな子にも等しく拍手を送りたい。「あなたの存在を認めているよ」と。
 ああ、そうか。「表現する」というのは、「誰かに縁を紡ごうとする姿」なんだ。だから私たちはそれを受け止めたいし、広げたいし、つなげたい。縁が繋がり、広がることは、たぶん「力強く、人間らしく生きていく」ことにつながっているから。

明るくない。

2月 14th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (明るくない。 はコメントを受け付けていません。)
 今日は涅槃会の集い(正しくは15日なのですが)を行いました。実はここ数年、お寺には仏像が急増しておりまして、その中には「涅槃像」もありますので、その紹介をしようと考えていました。
 いまどき、スライドを作るのは簡単なのですね。確かに「素人さん」がスライドどころか動画を編集して稼いですらいるというのですから。
 ということで、「ねはん」に関するオリジナルのスライドを作って上映しました。子ども達にも、きっと「寝ている仏さま」として、印象に残った…かな?と思います。東南アジアの涅槃仏って、結構それぞれ個性的ですよ。
 さて、その中で「お釈迦様は、幸せになるために3つのお約束があるとお話されました。明るく・正しく・仲良くです」ということを繰り返し伝えました。涅槃会=お釈迦様とのお別れにおいては、「師匠がいなくても自ら守ることが大切。自律あっての自立です」というのが本筋なのですが、「何を守るの?」ということで触れたのです。
 会が無事に終わり、各保育室へ戻っていったのですが、最後の方で誰かが人をドーンと押したようです。自分の力が知りたくて・相手の反応が知りたくて・何となく…してしまう事があるのです。
 すかさず先生が目に留めて聞きました。「もしも先生が、お隣の先生にドーンってやったら、どうかしら?」と。

 子どもから帰った返事は「明るくない」。

何ともドンピシャだと思いました。私が話していたのは「お休みの子がいるとして、”あの子、本当に病気なのかな、きっと嘘だよね〜”とか、ありもしないディスをしている例を挙げたのですが、きっと何か「自分の意思を表明するのに相応しくないやり方だ」と感じたのでしょうね。
 そうです、「正しい」は内容であるのに比べ、「明るい」はやり方です。自分の何かの意思を表明するのは構わない。けれど、やり方も大切(それによって相手の受け取りが変わりますから)。こういうことって、遙か昔から変わっていないのですね。

お弁当です

2月 8th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (お弁当です はコメントを受け付けていません。)
子どもたち、遊びから戻って、お弁当です。約一時間、丸々遊んできたからか、お喋りにも花開き、食べる勢いもよいです。 相変わらず風もなく、小春日和の川口です。 では私も、「いただきまーす」