明照幼稚園

僕がやったんだ

4月 27th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 - (僕がやったんだ はコメントを受け付けていません。)
 年長組さんの展望室(第2図書室・空の部屋…いろんな呼び方があります)に、新しく机と椅子が入り…入ろうとしています。
 というのは、子ども達が現在進行形で椅子を組み立てているのです。流石にイチからという訳ではなく、ほぼ「最終組み立て」ではあるのですが。
 ドライバー1、ねじ1本でも、「僕がやったんだ!」という気持ちになるものです(園長体験済み)。お料理で言うならば、「あのジャガイモは、私が洗ったのよ!この牛乳パックは、僕が開けたんだ!」ぐらいの誇らしさがあります。
 私が子どもの頃は、「超合金」というロボットの玩具がありまして、それを全部分解して悦に入っておりました…プラモデルもだいぶ作りまして、「バリは取らなければならない」「物事には順番がある」「パーツを無くさない工夫が必要」「蓋はしっかり閉めないと面倒になる」「道具は元の場所に戻す」…等々、生活に必要な学びが随分ありました(今から振り返れば気づく事、なのですが)。
 ドライバーを使う上で大切なのは「ネジに合ったサイズを使うこと」「押しつけながら回すこと」だと思います。子ども達、今の時点ではどちらも及第点とは言えないでしょうけれど、

「僕がやったんだ!できるんだ!」という、自己肯定感(の半面)に繋がること、と思います。

 お父さんが電球を替えていたり、本棚を作っていたり、DIYをする機会があったら、ぜひ子ども達の見える所でやってみて下さい。特に男子は目を輝かせて見ることでしょう。それは、「お父さん、すごい!」という尊敬の眼差しでもあるはずです。

乾燥室が稼働中

4月 25th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (乾燥室が稼働中 はコメントを受け付けていません。)
 今朝は大変な雨でしたね。雨の量も多かったけれど風まで強くて、登園するのがかなり難儀だったのではないでしょうか。
 ですので、普段の「おはようございます」には「雨の中をご苦労様」という気持ちをのせてみました。傘越しではあったけれど、幾分かでも気持ちが伝わるといいなーと思います。
 ああ、「気持ちと言葉=形と心」については、いつかまた触れたいと思います。
 今日面白かったのは、園内にズラリとレインコートを干してあったことです。カラフルで、スキー民宿の乾燥室のようです。あの雨の中、一生懸命に歩いてきたんだろうな。頑張ったんだろうな。そう思いました。
 それを受けてか、年少さんのあるクラスは、ホールで体を動かして遊んだようです。元気な歓声が響いていました。たくさん体を動かして、少しはスッキリしたかしら。

東京管区気象台HPより引用。

 そういえば…と思って「東京の晴天率」を調べてみました(東京管区気象台ホームページ)。約30年間の統計で「晴れは50%以下、雨は35%程度」とのことで、けっこう雨降る時期なのですね。二十四節季でも「穀雨」で、丁度植物が芽を出す頃です。畑のジャガイモ、どうかなぁ…。

子ども達の諸相

4月 23rd, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (子ども達の諸相 はコメントを受け付けていません。)
 月曜日はお御堂参り。まだまだ「短く・笑えて・ほめられる」を基準に選んで、「カエルとうし」にしました。何ともストレートで、「ああ、あの話ね」とポピュラーなのですが、これイソップなのです。
 ブログを辿っていたら、3年前の同じ時期にも同じ話をしていました。お釈迦様もそうですけれど、「たとえ話」って命が長いのですね。
 それだけに、小学校1年生の教科書にも載っているのだそうです。指導の手引きとして「カエルはバカだなぁ」とかで終わらせてはいけないよ…などと書かれていました(時代を反映してか、性別とか親子関係は消されています)。フーム…。次々に流れていくオタマジャクシを眺めていると、「君たちは、すぐ近くに穴が空いているというのに、気付かず真っ直ぐ進んでしまったりするんだねぇ…はぁ、お馬鹿さんというか、何というか…直前まで分からないんだよねぇ」とか、生き物としての哀れ(あはれ)を感じたりします。

 あ、排水溝にネットを設置しましたので、万一あふれている様子があったら、教えて下さいね。

 子ども達は、各々だいぶ新しい環境に慣れてきたようです。年少さんも、座って話を聞けるタイミングができてきました。お帰りの時、順番を待つこともできます。年中さんの、真剣にハサミを使う姿は、自分の居場所あってのことでしょう。そして、年長さんは自分達で作った鯉幟を揚げるお手伝いもしていました。みんなで見上げて、空をおよぐ姿を楽しみに見ています。
 実際、4月は「幼稚園に慣れる」というのが一大テーマです。そうして自分なりに安心することで、好奇心がムクムクと働き出すのでしょう。
 これからも、いろんな働きかけや絡みがありつつ、活気ある暮らしが展開されていくことと思います。

池でいろいろ考えた

4月 21st, 2018 | Posted by Sato in 保育論 - (池でいろいろ考えた はコメントを受け付けていません。)
 今日、幼稚園はおやすみですけれど、園長は朝から働きましたよ。
 イヤイヤ大したことではないのですが、オタマジャクシ第二団を放流しました。前回は浅草のお寺さんから、今回は上野のお寺さんから。やはり緑と土のある所には、蛙が住んでいるのですね。
 さて、魚を飼ったことのある方はご存じと思いますが、その導入手順は結構大変です。お店から買ってくる場合は余り神経質にならなくて良いのですが、「余所の池=よその環境」から来る場合は、手間がかかるのです。

1)温度合わせ。輸送によって必ず水温は変わっていますから。
2)水合わせ。 徐々に新しい環境の水を足していきます。時間をかけて。
3)さらに水を入れ、古い水をどんどん捨てていきます。
4)先方から来たであろう植物などを除去。
5)生き物だけをすくって、新しい環境へ投入。

つまり、「異なる生態系から移動してくる」、その無理を何とか軟着陸させようという段取りなのです。
 幼稚園の池の水を飼育水として家に持って帰ると、恐らく藻が繁殖すると思います。凄い生命力ですから。それと同じように、「先方の環境にいた植物」はできる限り入れないのが原則。こちらにとっては外来植物な訳で、池の勢力図が変わってしまう可能性があるのです(するとリセットが大変…)。本当は「一度、新しい環境の水で生体を洗う」ぐらいやっても良いのかも知れません。  それでも、生き物の状態と環境変化の度合いによっては、「全滅です」という可能性もあります。まぁ今回は若い子たちなので、何とか順応してくれることを期待していますが…まだ分かりません。

 おっと、随分書き進んでしまいました。ぼんやり考えたことは後回しにします。
 「子どもをとりまく道具として、自然の物と人工の物、今は圧倒的に人工物が多いんだろうな」と思いました。合理的で刺激的で楽しいけれど、人によってデザインされた物。目的を持って(買ってもらう)生まれたもの。それと、自然の物には何か質の違いがあるように思えてなりません。
 「自然のものに触れることが、なぜ大切なの?(どんな意味があるの?)という問い」になるとは思いますが、ワタクシ今の所、それを簡潔に表現できておりません。けれどこれ、たぶん人類史上珍しいことなんだろうと思います。
いや−、「池は人を哲学者にする」といったところでしょうか。
                                         

デザイン考

4月 19th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | - (デザイン考 はコメントを受け付けていません。)

年長さん「打ち合わせ」風景

 園長、にわかにデザインというものについて考えております。つまり、「デザインとは何か?デザインするとはどういう行為なのか?」ということです。
 パッと思いつくのは図画とか美術の授業なのですが、「デザインする」というのはもっと多彩なことがらを対象にできると思います。そんなことを考える入口として、『大量生産品のデザイン論』という本を手に取りました。
 読み始め、すぐに得心したのは、「デザイナーズマンションとか言って、さも"デザインしていること”を付加価値のように謳うのはいかがなものか。どんなプロダクトでも、デザインはされている」というくだりです。久しぶりの「ニヤリ」な感じでした。
 著者の佐藤さんは、「おいしい牛乳」のパッケージなどを手がけた方で、NHKの「日本語であそぼ」のビジュアルや「デザインあ」を仕掛けた方でもあります。(私の車にも「あ」のシールが貼ってありますが、少し歪な形です)。
 本ではデザインが決まって製品が消費者に渡っていくプロセスが描かれているのですが、面白いのは

価値は既に製品が持っている。それを可視化していくのがデザインすることである

 といった趣旨で「デザインすること」を定義していることです。つまり、

何が表現したいのか、という内容よりも、どう表現するかという方法の問題

のようです。大雑把にやり方、と呼んでいいのかも知れません。
 保育をデザインする。幼稚園の活動というのは、園の理念や園長の思い、先生達の考えや気持ちを「どのように形として表現するか」でもあるわけです。先程の言葉にのれば、「園や教育活動の持っている価値を、どう可視化していくか」が保育のデザインという訳です。先般から取り組んでいる「文科省の教育指導要領に沿った保育云々」も、理念の可視化・具体化ということではデザインと呼べるのではないでしょうか。また、子どもの現実の姿から「こんな人間に育てたいのだな、育って欲しいのだな」を読み取るのは、逆ルートというか「デザインを読み解く」と言ってもよいのかと思います。
 デザイン、つまり「どうやって伝えるか」は、これからもっと光を当てて考えていいのではないか、そう思います。現代なにかと内容…「何を?」を追究しがちですが、実は、「言い方」を初めとする表現方法の方が、コミュニケーションにおいては大事なのではないかと考えています(明るく仲良く・言い方によるトラブル・ツールの多様化高機能化・バカの壁・誰に言われたか…)。第一歩は、「内容とデザインは、不可分ではあるけれど別物」ということです。「内容もいいしデザインもいい」も「内容はいいがデザイン(伝え方)はだめ」もあり得る。そして実はデザインというか「伝え方」を学ぶ機会が乏しくなっているのではないか…?
 今度、「りねあ」の先生とお話してみようと思います。

活動の場が 広がる

4月 16th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (活動の場が 広がる はコメントを受け付けていません。)
 今日は月曜日。年少組さんでは、土日を挟んで「早く幼稚園に行きたい!」という子、「その反対!」という子がいたようです。「毎年の風物詩だなぁ」とか園長は暢気ですけれど、その場にいたとすれば戦場なんだろうなぁ、と思います。私も何度か「さぁ、もう時間だから行こうね」と、問答無用で連れて行ったこともあります。「お母さんが側に居ない」という環境に気付くと、その環境に合わせた行動をとれるほど成長している子もおおいのですがね(回りくどい言い方ですね)。
 その瞬間はお互い辛いでしょうけれど、それは案外長続きしないものです。こちらが、「大丈夫大丈夫?寂しくなかった?」と聞けば、誰でも「寂しかった!」と答えるでしょう。そして「寂しいと答えることで、周りが自分に注目してくれる」を学ぶことでしょう。
 しかし、「いずれ一人で行けるようになる。笑顔で行かれるようになる」と信じていることで、無闇に「寂しかった」と言わせずにこの時期を過ごすこともできると思います。園でのお子さんの様子が心配な方は、お戻りになってから(電話で)でも担任にお尋ね下さい。
 さて、今日は「初めてのお御堂参り」&「園庭遊具の使い方(年少さん)」でした。最近は「言葉を育てる」という意味でも「学びの芽生え」としても、「素話」が見直されているようです。
 細かい言葉は分からなくても、見た目には園長一人であっても、子ども達は話の「面白い所」を的確に嗅ぎ分け、いいタイミングで笑ってくれます…きっと、言葉からイメージが生まれているのですね。「画面があった方が惹きつけられる」のは確かでしょうけれど、「画面がなくても楽しめる」のが子ども達の姿の一つだと思います。寝る前とかは素話にならざるを得ないわけですし、もっと見直されていいと思います。
 お御堂での姿は、まぁ「年度最初だからね」ということで割愛します。けれど「子どもが飽きる前に終わる」ことはできたと思っています。「お御堂、怖くないよ!園長先生のお話、短くて面白かったよ!」という感想を持って貰うのが第一です…「ありがたいお話」はその後。「聞く耳を育てたから、聞かせたい話をする」を原則に、これからも行きたいと思います。
 …園庭遊具の話は、またの機会で。

転がり続ける

4月 13th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 - (転がり続ける はコメントを受け付けていません。)
 金曜日から、年中さんの体操が始まりました。
 通常の自由遊びとは事なり、体操の時間は「ココの筋肉をこう使って、こんな能力を伸ばしたい」という目的が結構細分化され…というか明確です。それゆえ系統だった指導を行うことができます。
 年少さんの最初、マットでは「でんぐりがえし」をすることから始めます。私が子どもの頃は普通にやっていましたが、今はどうなのでしょう。パンダのシャンシャンもするのかしら…。
 でんぐり返しは、両腕で体重のかなりを支え、下半身が上がることで崩れるバランスを、腕の器用さなどで修正しながら行うものです。「力がある」だけでなく、「器用なコントロール」が必要です。
 なので、慣れていない子は横に転がったりします。「腕をつく」ことが意識敵にできれば、繰り返す中でまっすぐに転がれるようになります。もちろん、試行錯誤&回数が必要ですが…。腕で支えられるようになると、頭や首への負担が減っていくことも期待できますね。
 そうして、徐々に「でんぐり返しのバリエーション」が増えていきます。
 写真のような「おすわりでんぐり返し」、そして「走り前転」「台上前転」と…。いずれも「腕の力でなるべく頭を支える。左右に倒れないよう、腕の力でバランスを取る」という基本は同じです。
 年長組の体操参観で、あるいは小学校入学後のラックスポーツクラブで、凄い勢いで台上前転をしている子どもをご覧になることもあるかも知れません。けれど、出発点は「布団の上でのでんぐり返し」、写真の年中さんで「走り前転(マットを折った上で)」なのですがら、長い道のりといえばそうです。何年も、何回も何回も転がって、「いろんな運動をして、かつケガをしない」子に育っていくのだろうと思います。

どう育つのかな?

4月 12th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (どう育つのかな? はコメントを受け付けていません。)
 今日は年長さんが、ジャガイモを植えました。今の時期だと「もう終わりの方」ではあるのですが、お手伝いいただいた植木屋さんによると、「まぁ、7月には収穫できるんじゃないでしょうか」という事でした。
 他の作物と事なり、イモというのは地中にできますから、「都度々々、変化を見ていく」ことは難しそうです。もちろん上に茎が出て、葉も花もつくのですが、「水をやっていればよい」だけではないので、年長ならではの注意点があるようです。
 むしろ、「お水はどの程度やればいいでしょうか?」と(敢えて?)聞いてみたところ、「いや、水はやらなくていいですよ。水が多いと腐ってしまうし」とのこと。「どんなお世話があるのか、そして子ども達ができるのか」は、先生方も試行錯誤しながらの栽培となりそうです。
 畑は「自然に触れ、親しむ」という大きなテーマの活動なのですが、年齢なりに関わり方は変化していきます。年少さんであれば「観察し・触れる」程度ですけれど、年長さんになっていくに連れ、「どうしたらいいのだろう?」と目的意識を持って育てていくことになります。図鑑などで調べることもあるかも知れませんし、周りの大人に質問するかも知れません。
 「食べ物を得る」だけではない活動として食育があるわけですが、様々な「学びへのつながり」になってくれることを期待しています。  

場を知る・慣れる

4月 11th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (場を知る・慣れる はコメントを受け付けていません。)
 年少さん、今日はホールとお部屋で自由に遊びました。ホールには乗り物とアスレチック、お部屋には釣り堀とオママゴトが用意されていました。
 年少組の子どもにとって、「幼稚園が安心できる場所」であるか否かは大きな問題です。「見たことのある人・場所・物」を増やしていくことで、新しい環境や保護者の方が近くにいないという不安を和らげていこうということです。
 話は逸れますが、受験の時なども「早めに会場について、教室や廊下・トイレや建物の様子を見て”合格したら、ここで勉強するんだ”を想像してみましょう。そうすると緊張から解放されていきますよ」という話がありました。
 成人近い受験生ですらそうなのですから、「この場所知ってる・この先生知っている…」という安心感は、子どもにとって非常に大切だと考えているのです。「自由に過ごす」中では、私の手を引いてあちこち見て廻る子もいました。
 こちらで用意した遊びは全部、「一人でするものではない」ことが特徴です。道具や場所を共有している。数に限りがある。周りとコミュニケーションを取りながら、順番を替わったり進路を譲ったり、「他者との出会い」がたくさんある遊びを用意していたのです。
 しばらくの間、色んな「イザコザ」が起きるでしょう。環境…特に人的環境がが変わったことで、「今までのやり方だけでは上手くイカン!」という問題意識で、いろんな試行錯誤が始まると思います。お家でもお話してくれるかとは思いますが、小さい子ですから、「なるほど。あなたから見ると、そうなのね」という間接話法(?)で聞いてあげて下さい。

やってあげるよ!

4月 10th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (やってあげるよ! はコメントを受け付けていません。)
 今日は、年長さん用の写真を撮りました。一年間見るものですから、先生方も趣向を凝らして撮影します。現物はクラス会でご覧いただきたいのですが、着替えての撮影でした。
 最初は大人が着替えと撮影(私です)を行っていたのですが、暫くすると、着替えをずっと見ている男の子がいました。私も去年の「ひなまつり写真」を思い出し、「手伝ってくれるかな?」と聞くと、嬉しそうに「うん!」
 思い通りにスイスイできる訳ではないのですが、「はい、おでこ押さえて〜」とか「頭入れてね〜」とか、何だかサマになっています。男女同時進行だったので結構忙しかったのですが、彼らのお陰でテンポ良く撮影が進みました。
 終わってからの先生の日誌でも、「2クラス共通で衣装を使うので、大人が慎重に着替え…と思っていたけれど、子ども達が意欲的に手伝ってくれて、それも活動の中だと思いました。終わって”フゥー”とソファに腰掛けた姿も、本当に一仕事終えた感じでした」というような記述がありました。
 今日の「そもそもの」活動は「写真撮影」です。しかし、その過程で子どもの気持ちに気付き、こども達が関わり、遊びを作り出している姿を認め、保育に取り入れていく感性は、園長としても大切にしていきたいものです。
 きっと、今までお母さんに着替えを手伝って貰った経験があって、それが嬉しかったのだろうな、着にくくて苦労している友だちの姿を理解して、「手伝うよ!」という気持ちになったんだな、そんな風に感じて、こちらも笑顔での撮影となりました。