明照幼稚園

卒園式だ おめでとう

3月 20th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (卒園式だ おめでとう はコメントを受け付けていません。)
 今日は卒園式。雨のうえに何だか寒いですけれど、園内は暖かい雰囲気と空気が流れていました。
 朝のお御堂参りでは、保護者の方と一緒にお祈りをしてもらいました。「明るく・正しく・仲良く」の話をして、「What何をするか?よりも、Howどのようにするか?が大切なんですね」ということをお伝えしました…大人の方には。
 それがあってか、式でのお話も、坊さんっぽい匂いがしたかと思います。「仲良くっていうのは、だれか一人が言い出したら残りは異を唱えないという事ではないよ。せめぎ合って・折り合って・一緒にやっていくことだよ」という話をしました。「きっと、君たちの担任の先生がやってきたようにね」…そして、君たちのご両親もね。
 そして、これまた以前どこかで書いた覚えがあるのですが、「私達が協力しなければならないのは、自然の力に対応するため」という話しもしました。実際具体的には「他の動物に対抗する」という事だったのだろうとは思うのですが、この日本の特殊性として「自然の豊かさと、その裏返しとしての自然災害」の話もしました。「イザという時こそ、力を合わせるんだよ」と。今年卒園の子は、もう震災後の生まれです。経験としてはなくても、自然の力については、「知っている私達」が伝えていかなければならないのだと思います。
 手放しの「おめでとう」を言っても良い日なのだろうとは思うのですが、老婆心だか何だか、「幸せになるために知っておくべきこと」であろうと思い、話させて頂きました。
 私は現在、主に3つの「現場」があるのだろうと認識しています。一つは幼稚園。一つはネット。一つはお寺。実はこれら、出会う人たち年代が異なるのです。かつ、あまり重ならない。それらを行ったり来たりしながら、色んな人と話をしていることが、今の私の強みではないかと考えています。年代によって考え方に開きのある分野もある。年代によらず共通した価値観もある。ある方向に向かって、人の価値観が変わりつつあることも感じる。いろんなことを考え・感じながら、これからも柔軟に幼稚園を運営していこうと思います。  子ども達、卒園おめでとう。保護者の皆様、ありがとうございました。みんなが幸せになりますように。

年度終わりの終業式

3月 19th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (年度終わりの終業式 はコメントを受け付けていません。)
 今日は3学期の終業式。小学校でも既に終業式・卒業式を終えた所もあるそうですけれど、本日をもって年度は終了となります。
 「1月から始まった学期の終わりであると共に、年度の終わりでもあります。だから、今度みんなで集まる時は、それぞれ学年があがっています」というお話をしました。幼稚園での1年間は大きくて、「3歳で入園して4歳になっている」は、すでに「1.33倍」ですから各々いろんな成長をとげています。いろんなドラマを経て…。
 「そして、年長さんは幼稚園から小学校へ行きます」というお話で、「服のたとえ」をお話しました。「みんなにとって、"幼稚園”という服が今はピッタリだけれど、もうお兄さん・お姉さんたちには窮屈になってきたんだね。だから、これからはもっと広い世界・広い社会へ行くんだよ」という趣旨のお話です(いつだったかの明照新聞に書きました)。
 そうして、一曲ずつ披露して終わっていくのですが、年長さんが歌うときって、みんな決まって注視するのです。前から写真を撮っても、殆ど全員が後ろを向いている(笑)。それだけの…周りの注目を集めるほどの力がある歌を、歌う事ができるのですね。
 最後には園歌。「幼稚園の(関係ある)全員が、必ず一緒にうたえる」というのは、考えてみればありがたい事です。「みんなの言葉が違ってしまったので、バベルの塔が建てられなくなった(違いましたっけ?)」の反対で、「みんな同じ言葉・同じストーリーを共有している」のは誠に幸せなことです。3月になって、自分の出身高校(今は息子が通っています)の校歌とか、娘の校歌(長女と合わせて12年でした)とか「出席者全員で一つの歌をうたう」機会が多いのですが、その度に何ともジーンときます。

 一緒に歌える歌があるって、いいですね!

本物を使う。

3月 18th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (本物を使う。 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お荷物整理」…大掃除の日でした。三学期ですので、子ども達もかなり慣れていて、要領よく進めている姿が見られました。そして、繰り返してきた事によって、「目が良くなっている」のですね。多分最初には気付かなかった場所について、「ここも綺麗にする!」と、張り切って雑巾掛けをしている姿もありました。
 確かに、子ども達が「身に付ける」ための手段は「繰り返し」です。「折紙製作」などでも「2つ折る」ことが多いのですが、「最初の一個は苦労しても、2個目はかなり自信を持ってできる」という姿をよく見ます。大人から見ると「2回目で、もう自信満々なの?」と言いたくなるかも知れませんが、「もう知ってるもん!やったことあるし!」と積極的に関わっていけるのは、子どものよい性質だと思います。「絵を見せに来た対応としては、”また描きたいな”と思って帰らせることができれば、まずはオッケー」というのにも通じています。  そんな事で、「以前はここ、気付いていなかったな…」を掃除している姿もまた、成長の一つと捉えられます。
 また、掃除道具というのは基本的に「全部が本物」です。当たり前と感じるでしょうけれど、「子どもには使わせられない(使わせたくない)道具」というのも結構あるなかで、大概の掃除道具は「大人と同じものを使える!」筈です。その辺りも、きっと楽しいのだろうな…「大人と同じようにできる」ことって、きっと嬉しいだろうな…と思いました。
 ともあれ、先生方は「この場所は道具は、次に来る、新しい”○○ぐみさん”が気持ち良く使えるように、綺麗にしようね」と働きかけていました。どれだけ実感を持って受け止めたかは分かりませんが、「片付ける・掃除する」は未来志向であることは、いつか気付いて欲しいと思います。

一緒に泥まみれ

3月 15th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (一緒に泥まみれ はコメントを受け付けていません。)
 日射しが春めいてきたことに合わせて、子ども達の遊びも少しずつ変化してきたようです。今日は、年長さんと年中さんが砂場で…裸足で遊んでいました。「足湯気持ちいい〜」と言っていたので、「足湯ごっこ」ということですね(文字通り)。
 まぁ、砂場ですので実際は「名のない遊び」で充分楽しいと思うのですが、名前が付くと伝播が早いですね。あっという間に子ども達が集まって来ました。早速靴と靴下を脱いで入湯?入泥?です。ウチらしいと思うのは、「脱いだ靴を並べている」ところですね。ワクワクして飛び込んだのでしょうけれど、靴の後始末はしっかりしているのでした。
 「足に傷のある子はいないかな」とか若干の心配はあったのですが、「これも子どもたちなりの、春の迎え方だな」と、微笑ましく見ておりました。
 そして、今日は卒園式の総練習を行ったのですが、そこに出てくるのですね、「みんなで一緒に、砂場で遊んだ」という歌が。「一緒」というのがどの程度なのか、どの季節なのか、何をしたのか。いずれも具体的に語られてはいませんが、ここ数日の様子は、まさに「歌詞に出てくるまま」だと思いました。年長さんは、卒業すると不思議なほどにパタッと動きが変わります。「今日のメンバーで今日の遊び」は本当に一期一会。「泥まみれ」が思い出の一コマになってくれたら、嬉しいです。

同じ空の下

3月 12th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (同じ空の下 はコメントを受け付けていません。)
 今日は「お別れ園外保育」で飛鳥山公園へ行きました。例年よりは一週間遅くし、「暖かくなってきました」という言葉が実感できるようなお天気。朝は風がありましたが、日射しがあって「焼けたわね」と言われる(園長)ほど…。
 普段の通園より距離はありますが、現地に着いてしまったら、もう楽しむしかありません。「なるべく遊ぶ時間を多く取るためには?」とスケジューリングし、遊べる道具も準備して行きました。
 現場が広いので、私はあちこち移動しながら様子を見ていました。年長組さん、「じゃんけんベースボール」で大盛り上がりでしたね。お母さん方も本気でやってくださって、親子共にたいへん嬉しそうでした。年少さん・年中さんも「お母さんと一緒」って、もう100%嬉しい事なのですね。
 そして最後は、「お別れ園外」ならではの「アーチ」です。入口の年少さんのアーチをくぐる時には四つん這いになった子もいましたが、最後の出口ではもう、「飛び出してくる」という感じでした。あのトンネルにはいろんな譬えが思いつくのですが、「3年間は短いようだけれど、これだけ大きくなった」を実感できるものとして、とても良いものと思います。壁となり通過していく子ども達へ何かの言葉をかけ見送る、在園児や大人にとっても。
 「どんな意味があるのか・ここから何を学ぶのか」「何と似ているのか・どこが違うのか」「どんな点で際立っているのか」と考える事は、多分人間特有のはたらきだろうと思います。それこそAIとかには苦手な。
 子ども達が、そして大人達がいつか今日を振り返り、「あのトンネルは何だったのか」「あの日、一緒に同じ空の下にいたのは何だったのか」を問い、自分なりの答えを手にしてくれたら嬉しいです。
 気をつけるべきは、「〜は何だったのか?」という問いを、「答えのないもの」として使ってしまう癖です。「どうして聞けないの!」「何度言ったら分かるの」等に通ずる、役立たずですよ。本気で意味を探すと、「自分なりの答え」が見えてくる。それが人間らしさ・自分らしさです。

本物の力

3月 5th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (本物の力 はコメントを受け付けていません。)
 本日は、4度目のコンサートを開催しました。ピアノの中村和枝さんと、トロンボーンの村田厚生さんです。
 このお二方のご縁は、2015年の時に書かせて頂きましたが、それ以来のご縁をいただき、お忙しい中幼稚園での演奏を続けて下さっています。
 私の子ども時代はカセットテープ、そしてCDから現在は音楽配信の時代になりましたが、「本物に触れる」のはいいなぁ、と改めて思いました。
 ピアノは演奏しながら移動するのが難しいのですが、トロンボーンと、それからアルペンホルンは動きながら演奏して下さいました。なので、「ここから音が出てる!」というのが非常によく分かって、覗き込んでいる子がたくさんいたのは微笑ましかったです。最初の入場から、子どもの心をガッチリつかみ、あっという間の40分、楽しいコンサートを聴かせて下さいました。子どもはきっとリラックスしてお二方を迎えたのですが、「コンサートでのマナーを教えようか、思い切り楽しませようか」と私が迷っていた部分もあり、子どもの自然な動きを制限してしまったことを、少し後悔しています。
 現在、当日の音と映像を編集中です。完成しましたら、改めて連絡網等で御案内すると思いますので、どうぞお楽しみに。

よく見る、って?

3月 1st, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (よく見る、って? はコメントを受け付けていません。)
 今日は「ひなまつりの集い」。3日が土曜日ですので、これまた繰り上げての開催でした。現代はスペースの関係もあってか、なかなか大がかりにするのは難しいでしょうけれど、幼稚園では「なるべく簡略化せず」に行いたいと考えています。
 私からは「人形=ひとがた」の話と、「人が育ち、幸せになるためには多くの人の手が必要」ということを話しました。身の回りのお世話、楽しませてくれること、外敵から守ってくれる人、環境を整える人、そして多くの道具たち。スタイルは古いですが、「多くの人たちとの関わりで育っていく」というのは、昔も今も変わらないと思います。
 さて、司会の先生は具体的な物事について…菱餅の色について話してくれました。それぞれを着色する木の実まで紹介し、「健康に育つように、という願いで使っているんだね」とお話してくれました。
 ただ「色が柔らかくて、きれいだね」で済ませることもできるでしょう。けれど、「どうなっているんだろう?」「どうしてなんだろう?」を関心を持ってみると、意外としっかりした意味が見つかったりします。
 仏教では「正しく見る」ということを「修行の目的」…しかも、かなり高いレベルの…にしています。「お覚りをひらくための、8つの正しい行い」のトップに出てくるのですが、実はそれは初歩ではなく到達点。「自分が正しく物事を見られる」自体が、お覚りにかなり近づいているというのです。
 「物事をありのままに見る」と言っても、人間は自分の目で見るよりありません。そして、視覚とか聴覚は、案外当てにならないのです(錯覚、とかありますよね。これもよく調べてみると非常に興味深いです)。「物事をどう見ているか」、つまり「その人の価値観」が、その人の個性や価値を決めると言ったら大袈裟でしょうか。

 …けれど、ジェダイの騎士も言っています。「君のものの見方が、君の真実を決定づけるんだ」と。