明照幼稚園

お参りすること

1月 31st, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (お参りすること はコメントを受け付けていません。)
 引き続き「やもりん」ばなしです。
 早速お参りに行く、というので私も付いて行きました。お墓は、普段「立ち入り禁止ゾーン」…というか子どもが自ら足を運ぶ場所ではありませんので、そこでどんなことを感じるのかな?について、興味もありました。
 入るとすぐに、指を口にあてて「シー」としています。やはり「特別な場所」という感じがあるのでしょうね。そして霜柱(今朝も大量です)をザクザク踏みながら歩いて行きます。子ども達が選んだのは、大きな桜の根元でした。
 「ああ、これは桜の木だね」と言うと、「今は花がないけどね」「やもりんの木っていう名前にしよう」…いろんな思いが沸いてくる様子でした。
 そしてみんなで手を合わせて、お祈りしました。「今日も私達みんな、楽しく過ごせますように」と。暫くして、担任の先生が言いました「さぁ、今日も一日元気に行こう!」。「おー!」という感じでみんな戻っていきました。
何かの光景に似ている…

「これは、朝、お仏壇にお参りして出かけるのと、同じではないか?」

笑い事じゃありません。先生も子ども達も、まったく自然にそうなっていました。みんなで気持ちを一つにし、お参りして、気持ちを切り替えるきっかけにする。まさしく、「朝のお参り」にはそのような働きがあるのです。
 現代は「思い通りになることが増えた」ゆえに「気持ちの切り替え、諦め」が付きにくくなっており、それゆえ苦しんでいる人が多いと感じます。。けれど、昔の人だって、やはり何らかの手段で気持ちを切り替えていたのではないかと思います。その一つとして、「朝、お仏壇にお参りしてから出かける」があると思うのです。

やもりんの死

1月 30th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (やもりんの死 はコメントを受け付けていません。)
 多分はじめてではないでしょうか、タイトルに「死」という字を入れたのは。園長としては、一面辛い事でもあり、また他の一面では「ついにその機会が来たか」という思いでもあります。
 年長さんがクラスの一員として育てていた、「やもりん」が死んでしまいました。先週は寒かったこともあり、いくつかの条件が重なってしまったようで、気がついたら既に事切れていたそうです。
 子ども達も、先生も結構がっくり来ている様子でした。みんなでエサを探し、飼い方の注意を調べ、じっくり観察させて貰い…お揃いの名札も作ってありました。
 お寺のお墓に場所を決めて、みんなで埋葬しました。「この木の所だから、いつでも分かるね」「毎日、手を合わせに行こう」ということになっているんだそうです。
 ああ、本当に「クラスの一員」のように考えていたんだな…。一生懸命心配し、お世話したけれどもダメだったんだ。みんなでその現実を受け入れたのだな。とても価値ある経験をしたと思います。

 明照幼稚園が根っこに持っている「仏教の教え」は、「自然の仕組みやことわりを知り、それに対して素直であれ」、と言っているように思います。この世には、いくつもの「苦しみ」=「思い通りにならないこと」があります。もちろん、思い通りになる事も、少しはある(勉強すれば試験の得点が上がりやすい、とか)。どうも西洋文明は、この「思い通りになる」ことを至上の価値として、「そうでないこと」に対して素直で…謙虚でいられないように見受けられます。

 思い通りにならないことは、ある。けれど、それを受け止めることはできる。その懐はある。

単純ではありませんね。もちろん、最初から全てを諦める必要はありません。
 多分仏教とは、「思い通りにならないことを、それとして潔く受け止める。そして、自分が何とかできる事について、注力せよ」という教えではないかと思います。
 いつかも紹介したかも知れませんが、改めて「ニーバーの祈り」を紹介します。

神よ、
我に
変えられるものを変える勇気と、
変えられないものを受け入れる心の静けさと、
変えられるものと変えられないものを見分ける知恵を
お与えください

ま、仏教では「神に与えられなくとも、正しい行いと修行をしていれば、身につきますよ」と言っていますけれど。それはイコール「お覚り」でいいんじゃないかと。

不審者訓練

1月 25th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (不審者訓練 はコメントを受け付けていません。)
 今日は、不審者対応の避難訓練を行いました。避難訓練は何度か行ってきましたが、年度末になって、また不審者対応自体も何度か行ってきて、ようやく「幼稚園としてはこの形かな…」と思えるものになったかと思います。
 発生…発令ではなく発生時刻については、「だいたい、この辺り」とだけ決めておきます。年度頭書であれば身構えてからスタートするのですが、多少は「リアル」に近づけ、発生時刻はアバウトにします。
 以前は舞台で捕り物をしたこともあるのですが、人材的にも、ショックの大きさ的にも過大かと考え、「一人芝居」のような始まりとしました。実際の行動は、「不審者である」と判断して笛を吹いてからです。
 笛を聞いた先生は、まず「何が起きているか」把握しなくてはなりません。そして「知らせる」。今回は「不審者のようです」という内容の暗号で、園内に放送を入れました。その先生にしても焦るのでしょうね、一言だけ放送が流れました。
 それを聞いて、各担任は子どもの安全確保、余力があれば外部連絡と状況把握、さすまたによる対象者確保…と、目まぐるしく頭を回転させて対応していきました。
 暫く時間が経って、「決着した」とのストーリーによりホールへ集合。私から訓練のお話をいたしました。子ども達は、まったくお喋りすることなく、きちんと話を聞いてくれました。普段はスイスイと近寄ってくる子どもも、何だか神妙な顔でした。ちゃんと雰囲気を感じていますね。
 ということで、「実際に不審者を目にした」訳ではありませんが、「もしも」の対応としては必要な事をできたと思っています。
 子どもとの訓練は終わりましたが、今後も職員の中では「こんなケースはどうしよう、この場合は何を優先するか」など、話し合いを続けていきたいと思います。

自然のめぐみ

1月 24th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (自然のめぐみ はコメントを受け付けていません。)
 過日のこととなってしまいましたが、東京でも2年振りの積雪ということで、登園時間の変更につきましては、ご対応いただきありがとうございました。
 形通りの対応では「警報が解除だったら通常通り」となるのですが、今までの経験を踏まえ、「遅れての登園」としました。道がぬかるんだり、自転車が使えなかったりという不便はあったかと思いますが、概ねみなさん登園することができ、安心しました。思わず「大変な中、よく来てくれたね」と子ども達に声を掛けました。
 各クラス、明るい日射しの下で、雪と遊ぶことができたようです。朝は朝なりの、午後は午後なりの…それぞれの状態に合わせて…遊んでいました。
 朝は雪合戦や雪だるま。昼からはかまくら…といった感じです。程よい寒さのおかげで、溶けてベチャベチャになってしまうこともなく、まさに「満喫」という感じでした。年少さんは「部屋に戻って床暖房で暖まりました」とのこと…微笑ましい姿ですね。
 考えてみれば、雪も「自然からのめぐみ」です。「外に落ちている」…誰かの所有物でもなく、扱い方が決まっていないもの。それは、どんぐりや石ころと同じ属性のものです。
 よく、農作物を「自然のめぐみ」と呼んだりしますが、実際には「農家さんの手が入っている」ことが多く、「沢山の人の力があって手に入るもの」という、「周りの人に感謝しましょう」という色もついているように感じます。まぁ、子どもからは「自生している木の実」と「畑で寝かせている長ネギ」の、属性の違いなんて分かりませんけれど。
 おっと脱線してしまいました。ともあれ、「自然のめぐみ」は子どもにこそ相応しいものだと思います、前記の属性によって。そして、その「自由さ」が遊びにつながり、創造力につながり、将来を切り開く力に繋がる…かと思うと、

多少寒くても、雪で遊ばせてあげよう

という気になります。

迷った時には

1月 20th, 2018 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (迷った時には はコメントを受け付けていません。)
 今日は12月・1月生まれのお誕生日会でした。司会の先生も話していましたが、ちょうど「大寒」にあたり、「来週には雪が降るかも知れませんね」などとお話していました。
 私からは「赤ちゃんが笑うようになる(学習の)しくみ」をお話しました…と言っても、「周りが笑顔で赤ちゃんを囲むことで、自分から笑顔を作れるようになります。周りの笑顔があるから、赤ちゃんも笑顔を出すのです」という、まさに「学習」について。「子ども達が身に付けている笑顔は、親御さんはじめ周りのみなさんから頂いたのですよ(周りから貰えなかったら、笑顔を出すようになりません)」という話でした。
 年度も終わりが見えてきて、子ども達もすっかり幼稚園生活に慣れた様子。年少さんの「3クラス合同」も、楽しんでいる姿が見られました。子ども達が育っていくのは、本当に嬉しいものです。
 そして、今日お配りした「お誕生日会参加おまけ」は、軽い話ではありませんが、厳選してのものでありました。

結果が読めない時には、筋を通しておくことが、未来の自分を支えてくれることになるだろう

というものなのですが、最近とっても思い当たるのです。特にお坊さんとして人様にお話する時や、いろんな原稿を書くときなど。「自分、本当にこれを実践しているのか?」「イザという時にできるのか?」という不安を感じるのです。
 だからやっぱり、「日々の積み重ねなのだろう」と思うのです。「イザ」という時に自然と出るほどに自分を慣れさせる。いちいち「万が一の時に慌てないように」とか思考しないでも、反射的に行動できるほどに。
 「結果が読めない時には」と言っても、それは実際「未来すべて」でしょうよ。不安でビクビクしているときこそ、昔から言われていることや原則を貫く。不安な心に判断させてオロオロするより、よっぽど爽やかに生きられるような気がします。
 去年生まれた子が成人の時、私はすでに70歳。一人前になるまで、ちゃんと支えてあげられるだろうか。私はどこまで見届けられるのだろう。抱っこして安心しきった寝顔を見る度、そんな思いに駆られています。

楽しんでもらいたい

1月 18th, 2018 | Posted by Sato in 行事 - (楽しんでもらいたい はコメントを受け付けていません。)
 今日は、尚美ミュージックカレッジから、学生さんの「卒業制作」ということで、「うたのコンサート」公演を行ってもらいました。幼稚園としても初めてのオファーを受けた訳ですが、なかなか不思議なご縁からでした。詳しくは割愛しますが、「自分たちの作品を発表する場」として、探し・交渉し・リハーサルして当日に臨んできました。ちょうど二十歳位でしょうか。その年齢なら私も学生でしたが、そんな行動力はなかったと思います(もっと内向きのことばかりしていました)。
 イマドキの若者が幼稚園児と触れ合う機会は、そう多くないのだろうと思います。妹・弟にしても小さすぎて(笑)。どんな反応をするのか?どの程度なら子どもができるのか?どうしたら目を引けるか?騒ぎ出したらどうしよう…。きっと、いろいろ考えて検討しつつ、「おかあさんと一緒」とか見ながら研究してきたのだろうと思います。
 私から見ると「あー、もう少しこのネタで引っ張ってもいいのではないかな?」という部分もあったのですが、子ども達にとっては新鮮で楽しかったようです。一回こっきりの本番。「今日このために!」という意気込みと、「人々を楽しませる」という目標を持って(大袈裟?)演じている彼らは、何だか輝いていました。
 聞いてみると、彼らは「音響・映像学科」だそうで、つまり表舞台に立つべく学んでいるのではないようです。どちらかというと機械相手なのかな…と思ったのですが、「であるからこそ、お客さんと直接触れ合う」のは良い経験になったと思います。
 私も子ども達の前に初めて立った時は、ものすごく緊張しました。「げんこつ山のタヌキさん」しか持ちネタはなく、でも懸命にやっていたのを今でも覚えています。
 彼らが将来どんな道に進むのか分かりませんが、今日のことをひとつの原点のようにしてくれたら、ありがたいと思います。幸い、春日駅あたりに学校があるのですから、道すがらにすれ違うこともあるかも知れませんよ。けれど気をつけていないと分からないかも知れません。普段は動物の格好ではないでしょうから。

座れるんだ!

1月 16th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (座れるんだ! はコメントを受け付けていません。)
 珍しくも、二日続けてお御堂の記事です。今日は、たんぽぽぐみさんと年長組(つきぐみ)が一緒にお御堂へお参りしました。たんぽぽさんにとっては探検というか初詣?でしたが…。
 写真では頭ばかりが写っていますが、よく見ると年長さんが小さい子に対して非常に気を遣って登っていることが分かります。自分たちはスイスイあがれますけれど、小さい子にとっては結構な段差。ちゃんとテンポを見守り、落ちないようにしっかり手を握っています。たんぽぽさんも、不安があるゆえか、掴まっている様子ですね。
 階段を登りきり、お御堂につきました。正面には仏様の大きな像。明らかに「日常とは異なる」雰囲気です。「初めてお御堂へ行ったら、怖くなって泣いてしまう子もいるかも知れない」と心配していた年長さんでしたが、どうやらそれはありませんでした。
 さて、本堂では正座です。自分たちはすぐにできるのですが、「この子、できるのかな?どうやって教えたらいいのかな?」と、すぐに考えを巡らせたようです。そして見てみると…「座れるんだ!」
 それを見つけた時、お兄さんの顔には驚きと安堵の表情が浮かんでいました。私を見て、嬉しそうな目線を送ってくれました。
 ああ、こんなにも小さな子へ思いを寄せられるのだ。いつの間に、誰から学んだのかは分からないけれど、「それをするのが自然・当然」と、面倒を見てあげられる。このような姿を「立派な年長さん」と呼ぶのだろうなと思いました。
 家庭に戻れば妹・弟かも知れない。一人っ子かも知れない。けれど、幼稚園という空間では年長者としての振る舞いができる。下の子の思いをくみ取り、自然に手助けできる。「平和とは、これだな」。私の嘘偽りのない感想です。

鴨とアヒルと白鳥と

1月 15th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (鴨とアヒルと白鳥と はコメントを受け付けていません。)
 今日は三学期初めてのお御堂参りでした。先週末の先生方の日誌に「休み明けゆえか、まだ落ち着いていない様子が見られる」とあったので、いっその事「ハッキリと笑える話」を探していました。
 で、見つけたのが「鴨とり権兵衛」です。飛んだり落ちたり、自分の意思ではなく「大きな力」に触れるとか、落っこちて尻餅をつくとか、やり取りの繰り返しがあって、「ハイ、ここ笑えますよ」が明確なのです。
 子ども達にとって「久しぶり」であった筈ですが、お祈りの姿も落ち着き、素話でも「笑う所は笑う、聞くところは聞く」というメリハリがしっかりできていました。本当のオチは「救助の布を持っていた四人が頭をぶつけてしまい、出た火花で火事になってしまいました」という、かなり大惨事の終了なのですが、「無事に着地でき、家に帰ることができました、メデタシメデタシ」でお話しました。それまでドスンドスンと尻餅だったのですから、無事に降りられてよかったね…と。
 さて、お話に先立ち、アヒルと鴨の写真を用意して、それぞれを見て貰いました。実際のところ、両者は同じカモ科に属していて、よく似ているのです(アヒルはカモを家畜化したもの)。
 「色がちがう!」「模様が違う!」…はい、それで殆どオッケーです。アヒルは家畜化の過程で羽が短くなり、殆ど飛べないそうですが…。
 次に、「白鳥も白いでしょう。どんなところがアヒルと違うかな?」と問うてみました。すると流石の年長さん、「足がちがう」「首が長い」などの特徴を、見事捉えて発表してくれました。それを受けて(?)、「背が高い」と年中さんからも発言が。パッとイメージが浮かんだのでしょうか。
 ともあれ、「よく見る、じっくり細部を見る」ということは科学の心の芽生え。「間違い探し」ではありませんが、きっと子どもの発達に合った行動なのだろうと思いました。

新学期、始まりました

1月 9th, 2018 | Posted by Sato in 日々の姿 - (新学期、始まりました はコメントを受け付けていません。)
 今日から新学期が始まりました。銀杏の葉っぱもすっかりなくなり、清々しい空…はちょっと見えませんでしたが、子ども達の元気な声が響く、いつもの幼稚園が戻ってきました。
 冬休みというと、普段とは異なる経験をしてきた話が多いのですが、園長は「お料理」頑張ってきましたよ。
 近隣のスーパーは大概行きましたので、それぞれの傾向というか雰囲気もよく分かりました。品揃えとかお値段とか(マグロって高いのですね…)、レジのやり方とか色々異なるのですね。
 そこで気付いたのが、「冬が旬の魚は多くない」ということで、鮭は通年あるとしても、鰤と鱈が殆どであり、お陰様で鰤の扱い(要するに下処理)は随分できるようになりました。本当は「捌けますよ」まで行かれたらカッコイイのですが…。
 というのはともかく、子ども達は随分いろんな場所へ行き、いろんな体験をしてきたようです。お正月ならではの食べ物や遊びも。いつも思う事なのですが、「昔からある定番の遊び」は、廃れることなく続いてきただけの面白さを持っていますね。今年は行かれなかったのですが、凧揚げは今でも熱くなります(葛西臨海公園がおすすめです)。
 さて、子ども達にはそれぞれ「冬休みの思い出」を語ってもらいました。「3学期には、お遊戯会があります。この舞台にあがって、たくさんのお客さんが見に来て下さいますよ」とお話した、その舞台(前)です。結構な緊張感だろうな…と想像していたのですが、みなハキハキと答えてくれました。
「特急しおさいに乗りました」「新幹線、好きだものね」「新幹線だけじゃないよ、みんな好きなの」と、司会の先生との会話も楽しんでいました。
 全員の話を聞くことはできないのですが、「これが思い出だよ!これが面白かったよ!」を勢いよく話せるというのは、幸せなことだと思います。周りから見てどうこう、比べてどうこうではない、「とにかく私にとっては!」を得られた冬休み。子どもと一緒の旅行は気を遣うこともありますが、楽しく過ごしていただいたようで、園としてもありがたい思いです。短い学期ではありますが、どうぞ宜しくお願い致します。