明照幼稚園

同じ話を

9月 25th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | - (同じ話を はコメントを受け付けていません。)

いもとようこ「さるじぞう」より

 お彼岸の中日(秋分の日)を越えて今日はお天気もよく、子ども達も気持ち良く登園してきたのではないかと思います。週末は、(土曜日に重なった故でしょうが)「運動会が延期になった」小学生達が、お昼頃から結構遊びに来ていました。「あらあら、お墓参りには行かないの?」という感じなのですが、どうも東京に限った話ではなく、地方でも「土曜日に運動会を予定していたが、順延になった」との話も聞きました。「国民の祝日」に行事を宛てるのって、どうなんでしょうか…?
 さて今日はお御堂参り。「さる地蔵」として紹介されていた昔話をしました。
 サルたちからお地蔵さんだと勘違いされたお爺さん。サルの里へ運ばれていきます。途中で川を越えるのですが、その時のかけ声が楽しいのです。「お猿のお尻は濡らしても お地蔵さんは濡らすなよ お猿のおへそは濡らしても お地蔵さんは濡らすなよ」。何とものどかな物なのですが、子ども達は(伝統的に)この部分が好きです。歌詞にしても調子にしても。
 前の園長が好きで、よく話していました。山場に差し掛かると、「どう?面白いでしょう?」と、まさに子どものような顔でニコッと笑います。それに連れて笑い出す子も多かったです。(…ちなみに前園長、元気にしていますよ。)そう言えば、私の今の節も、彼のものと同じ。これだけ変化の激しい時代に変わらず通用しているのですから、かなり普遍的なものなのだろうと思います。
 もしもお家で子ども達がやり始めたら、理事長の笑顔から始まっているんだな…と見てやって下さい。

続イベントデザイン

9月 21st, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (続イベントデザイン はコメントを受け付けていません。)
 先生方の「おかいものごっこ」への会議、再び開かれました。前回では大筋が決まったものの、具体的な事柄が未定だったのです。
 「ねらい」と「概要」をベースに意見の出し合いが始まります。「まず、デザインの項目をハッキリしましょう。①場と時間、②コミュニケーションの形、③物の扱いについて、でいいですか?」おお、なかなかスマートな進め方です。いろんな事についてワイワイ話していくなかで自然とまとまることも多いのですが、項目が明確だと、「一カ所決まるとドミノ倒し」で決めやすいのです。いつの間に会議のやり方を身に付けたのか…。感心して聞いていました。
 一カ所が決まると、それを起点にいろんな意見が出てきます。「じゃ、こういう可能性もあるよね」とか多少のオーバーランもありますが、聞いていても想像しても楽しい話。それぞれの経験をもちより、細部が詰められていきました。
 結果、具体的なことが決まりました!。例年とはかなり異なった形と位置づけになります。もちろん初の試みですから、いろんな問題点が発生するかも知れませんが、とにかくみんなでワクワクしています。学年だよりなどでもお知らせするかと思いますが、どうぞお楽しみに。

練習が始まりました

9月 20th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (練習が始まりました はコメントを受け付けていません。)
 運動会に向けての練習が始まりました。年長さんも年中さんも園庭での練習を行っています。幸いお天気もよく、水分補給と休憩には気を配りながら、動きを確認しつつ踊っていました。
 各学年の「お遊戯」には、それぞれ(例年あまり変わらない)テーマがあります。年少組さんは「とにかくみんなで踊る」、年中さんは「左右も意識しながら、自分で踊りを覚える」、年長さんは「隊形移動をしながら踊る」という感じです。隊形移動の難易度もいろいろあるのですが、「先頭さんについていく」という列の一員としての側面と、「一人一人が止まるべき所で止まる」という2種類の「判断」を伴います。先頭さんは大概、明確な目印に向かえば良いのですが、それ以外の子は「ここで止まる」という判断を各自で行わなければなりません。
 いまのところ、それぞれの踊り(体の動き)を中心に練習していますが、いずれは「全体としての動き」を意識した行動が求められます。その辺り、「一人一人の視野」と「別の視点から見た自分達」ということになるので、得手不得手があるようです。「こればっかりは、ワイドでビデオを撮ってあげて欲しいなぁ」と思う事もあります。

九月の入口

9月 14th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (九月の入口 はコメントを受け付けていません。)
 今日は年少組で絵画指導、年中組では壁面制作と運動会練習、年長組は運動会にむけてタイム計測などを行っています。
 さて、幼稚園の玄関には絵を掛けていますが、年間3〜4回は入替を心掛けています(と、掛けてみました)。今は「ボタニカルアート」の「桐」と、宇宙写真「アルマ望遠鏡」です。
 桐は、箪笥の材料にすることから、「女の子が生まれたら桐を植える。それが育って、お嫁に行く時には持って行く」という風習があった…今でもあるそうです。
 子どもと一緒に、桐の木も育つ。時期になれば箪笥の材料として、嫁入り道具に持たせる。共に時間と手間と気持ちをかけて育つもの。微笑ましい…という言葉では測れない、深い愛情があるのですね。
 そう言えば、私の長女が生まれた時には「誕生記念樹」を区からいただきました。園内に今でも植わっています。

 もう一点は宇宙の写真。天の川です。夏休みに、もしかしたら夜空の星を眺めた子もいるかも知れない、見たことのない子もいるかも知れない。そう思って掲げました。「日本の家庭には、科学についての本が少ない」という、何時かP連の講演会で聞いたことも思い出します。
 こちらは「アルマ望遠鏡」と言い、チリの砂漠に設置されているのだそうです。男子目線だと望遠鏡もカッコイイのですが、「あんな空が今でも自分の頭上に広がっている」と見せてくれる。あの星一つ一つが太陽のようなもので、そこには地球のような惑星のある可能性はある。知らないだけ、見たことないだけ。宇宙はロマンではありませんが、何とも言えず畏れるべきことだと感じます。

始める前から遊んでる

9月 13th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (始める前から遊んでる はコメントを受け付けていません。)
 今日はお天気もよくなり、園庭で遊ぶ子の姿がたくさん見られました。「残暑」というのも少し違う気がしますけれど…。
 年中組さんが玄関前で集まって、何やら相談事?していました。決して揉めている訳ではなさそうですが、近づいてみると、どうやら「鬼を決めるプロセスをどうするか決めている」らしいです。遊びが始まる前の段階で、既にいろんなやり取りをしているのですね。
 先生もその辺りはよく心得ていて、笑いながら「もう5分もやってるんですよ」と。「先生!さっき3人で決めようって言ったのに、そうじゃなくなってる!」「はいはい、どうしたの」という感じで。
 名前の明確についた「○○おに」といった遊びではないのでしょうけれど、こうした「物事を決める」リアルな体験もまた,幼稚園では「遊び」と捉えてよいのだろうと思います。試行錯誤ですから。

「敬」老について。

9月 12th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (「敬」老について。 はコメントを受け付けていません。)
 昨日発行の「幼稚園だより」でもふれ、各学年の「今月のお約束」でも取り上げている「敬老」という態度、あるいは思考・また運動について、ツラツラと考えてきました。
 まずは辞書的に引いてみましょう。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」と「国民の祝日に関する法律」にあります。もうズバリと。法律で決まってる。
 「だより」でも「父の日・母の日」や「お盆」との関連を探ろうとしていたのですが、これは決定的に異なるのですね。「社会につくしてきた」が決定的に違うのです。他は全部「家庭内・家族関係における」なのに、これだけが。
 まあ、「国が定める法律」だから当然と言えば当然のこと。家庭内のことに法律が踏み込むのは物凄く危険なことと考えられていますから、あくまで「社会との関わりにおいて」定めるのですね。
 そう、さっきの4つのうち、これだけが法律に規定されている(祝日)なのです。因みに父の日・母の日ともにアメリカ発祥。お盆は多分、中国の影響かと思います。7世紀初頭の話かと。「おっと…」と思い出すのは「こどもの日」。これは同じく「国民の祝日」ですね。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と規定されています(余談ですが、”母”だけでいいのかな…どこかから突かれないかな…心配です)。

 法律というのは「既にそれが実在し、そのことで社会の維持に困難を来す」ことの排除を狙う訳ですから、昭和20年代ですでに「お年寄りの扱い」について実際の問題があり、また問題意識があったことが覗えます。
 お御堂参りの参考にしようと思って昔話を引けば、「姥捨て山」ばかりがヒットする。「昔むかし、あるところにお爺さんとお婆さんがおりました」で始まる話は多いのですが、その必然性って、あまり高くないような気がするのです。「昔々、ある若い夫婦がおりました。旦那は山へ芝刈りに、妻は川へ洗濯に行きました」でも物語として成立する…「老人だから桃太郎に云々」はないのではないか?(笑)
 しかし「若い夫婦がおりました。仲良く幸せに暮らしておりました」では物語になりません。トリックスターも不思議な力も、お地蔵さんだって出る幕がない。「貧乏・年より」というのは、物語のための環境というか舞台になっている気がしてなりません。何とか太郎とか一休さんとかも似たような者。「社会のメインストリームで成功している人」は、伝記にはなるでしょうけれど昔話にはならなさそう(伝記の実態は、”若い頃の苦労話”でしょう)。
 老い、というのは仏教では「四苦八苦」の2番目ですから、相当根本的な「苦=思い通りにならないこと」です
。「そのことを知れ、身に付けろ。そこから”余計な想い”を捨ててゆくのだ」というのが多分(笑)仏教だと思います。
 ともあれ、無限に深掘りしてしまいそうなので、ここまでで。
 今日は年少さんの「敬老はがき」お手伝いで写真を撮りました。みんな幼さが抜けてきた感じです。

活気が戻りました

9月 7th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (活気が戻りました はコメントを受け付けていません。)
 いよいよ2学期が始まりました。先生方はもう始動していたのですが、子ども達が来ると、やはり活気が違います。一番早い子は、オープンの15分前?には玄関に並んでいましたもの。
 恒例の「夏休み、どんなことをしましたか?」は、今年もバリエーションに富んで面白かったです。温泉へ行った子、海へ行った子、沖縄、海外、京都…。まさしく「夏休みだから」経験できることを、たくさん味わったのだろうなと思います。
 気のせいか、今回は男子がお話しするケースが多かったように思います。小さい子は「手取り足取り」のように誘導してもらいつつ、年長さんになれば、皆の前といえど堂々と会話が成立している。一問一答ではなく、話が広がっていくのは、聞いている方もとても楽しかったです。
 「話したいことがあるよ!」というのは『5人のこえが聞こえたら』という絵本の最後だった…と記憶しているのですが、子どもが健全に育っている時に出る台詞なのかなー、と思います。そんな子たちが沢山、幼稚園に来てくれました。私は…関東圏からほぼ出ず(山形だけです)、hasunoha回答をしたりイワシ定食を食べたり、の夏休みでした。
 もう一枚の写真は、ご存じジャングルジムのふもとです。お天気が良くないのでちょっと不安ですが、どこまで伸びるか?子ども達がどう扱うか?楽しみです。

奇跡の合奏

9月 2nd, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (奇跡の合奏 はコメントを受け付けていません。)
 この投稿をしている日からは遡るのですが。
 28日(月)に、スズキメソードお茶の水センターの先生方・生徒さんがお越しになり、今年も「ミニコンサートと楽器体験」を行って頂きました。もう5・6年になるのかしら…。今年も沢山の方にお集まりいただき、楽しい時間を過ごすことができました。
 その中で特に私が印象的だったのが、「幼稚園の年長さんと、小学校6年生が一緒に演奏する」ということです。2月に私の出身高校ブラスバンド周年コンサートがあったのですが、そこでも「現役中学生とオッサン(私を含む)で1つの曲を演奏する」機会があったのですが、それに匹敵する成り立ち。
 普段は幼稚園と小学校へ通い、共通の話題も余りないかも知れませんが、一緒に演奏する場においては、大切で対等な仲間。どちらが欠けても成り立たない。まさに奇跡の姿でした。
 その後の楽器体験も大変な人気で、全部の楽器を制覇した子もいたようです。生の楽器、やっぱりいいなぁ。
…私もウクレレ練習頑張ろうっと。今は中島みゆきの「糸」を練習しています。