明照幼稚園

言葉で意識

6月 30th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 行事 - (言葉で意識 はコメントを受け付けていません。)
 今日は各学年の体操参観で、多くの方にお越しいただきました。ありがとうございます。
 もちろん「子ども達の様子を見る」ことで、「子ども達の育ちの価値観を共有」「成功体験と嬉しさの共有=応援」をはかり、子ども達のより力強い成長につなげていこう…というのが趣旨です(選挙っぽい口調になってる?)。
 私も、もう何年も見ているのですが、今日は「指導の先生から、親御さんへのメッセージ」だな…と思うような台詞がありました。
 この体操の成り立ち。目指していること。子ども達の気持ちを常に見ながら行っていること。運動のねらいと共に、その背景にあるストーリーを、たくさん話していらっしゃいました。
 ということは、特に年長さんにとっては「今後の子育て、体育で迷うことがあったら、この”原点”に立ち返って下さいね…」という意味なのかな、と感じたのです。
 もちろん、今後も引き続きご指導いただきたいと思っています(もしかしたら、毎年同じメッセージは発しておられた?)。けれども、「子どもの様子や願い」を言葉にして渡すことで、受け取った側も「同じ様子理解や願いを持つ」ことはできると思います。それはまるで…

 「信じられる嘘を共有したのが、サピエンスの強みである」(『サピエンス全史』園長のうろ覚え部分)のようです。

 ア…「嘘」というのは「仮説」程度に受け止めています。

遊びを作り出す

6月 29th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (遊びを作り出す はコメントを受け付けていません。)
 今日は、小石川植物園での園外保育。お陰様で曇り空だったので、何かにつけ都合がいいな…などと思っていたのですが、行って見たら結構な気温と湿度の高さで、大人たちも結構「疲れた〜」な一日ではありました。
 近年、利用に関して大学からの遵法化…というか「運動場ではありません!」に象徴される「お約束」が多くなって、幼児にとってはやや窮屈だと感じていたのですが、今回はその方針が少し変わったのか、とてもフレンドリーな職員さんが多く、園児たちもとても楽しめたようでした。
 以前はいろんな道具を持ち込んで遊んでいたりしたのですが、ほぼ全面禁止。「宝探しのような印をつけてもいけません」とのお達しがあり(ネイチャーゲーム、なのでしょう)、「とにかく観察イチバン」ということで、朝の集まりではそう行った話をして散策に出かけました。
 幼児はもちろん「見る」が大好きなのですが、あれだけ開放的な場所で、果たしてどうか…「大声を出さない」「走り回らない」を守りつつ、どう楽しむか?一抹の不安がなかったと言えば嘘になります。実際、他園の話を聞いても、「規制が強くて、ちょっと敬遠しちゃう…」という声を聞くほどなのです。
 しかし、戻って先生方の記録を見ると、子ども達はそんな中で「楽しみ」を見つけ、植物園を味わった姿が見えてきました。「いろんな形の木を見つけては、映画に出てきそうだと言っていたり、枝垂れの木を見て「雨みたいだね」とストーリーを楽しんだり、もちろん木の実を探したり、池の飛び石をドキドキ渡ったり…まさに自然をそのまま受け入れて、遊びを作り出していました。
 そうです。「おもちゃ」というのは「遊ぶための道具」ですが、それは誰かが「こうして遊ぶ」というデザインをして産み出されたもの。それはもちろん文化であり良いことなのですが、「本来、遊ぶためではない」物の中に遊びを見出す…というか作っていく力は、ぜひ育てたいものの一つなのです。オリジナルであるかは問いません。教えて貰ったものでも構いません。しかし、見立てとか空想とかを駆使し、遊びを見つけ出す力は、今後「世の中どうなるか分からない」現代にあって、とても求められる力なのではないでしょうか。
 戻ってから改めて思いました。「植物園のどこに、どんな物があって、子どもの遊びのネタとして使えそうなものはどれだろうか?それを私たちは充分調べてあったのか?」もちろん、その想定の外を行くのが子ども達ですが、自戒として、そんな思いが浮かびました。
 子ども達が一生懸命に「木の実」を拾っていました。「園長先生、これ、何の実?」見覚えのあるその形は…銀杏でした。園内に山ほどあるのに。やや苦笑しながら、「ぎんなんだね。この大きな木、銀杏の木だね」とお話しました。木の名前、私も知らない物がたくさん…もっと沢山知っていれば、またひと味豊かな経験をさせてあげられたのかも、と少し後悔しています。

 ともあれ、園内までお付き添いいただいた年少組保護者の方、幼稚園で暑い中お待ち戴いた年中・長の保護者の方々、どうもありがとうございました。貴重な経験と学びのあった一日でした。

できるんだ!

6月 27th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (できるんだ! はコメントを受け付けていません。)
 今日はホールとこりす組を繋げて、たんぽぽ組の合同体操です。とても多くの方にご参加いただき、賑やかに活気ある時間を過ごすことができました。
 冒頭からみんなの目を奪う演出で登場。思わず「オォー」という声があがります。最初はお母さんと一緒の活動、続いて緊張をほぐしながら出会い、多彩な運動ができるサーキット活動へ。子ども達も汗をかき、お母さん方も手を引いたり見守りながら、楽しく過ごしました。
 「親子体操」と聞くと「運動か…」と身構えてしまう方もいるかも知れませんが、それだけではありません。「入園前の、親子にとって意味ある活動は?」を追究して、できたプログラムなのだと思います。
 親子の活動としても、子どもの活動としても、「できるんだ…こんなことが」というのを、いくつかご紹介できたのではないかと思います。
 昔は「技は先輩から盗め」と言われていたのが、いまは「取りあえず攻略本、攻略サイトで予習する」ですから隔世の感ありですが、自分自身の子育て体験を振り返ると、やっぱりそうですね…これも「金で解決のひとつ」なのでしょうか…。
 あ!愚痴っぽい終わり方になってしまった…後悔…。

重いけれども

6月 23rd, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 - (重いけれども はコメントを受け付けていません。)
 今日、年中組さんの体操を見ていたら、子ども達がマットを運んでいました。
 体操にはおおよそ毎回決まった流れがあって、色んな走り方〜ボールなど〜サーキット〜という進み方をします。つまり何回か「道具の出し入れ・レイアウト変更」があるのですが、今日は子ども達が手伝いをしていたのです。「前から5番目・6番目の子」と指定しているのですから、「前から○番目」の数え方も分かっていなければできません。
 それでも「あ、ボクだ、ワタシだ」と気付いた子は何だか嬉しそうにマットに取り付きます。皆が座って待っている中を、お仕事で通る…多分少し誇らしげなのではないでしょうか。
 調べてみると、マットは標準のサイズで11〜13kg程度、子ども達より少し軽い位です。今は未だオンブ・抱っこ(自分と同じ程度の体重を支える)をしていないのですが、「手押し車(半分程度の体重を持つ)」は行っています。2人だと「重さだけなら何とか」、ただし持ちにくい形(手に余る)なので4人で丁度いい…といったところでしょうか(最後はアバウトですね。笑)。
 ともあれ、「昔の子ども達」に比べ、「重い物を持つ・運ぶ」経験が圧倒的に少ないのが現代っ子です。小学校の時にはせめて「45リットルのゴミ出し」はできるようになって欲しいものですが…。
 ウチの卒園児は、「同学年の子どもをオンブ・抱っこできる」ようになって小学校へあがります。

消防署・広報

6月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (消防署・広報 はコメントを受け付けていません。)
 年長組さんだけの活動、「小石川消防署の見学」に付き添ってきました。陽当たりもそれなりの中、15分程度、交通ルールを遵守しての行き来で、現場はもちろん、トータルとしてもよい経験になったと感じました。
 今年は、「現場で広報車」というピカピカの車を用意して待っていてくださいました。消火栓のある場所まで行くと、荷台に消火訓練の道具が積んであって、「どこでも消火訓練ができます」というもの。都内でも2カ所にしか配置されていないそうです。
 その後、消防士さんの出場着替え競争、訓練見学、写真撮影…と進んでいきましたが、最初から最後まで、消防士さんがきちんとプログラムを組んで、付き添って下さっていたのが印象的です。以前は「訓練の邪魔にならないように、そこで見ててね」という感じだったのですが、いろいろと幅があるものだなぁと。
 「これこれ、という典型的なプログラムはない」ということの裏返しではありますが、毎年いくつもの園の見学を受け入れるなかで、磨かれてきたのだろうと思います。ありがとうございました。
 そういえば、ポンプ車は2種類のホースを積んでいます。黒くて太いものと、白くて畳まれているもの。放水のためのものはよく目につくと思いますが、ポンプに給水する黒のホースがなかったら、役に立ちません。子ども達には見分けポイントを教えておきました。「供給がなければ提供はない」、当たり前の話ではありますが、いろんな所で具体例の見られる「おしえ」ですね。

本質的に褒める

6月 22nd, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (本質的に褒める はコメントを受け付けていません。)
 何やら難しい感じのタイトルなのですが…話は約2年前から続いているのです。
 時計台のところにある、「アカパンサス」という花。じつはこれ、葉っぱをパキッと折ると汁が出てきて面白いのですが…面白がって葉や茎が沢山折られてしまったことがあったのです。平成27年9月。
 その時は、悲しみと怒りの看板が出ていました。
 そして今年。その時の看板の効果が今でもあるのか、その時のことを覚えてくれている人が多いからなのか、はたまた今年の子達が気付いていないのか、どんな訳かは分かりませんが、折られることなくたくさんの花が咲きました。
 ですから、目に見えることとしては「アカパンサスの花が咲いた」だけなのですが、「葉や茎を折らないでくれてありがとう。元気に伸びて綺麗な花を咲かせられたよ」というメッセージなのです。
 私が「本質的に褒めている」と感じるのはここです。「言われたことを守った」故に褒めたのではなく、「言われていないけれど、するべくようにした」ことを褒めた、ということです。
 くどいですが、「大人に言われたから」ではなく、結果として良いことがおきた。そこを改めて言葉にして子ども達に返していく。なかなかできることでは有りませんね。
 有り難い事に、年少組の子どもが看板に気付いて、「お花からお手紙が来たんだね」と話していたそうです。物言わぬ花たちですけれど、その言葉を聞くことができる。まさしく「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける(古今和歌集仮名序)」です。
 ああ、私は本当にこの仮名序が好きなんです。いま読んでも涙が出る位に。

塗り尽くす!

6月 20th, 2017 | Posted by Sato in 保育論 | 日々の姿 - (塗り尽くす! はコメントを受け付けていません。)

写真の子と話の子はことなります。

 今日は年中さんの活動を近くで見ていました。「すいかのはじき絵」ということで、ある意味「昔ながらの活動」ではあります。先に描くクレヨンは、しっかり濃く色がでており、バッチリ弾いてくれそうな感じです。
 いよいよ絵の具の出番です。こちらは全員が一式持っている訳ではないので、机2台で8人ずつ行っていきます。クレヨンに比べて、絵の具(筆)は軽い力でスーッと塗っていけるのが特徴ですね。色も少し淡くて、確かに対照的です。
 ということで、サッサッと塗りおえていく子がいる一方で、「園長先生、もっと濃く塗りたい」というリクエストがありました。「ん?」と思いつつ、筆に絵の具を直づけ。「これでやってごらん」と渡しました。
 そう。「クレヨンに弾かれないよう、懸命に絵の具を(濃く)塗り重ねていた」のです。「悔しいなぁ、何とかこの色で塗りつぶしたいのに、このこの!」という感じ。くっきり描かれたクレヨンの線は、絵の具を水玉のように弾くばかり。そのうち「紙が危ないな…」を心配するほどになりました。
 暫くは力ずくで「何とか色をのせる!」という感じだったのですが、最後は何だか「やり遂げた…」という感じで、「もういい」と終了宣言。良かったじゃないか。サッと描いてパッと終わるより。これも一つの試行錯誤。よい学びです。

参観の効果

6月 13th, 2017 | Posted by Sato in 日々の姿 | 行事 - (参観の効果 はコメントを受け付けていません。)
 さて、幼稚園の参観も終わりました。お忙しい中、沢山の方にお越しいただき、ありがとうございました。特に今年は、お父さん方にも多数おいでいただき、子ども達も嬉しかったことと思います。
 そう、昨日「小学生は恥ずかしがり」と書いたのと対照的に、幼稚園児は「見て見て!」に喜びを感じます。それは、「何をやっても、どんな結果でも」親や私達は「学びの元ですから」という評価をし、結果を受容してあげられるからではないかと思います。
 年少組では「言葉の時間」をやっていました。文字のカードを見て、「読めた」と思ったことを表現する。答えを示して貰って、当たりで喜ぶ。「読める(理解し、アウトプットできる)という嬉しさ」をストレートに表現している瞬間です。
 年中組は、今日の製作の説明を聞いているところでした。形が対称形に近いので、注意深く見て作らなければなりません。子ども達の姿勢が少し前傾になっていること、写真に出ているでしょうか。「良い姿勢で聞くことは、確かに頭によいことだ」というのも、今では科学的に実証されているそうです(あやふやな言い方でゴメンナサイ)。
 年長組は、もう自分達でやっている事を、親御さん方は見守るというのが主なスタイルでしょうか。岡目八目で傍から見ていると「あー、もっと効率的合理的にできるのに…」「あそこ、残してるみたい」とかいろいろ気になるのですが、「子どもの学びは試行錯誤。試行錯誤した事ほど、長く深く記憶に止まる」ということで、安易に手を出さずにいて下さっているのでしょう。
 それにしても、子ども達。親御さんが来ていらしたことで、多少の緊張感というか「いつもと違うぞ」感(幼稚園の生活として、ですよ)を感じていたようです。現在、園庭で走り回る子多数。ホースの水まきでビショビショの子もあり。コンサートを終えたミュージシャンが、舞台袖で出しているような歓声が、あがっております。

参観にて

6月 12th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (参観にて はコメントを受け付けていません。)
 今日は保護者参観。まだ始まって間もないのですが…実は私も昨日、父親参観日で学校へ行って来ました。科目は音楽。「音楽ですか…」と、やや拍子抜けで聞いていたのですが、参加してみたら「すごい、すばらしい」と感激して帰ってきました。
 小学生の音楽って、自分を思い出すと「何とも恥ずかしい」と思いながらだったのを思い出します。むしろ覚えているのは「声の悪い子には、これ(ゴキブリの粉末)を飲ませます」「音階をハンドサインで」「これから名前を呼ぶ子は、本当はマスクして舞台に立たせようと思っていました」…(かなり曖昧な記憶ですが)という、「音楽とどれほどの関係が?」と突っ込みどころ満載の思い出です(人は、満足した記憶は忘れると言われますから)。
 さて、まず感動したのは「表現することに躊躇しない」という先生の姿勢でした。言葉ではないのです、まさに姿勢。楽しそうに、声高らかに子どもと歌うのです。「歌いなさい」と言って、自分は聞いてるんじゃ学びになりませんね。「さ、楽譜の見直し30秒ね、できたと思ったら立って」という促しも見事です。自分で踏ん切りを付ける、自分から立ち上がらないと物事が進まないのです。立った子にはすかさず「おっ、勇気あるね、素晴らしいね」と心情を褒める。
 次に機械の普及なのですが、昔レコード今は映像で、うたを中心とはしているのですが、それを歌っている歌手の映像と共に鑑賞できるのです。隔世の感あり。音楽としての情報と視覚情報が一緒に味わえる。もちろん子ども達も、歌っている「自分の顔」を見ることはできないのですが、表情や立ち振る舞いはノンバーバルコミュニケーション。「レ・ミゼラブル」の一部だったのですが、私まで涙していました。「子どもの様子を見る」どころではなかった(それで良いのかしら?)。
 そして、スーザンボイルの映像。「この方、47歳にしてオーディション番組に出られたんですよね」ということで、いよいよクライマックスに向かいます。
 「この方、日本の歌を英訳して歌っているのがあるのです。翼をください、なんですよ。いいですか、音程やリズムが多少崩れても構いません。大きな声・綺麗な声が一番ではありません。詞を理解し、心をそこへ向けて歌うことが一番なのです。さぁ、保護者の皆さんも一緒に歌いましょう」
 ということで、歌ってまいりました。いつかも書いたのですが、「親子で一緒に歌をうたえる」というのは幸せなことです。その機会を下さった先生に感謝です。そして改めて思いました。
 「子どもと親と一緒に、もちろん先生も教材もあって、それらが一体化した授業だった」と。親が外部から観察するのではなく、「一緒に歌うこと」で成立する授業だったと。
…家に帰って興奮気味に(表現することに躊躇しない!)そんなことを娘に語ったのですが、本人は現場で「とにかく近くに来ないで」アピールをしていたのですが、家では何となく神妙に聞いてくれました。嬉しいことです。

ちょこっとICT

6月 8th, 2017 | Posted by Sato in 行事 - (ちょこっとICT はコメントを受け付けていません。)
 時の記念日は、「国民の祝日」ではないものの、なかなか意義深い日だと思っています。というのは「なぜ時計があるのか?時計のあることのメリットは?」と考えると、「人間社会の維持」に深く関わっていると思うからです。
 もっとも、「日本で初めて時計が使われた日」の時計は「物珍しい精巧な機械」だったのだろうな…と思いますが、まぁ一台だけで役に立つものでもありませんよね。
 そう、社会というのは実は、「四六時中いつも一緒にいる」人たちの集団ではなくて、「約束などによってあつまり、また散らばって暮らす」人々によって構成されている訳です。いつも一緒の小集団では、時計の必要はないと思うのです、「おーい、集まれー」で事足りますから。
 子ども達の見るスライド「動物村の時計台」でいみじくも描かれているのですが、「一人一人勝手なペースで生活していては、社会が成り立たない」のです。「いつ集まって良いのか」が分からないのですから。
 構成員全体に対し、ある意味公平に強制力のあるのが時間、そして時間を表現しているのが時計です。「時間を守る」のは「構成員としてカウントされる」要件ですらあると思います。
 そんな訳で、幼稚園にもたくさんの時計があります。子ども達の、時計に対する関心は十人十色。けれどせめて「ちょっと見る目を持って欲しい」と思い、スライドにしてみました。
 今まで行っていた「現物を見せる」と混ぜたのですが、「この時計、どこにあるかな?」という「お花探しゲーム」的な演出をしたので、子ども達も喜んでくれたようです。
 これから「ICTを使った教育を推進する」と言われ、それは「子ども達が操作する」ことではあるのですが、「なるべく本物。仕方なく、最低限度のICT」という基本姿勢は保ちたいと思います。
 私自身としては、機械物が大好きなのですけれど。